アカハネの加護
地下室の天井がみしみしと悲鳴を上げた。ハルは、左手に巨大な火球を作り出し、天に向けて撃ち放った。火球は天井を超え、さらに上の建物の上階を超え、村の上空まで飛んでいった。上を見上げれば、僅かに空が見える。火の手は建物全体にまで広がり、その勢いはとどまることを知らず、村全体にまでに火の波が連なっていく。火は村に漂う血臭を焼き払い、死したままその魂を宿す肉体を焼き払い、あらゆる血や穢れ、主のいなくなった田畑でさえも焼き払っていった。
地下室だった場所に炎とは正反対の色味を持つ塊が輝いていた。その身は火に焼かれながらも、決して焼き尽くされていなかった。リエナは、驚愕しながらも、自分の体に纏わりついた炎を見つめていた。
「どうなってるの、これ。」
熱を感じるはずのない結晶の体から、温もりを感じられる。それだけではなく、先ほどまで力を使って、空っきしになっていた精力が見る見るうちに満たされていく。ふらふらだった体にも不思議と力が湧いてくる。
身体は燃えず、建物は燃えている。両方の火を見比べても、色も勢いも何ら違いはないのに。その火からは、破壊は生まれずただ暖かさだけが放たれていた。火はリエナの眼の縁に溜まっていた涙をも拭っていき、やがて火は、目の前で鎮座するリルへも移っていく。周囲に散らばったリルの破片が燃え出し、微かな光を放ちながら宙に浮かび上がった。破片は、細かく震えながらリルの体を円を描くように回りだした。まるで破片が踊ってるかのように上下に動きながら、やがて円が縮まり始め、一つ、また一つと体へくっついてく。火が破片から移り、リルは体の原型を取り戻しながら、リエナと同じ暖かな火に包まれていく。
その姿は、かつて自分が作り上げた分身体とそっくりだった。リエナの知る妹は自分とは異なる容姿に育ったはずなのに。まるで時が遡ったみたいだ。
「私にできるのは、これが精一杯だけど、どうか許してね、リエナ。」
振り向くとそこには、太陽のような熱気を放ち、その純白の御髪を獅子のように靡かせたものがいた。熱された空気が彼女の周囲を逆巻き、絶えず熱風が渦巻いていた。獣ように鋭いその薄紅色の瞳は、瞳孔の中に夜空が広がっているかのように眩い輝きを見せている。
「ハル・・・あなたは、本当に・・・。」
ハルは、人差し指を縦にして口元に当て、片目を瞑って見せた。
――― お姉ちゃん ―――
リエナの頭の中に、リルの声が響いた。再び燃える妹に視線を見やると、彼女は未だ目を閉じたままだ。だが、確かにリエナの耳には、懐かしい声が届いたのだ。初めてリルが意思を飛ばす魔法を使いこなした時と同じ声が。
「・・・リル?」
リエナは思わずリルに手を伸ばした。完全に元通りになったその頬に手をあて、崩れないように手をそっと握ってやった。
「・・・ねえ・・・ちゃ・・・・。」
僅かに口元が動いて、そして、特徴的な長い耳が動き、朝の目覚めのようにリルは目を開けた。
「リル・・・。リル!」
リエナの瞳から再び涙が零れだす。今もなお、リエナは火を纏っているが、火はその涙を拭い去りはしなかった。リルの散らばった破片は全て、元の体と繋がり、彼女本来の姿が、あらわになった。リエナによく似ている服装に、そっくりな容姿。リエナよりだいぶ小さいが、むしろその方が可愛げがある。小さな結晶族はようやく視野に姉の姿をとらえると、
「お姉ちゃん。・・・なんで、泣いてるの?」
そう、無邪気な笑顔で姉に微笑んだ。リエナは、ようやく再開できた妹に何かを伝えようとしたようだが、それは言葉にならずにただただ涙だけがあふれ出していた。
リエナはまだうまく歩けないリルを魔法で浮かして、そのまま外へ出た。里長の館らしき建物は、すでに影も形もなく、村も未だ火の手が周り、まさに火の海だった。ハルも、その光景を見て、ため息をつかざるを得なかった。もはや誰もいない村とはいえ、ここはもう人が住める場所ではなくなってしまったのだ。
宙に浮いているリルが、首を左右に回しながら、姉の背中に寄り掛かった。
「お姉ちゃん。燃えてるね。」
「うん。すごい。全然消えない。」
