妹を抱けない理由

その建物からは、嫌というほどの血臭がしなかった。屋内が荒らされた様子もあらず、ものが異様に少なかった。あらゆる金品を持って行った後と考えれば、もしかしたら用が済んだ後なのだろうか。だが、リエナの表情は険しかった。そして、冷気のようなものが彼女の体からあふれ出ている。水晶のような瞳も黒く染まっていき、身体が硬質化しているように見える。


「いるわ。」


リエナが小さく呟いた。彼女の溢れんばかりの精力で感じ取っているのだろう。その力は、おそらく人を殺めるには大きすぎる力だ。彼女は、もう止まらないだろう。人を見るなり仕掛けるかもしれないから、できるだけハルが前になるように位置どった。せめて、人攫いと話をするまで、抑えていてくれればいいが。


奥の部屋から話し声が聞こえ、どうやらまだここに居座っているようだ。だが、村の女たちはここにはいないだろう。すでに奴隷として売りに出されているか、どこかへ逃げたか。後者であってほしいが、人攫いはそんなことを許すほど甘い連中じゃない。ともかく、肝心のリエナの妹がどこにいるか、問い詰めなければ。


ハルは、扉の横に張り付き、顎でリエナに開けることを合図する。意図を理解したリエナは、扉を開けた視界に入らないように移動した。リエナの準備が整ったのを確認し、ハルは刀を静かに抜き、左手に力を込めた。周囲の大気が一瞬震えたかと思うと、ハルの左手に空気が収束し始めた。本来見えないはずの空気が、色と形を持って手のひらに集まっていく。リンゴくらいの大きさになった気流の塊を、ハルは扉に打ち付けた。


木製の扉は、中心からバキバキと音を立てながら砕けていき、扉ごと吹き飛ばされていた。あわよくば吹き飛ばした方向に相手がいればよかったが、中にいる人物に被害はなかったようだ。


「なんだぁ⁉」


うろたえたような男の声が複数。中に入って、視認したのは3人。小柄な男二人と、異様に背が高い大男が一人。それぞれ剣や斧を持っているが、どれも新品のようにきれいなものだった。どうやらここには村の惨劇を生み出した者たちはいないようだ。得物が綺麗すぎる。


ハルは人攫い達に刀を向け、


「結晶族の女の子を探しているの。どこにいるか知ってる?」


そう淡々と問い詰めた。彼らは入ってきた者が赤頭巾の小娘であったことに、あっけにとられたものの、見た目は単なる小娘であるため、すぐに下劣な表情に変わった。


「おいおい、何かと思えばずいぶんかわいい奴が入ってきたな。嬢ちゃん。ここは君みたいなのが来る場所じゃないぜ。」


「へっへっへ。それとも俺たちと遊びに来たのか?」


何を勘違いしているか知らないが、ここまで堕ちた人間ならば、容赦する必要はないだろう。ハルは後ろで控えている大男へ視線を向けた。男は、斧を構えたまま不敵な笑みを浮かべているだけだったが、突然彼の首元から火花が散り、襟元が発火した。


「うっ、うぇ、なん・・・ぐぅおわ!。」


取り乱した大男は手で火を払おうとしたが、炎は瞬く間に頭を多い、火の中から男の叫び声が聞こえてきた。他の男も、自分たちが虎の尾を踏んだことを悟ったのか、その表情が恐怖に染まりつつあった。


「質問に答えて。結晶族の子はどこ?」


尚もハルは、淡々と質問をした。男の顔が焼きあがるまで数十秒。それまでに答えてくれることを願うが、彼らはあさっり膝を折った。


「ち、地下だ。この建物の地下室に。で、でも、もう、手遅れなんだ。」


男が、一応答えたのを確認して、ハルは大男の炎を消してやった。すでに半分くらい爛れているが、死にはしないだろう。


「手遅れって、どういう意味。」


「ひっ。」


後から入ってきたリエナは、男たちの前に立ちはだかった。先ほどよりも大量の冷気と殺気を放ちながら腕を突き出し、その指先を一人の男へ向けていた。


「リルはどこ。あの子に何をしたの!」


ここまでくれば、もうハルのやることはないだろう。彼女の精力は、今にも放たれようとしている。精力が何かわからないハルにも、その重圧を感じるほど、巨大な力が彼女を覆っているのだ。


「地下に・・・。は、運べなかったんだ。だから、地下で軟禁していたんだ。おれ、俺たちはやってない。ただ、ここで見張ってただけだ。だから、俺じゃない!」


死に直面すれば、誰だって自分だけが助かる道を探る。だが、この場合はどんな言い訳をしようと、その道は開かれないだろう。ここにいる者たちが何をして、何かをしていなくとも、同じ人攫いとして同罪だ。


