五番目の季節

空は曇天。空気は肌寒く感じられるが、風が吹くことはない。分厚い雲は、日の光を全くと言っていいほど通さず、雪を降らすこともない。よって大地には霜が降りても、白化粧がかかることはない。乾いた地面は、素足に帯を巻いただけの旅人にとっては、ひどく悲しい道のりだった。


その道には草一つ生えず、虫たちの気配すらない。ただ、赤茶けた地面が広がっている中に、見分けのつかないほど似た色の獣道があるだけだ。


そんな道を、一際目立つ赤色が一つ。赤い頭巾に、赤いローブを纏った人が歩いていた。頭巾は丸く、ローブは膝上程度までしかなく、足には帯が巻いてあるだけで、ほぼ裸足も同然。赤いテルテル坊主のような格好だった。


彼女の名前は、ハル。旅人だ。赤いテルテル坊主は、枯れた大地に咲く一凛の花といったところだが、彼女の容姿はそれ以上に異様なものだ。純白の御髪に、薄紅色の瞳。雪のようにほの白い肌に、獣の様な鋭い眼光。まるで白毛の狼の様な見た目だが、その顔は幼さが残る単なる少女だ。腰帯から刀を吊るしているが、それ以外まるで無一文の物乞いのように持ち物がない。本当に旅をしているのかと疑いたくなるが、彼女には不要なものなのだ。




まるで時間が止まってしまったかのような灰色の世界だった。


風も吹かず、天気も変わらず、ありとあらゆる生命が姿を消していた。今は冬ではない。では、春かと言われればそうでもない。この世界に存在するもう一つの季節。こう、と呼ばれる、五番目の季節だ。春夏秋冬荒。一部の人間たちからは無の季節などと呼ばれる荒は、あらゆる生命が息絶え、その営みを隠すのだ。冬と春の間にあるため、基本的に大気は冷たく、だが、決して雨も雪も降らないおかしな時期なのだ。太陽さえもその姿を大きな雲の向こうへ隠してしまい、昼でも暗い世界が続く。一方で、春の準備をする始まりの季節とも呼ばれることがあるが、荒の季節は普段の生活に一層気を張らなくてはならない。なぜなら、基本的に食料の調達が出来ない。森の獣たちも、川の魚たちもいなくなるのだ。荒の時期に実を成す草木もありはしない。人間達は備蓄を削りながら、約三ヶ月の期間を乗り越えなければならないのだ。


「せめて、寝床だけでもあればいいけど。」


ハルは、眼前に見える町をみて、思わずため息をついた。荒に入ってもう一月は経っている。遠目に見ても人気はない。何とか休める場所を借りたいものだ。なにせ、ハルの足裏は擦り傷だらけでぼろぼろになっているのだ。


「長靴ももらえたらいいなぁ・・・。」


ハルは、切実にそう願った。






みんなが言う。荒は過酷だと。町長をやっている父様も、いつも優しい母様も。この季節は、毎年心して過ごせと言う。でも、僕はこの季節が好きだった。外へ出てもやることはないし、空は毎日同じだけど、少しだけ寂しくもあり、それでいてすごく落ち着く。荒の景色が僕は好きなんだ。こんな荒んだ季節が好きだなんて、心が荒んでいるんだと思われるかもしれないけれど。荒がどういう季節かは知ってるし、どんなふうに過ごさなければならないかなんて、もう六度目だから、よく理解してるつもり。実際はあと二、三回多いかもしれないが、物心ついてからもう六回も荒を乗り越えてきた。


だから、旅人が来るのはおかしいと思ったんだ。その点は誰もが思ったはず。みんなは僕より何度もこの季節を過ごしてきたんだから。おかしいと思ったのは、誰も、その旅人さんを不思議に思わなかったことだ。だって、あんなふうに背中に白い翼を生やして、お尻に白く長い尻尾がある人がやってきたんだ。どうしてみんな、他の人と同じように接しているのだろう。赤く、鋭く、まるでオオカミの様な顔つきの旅人さんは、父様と話をしながら、翼をはためかせ、尻尾を左右に振っている。どうして誰も聞かないのだろう。まるで、見えていないかのようだ。


父様と話し終えた旅人さんは、母様に案内されていった。


「ねぇ、父様。」


「どうした?」


「あの方は、とても、・・・。」


僕は言葉にできなかった。なぜだか、言ってはいけない気がして。


「あぁ、きれいなお嬢さんだったな。こんな時期に旅をしているのは驚きだが、悪い人じゃなさそうだ。」


父様の言う通り、優しそうな人だったけど、やっぱり見えていないのだろうか。どうして僕だけに見えるのだろうか。もしかしたらそれは、とても良くない事なんじゃないだろうか。


「しばらく同じ館に住むことになるが、失礼のないようにな。」


「はい。父様。」


そう言って父様は自分の書斎へ戻っていった。


僕は、旅人さんの後を追っていった。旅人さんが母様に案内されていたのは、僕の部屋の真ん前の、向かいの部屋だった。なんだか少し怖くなった。あの人が夜な夜な恐ろしいことをするんじゃないかという変な思惑が頭によぎったのだ。


「こんにちわ。」


そんな僕のことなんか知ったこっちゃない旅人さんは、笑顔で挨拶をしてくれた。


「こ、こんにちわ。」


「息子です。今年で八歳になるんです。」


旅人さんは、すぐに母様との話に夢中になっていたが、時折僕の方をちらちらと覗いているのが見て取れた。やっぱり、旅人さんには翼と尻尾がある。でも不思議なことに、それは壁を貫いているではないか。僕は、扉の前で話す二人を無視して、貫通している部屋の方へ入ると、やっぱり貫通している。二人にばれないように、その白い尻尾を触ろうとすると、まるで生き物のように僕の手を避けた。追いかけてまた掴もうとすると反対へ避けた。あんまりムキになると気づかれてしまうから、それ以上はやらなかったが、とにかく尻尾は壁を貫通しているのだ。


突然旅人さんが僕の方へ振り返り、僕の前へ屈みこんだ。僕は慌てて後ろへ下がろうとした。だって、旅人さんの目は猫のように鋭かったんだから。


「今日からよろしくね。ソニア。」


旅人さんは手を伸ばしてきた。見た目はただのお姉さんだけど、僕にはどうしてもただの人には見えない。翼に尻尾、まるで鳥の様な人なのだ。


「よろしくお願いします。」



その日、その旅人さんと出会ったことは、僕の人生にとって、とても大きな意味を持つものになったのだ。

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