リエナの言う通り、火の手が弱まらない。本来燃えるはずのない土でさえも未だ燻り、炎を吐き出している。民家の石壁も高熱を帯びて赤白く発光している。
「ハル。この火は消せないの?」
「まぁね。私が制御している火は消せるけど、こうやって移り移った火は、もうどうにもできない。それこそ、消えない火を消す魔法、なんてものが無い限り、ここはずっと燃え続ける。」
「あたしたちも?」
リエナの背中からリルが訪ねてきた。彼女たちの体も火が消えないまま残っているのだ。そのまま彼女たちの故郷へ帰れば、精霊の森は、この村と同じ火の里になってしまうだろう。だが、実際ハルにはもう、その火を消すことはできない。ハルにとっては、自分の力を分け与えたも同然。それを制御するのは、もうハルではない。
「そうね。私には無理だけれど、あなた達ならその火を消せるはずよ。いつかね。」
「私たちが・・・」
「それを消せるようになった時、あなたたちは本当の意味で救われるはず。もちろん、どれくらいの時間がかかるかわからないけど。」
リエナとリルは互いに顔を見合わせた。お互い、困惑したような表情だったが、妹のリルが笑顔になったかと思うと、リエナの首に手を回してきた。
「お姉ちゃんとおそろい!」
それを見たリエナも、覚悟が決まったのか、優しい手つきで妹の頭を撫でてやった。
「きっと大丈夫よ。今はそんなこと、どうだっていい。ここに、・・・私のそばにこの子がいてくれるから。」
何も知らないリルは無邪気に笑っているだけだが、ハルもその姿を見て、自分の中に罪悪感をそっと奥底へしまうことにした。何はともあれ、これでリエナの目的は達成されたわけだ。これで、ようやくハルは自分の道に戻ることが出来る。
「それじゃあ、私は自分の旅を続けるわ。これでお別れね。」
「あなただけでも、里へ戻ってもいいんじゃ?」
それも確かに可能だが、ハルの、精霊の森へ来た目的はほとんど達成できていた。
「また今度にするわ。もう少し状況が落ち着いたときにでも、またくればいいし。そう何度も特例で入れてもらおうとは思わないから。それに・・・。」
ハルは、リエナに映った火を見つめた。
「あなたが、その火を消せるようになった時、結晶族の長として、特例で入れてもらうことにしようかな。」
「それは・・・責任重大ね。」
きっと彼女も変わらねばなるまい。木人も石人も。それが何年先のことになるかはわからない。だが、きっとその時は来る。ハルは、必ず精霊の森の住人に、再び会いに行くことを決意したのだった。
「ハル。リルを救ってくれて、本当にありがとう。この恩は、一生忘れない。そして、・・・あなたから受けたこの力も。」
「私も、色々聞かせてくれてありがとう。楽しかった。妹さんも、あんまりお姉さんを困らせちゃだめだよ?」
「うん。さようなら、赤頭巾のお姉ちゃん。」
「さようなら、ハル。」
ハルは、頭巾をかぶりなおし、二人に振り向いて最後に別れの言葉を送った。
「あなた達に、アカハネの加護があらんことを・・・。」
草原の中、一本の獣道を行く、一際目立つ赤色が一つ。赤い頭巾に赤いローブを纏った人だった。頭巾は丸く、ローブは膝上程までしかなく、足には帯が巻いてあるだけで、ほぼ裸足も同然。赤いテルテル坊主の様な格好だった。
旅人ハルは、どこか清々しい気分で、その歩みを進ませていた。目的地などありはしない。己が望むままに進み、出会いと別れを繰り返し、世界を知る事こそが旅というものだ。少なくとも、ハルは自らの行く末に疑念など持ち合わせていない。道を作るため、自分自身を知るために、歩き続けるのだ。
――― 長い耳を持つ木と石 ―――
エピソードⅠ『長い耳を持つ木と石』を読んで頂き、本当にありがとうございます。
旅人ハルの旅路はいかがだったでしょうか?
彼女の内に秘めた想いや力は、これから少しずつ解放されて行きます。
ハルの正体について興味が湧きましたら、★評価やフォローをしていただけると嬉しいです。
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