リエナの放っている冷気が、生き物のように意志を以って動きだした。地を這う蛇のように男たちに近づき、彼らの足元に張り付くと、地面が氷りはじめ、男たちも足から氷に覆われていった。よく見ると、それは氷ではなく、結晶だった。氷のように透きとおった、結晶族と同じ翠結晶で覆われていった。


男たちは悲鳴を上げながら、まだ覆われていない体でもがいていたが、内側からは何も出来はしない。そして徐々に覆われた体も翠結晶と同化していき、ついには全身が翠結晶と化していった。その形はもはや人の形すら残っていない、自然物になったのだ。リエナの有り余った精力は建物にまで影響を与え、男たちがいた場所を中心に部屋全体が翠結晶化が起きていた。


「すごい力だね。」


生物の姿形も残さず無に帰すとは、これだけの力があれば自分たちの身を守るのは容易いだろう。当然周りの被害を考えなければだが。


力を使い切ったリエナが、よろよろと体勢を崩した。咄嗟に支えてやろうと手を伸ばすと、リエナは首を振って静止した。


「今は、触らないで。力を使った後は、身体が崩れやすくなってるから。」


なんという諸刃の剣だろうか。気を付けていればいいだけだが、うっかり体を砕いてしまわないか不安になる。人攫いたちは地下室にリエナの妹を軟禁したと言っていたが、そもそもなぜそんなことをしたのだろうか。さっさと大きな町で売りさばいてしまえばよかったものを。


(でも、運べなかったって、もしかして・・・。)


男たちが言っていた地下室はすぐに見つかった。下り階段もしっかりしていて、ここの本来の持ち主は果実酒でも作っていたのだろう。地下は作りはよく、それなりに広さがあって、からの樽が無造作に転がっていた。


そして、彼らが運べなかった理由とそうなってしまった理由は、すぐにわかった。部屋の一番奥の壁に僅かに形を残した結晶の塊が寄りかかっていた。周囲には細かい破片が無造作に散らばり、まるで芸術作品のようなオブジェになったものがあった。

顔と思われる部分には見覚えがあった。リエナに似ているその顔は、半分ほど欠けている。意識してみなければ彼女の妹かどうかもわからないだろう。だが、確実に言えることは、彼女、リルにはもう命が宿っていないということだ。パズルのように体を元に戻せば、息を吹き返すということでもないだろう。リルはもう、ただの結晶体となっているのだ。


「リル・・・。」


遅れてやってきたリエナが、まるでこの世の終わりの様な絶望した表情でやってきた。その顔は少し疲れた様子だったが、彼女はようやくまみえた妹の傍へ寄っていった。そのまま意識なき妹を抱きしめるのかと思ったが、彼女は自分の手を地面に突っ伏したまま何もしなかった。


(そっか。腕に抱いた途端、崩れちゃうから・・・。)


結晶族に体温があるかはわからないが、愛する者の温もりすら感じられないのは、なんと悲しき種族だろう。


「・・・ごめんね。お姉ちゃん、バカだから。こんなに遅くなっちゃって。・・・ほんとにごめんね。」


ハルは、かける言葉が見つからなかった。いや、声をかけることはできる。ハルにとって、リエナもリルも友人と呼べるほど親しいわけじゃないが、気を使って慰めることをしてもいい。だが、ハルがそれをするのは、あまりにも無神経だろう。それに、できることをやらずに、ただ傍観することは、力ある者の驕りではないだろうか。できる限りの力になると約束した以上、どんな結果になろうと実行するべきだ。


なぜなら、ハルには彼女を、リルを救う力があるのだから。


「リエナ。泣いてはダメ。」


リエナは、ハルに振り向いた。その目には、涙があふれている。結晶族にも人間と同じ悲しみがある。


「妹さんが目を覚ました時、お姉ちゃんが泣いていたら、その子が悲しむことになる。」


「何を言っているの?」


ハルは、赤い頭巾を脱いだ。


「私は、私が望む世界に、そんな悲しみは必要ない。あなたのその涙。私が焼き払ってあげる。」


ハルが左手に力を込めると、突然腕から火花が散り、手に火が灯った。ゆらりゆらりと炎は大きくなり、ハルの身体に広がっていく。瞬く間にハルは全身に火を纏い、とてつもない熱気を放っていた。熱された空気が激しく風を起こし、揺れていた火は荒々しくなる。赤いローブは確かに燃えているはずなのに、丈が少し焦げたように黒ずんでいるだけで、布は燃え続けている。まるで火を纏った薪のように、火が布の繊維を駆け巡っている。


火はやがて床を伝い始め、地下室全体に広がっていく。木製の部屋は瞬く間に火の炉のようになった。高熱の炎は木材を瞬時に黒ずみへと変えていく。そんな中でリエナとリルにも火の手がかかった。


「ハル。なんで、どうして!」


妹に覆いかぶさるようにリエナはかばったが、火の波は容赦なく二人を飲み込んだ。

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