お姉ちゃん

お姉ちゃん。


人間たちの間でそれは、血の繋がった姉妹姉弟が使う言葉だ。私じゃ、血の繋がった、ということの意味が理解できない。現に私と私の妹は血がつながっていないどころか、そもそも私たちには血なんてものは流れていない。結晶の体に流れる僅かな水分は、全て同じ結晶から湧き出た正体不明の水。それでさえも私と、リルの流れるものは違うのだ。


初めてあの子が目を覚ました日。私は気持ちが悪いと思った。目覚める前は、自分と瓜二つの人形のように思っていたのに、今度は自分と同じ声で話し始め、動き出した。お姉ちゃん、お姉ちゃんと、自分と同じ顔が自分と同じ声で私の後ろをついてくる。その伸ばされる手を何度振り払ったことか。振り払い、平手を食らわすたびに、彼女の手は砕け散り、泣き出す。そんなことを幾度繰り返しただろうか。私は罪悪感を覚えるたびに、私の心は黒く染まっていったのだ。




「お姉ちゃん。」


私の妹、リル。妹といっても、血は繋がっていない。私の体の一部を使って生み出された違う生命。私と瓜二つの結晶族、にはならなかった。成長するにつれて私とは違う姿になってくれたことに、私はなぜか安堵していた。姿だけじゃない。私と違って明るく快活で、何事にも積極的な少女に育った。姉、というか保護者としては、喜ぶべきことなのだろう。けれど私は、そんな素直に喜びを表現できるほど実直な女ではない。同世代の子たちからは面倒くさい奴認定され、力ばかりが強いせいで、上辺だけは立派な性悪女だ。言われるがままに事をこなし、次期結晶族の長の候補にまでなり、そしてリルを創らされた。望んでいなかった妹。欲しいとは思わなかったし、それ以上にちゃんと育ててあげられる自信がなかった。何の努力もせず、天性の才能ばかり評価された私が、何も知らずに生まれてきたリルに、与えてあげられるものなんて、ありはしないのに。




――― お姉ちゃん。 ―――


身体も力も弱かったあの子が、やっとの思いで魔法を使えるようになった時、私はどうして泣いていたんだろう。頭の中に響いてくるリルの声を聴くたびに、どうして胸が締め付けらるような感覚になったのだろう。一生懸命努力し続けたあの子が笑いながら近寄って来るのをみて、思わず抱きしめていたのは、どうしてなのだろう。私はいつから、この脆く透き通った体に情というものが備わったのだろうか。


そこに至ってもなお、私は自分がわからないままだった。だって、私も同じように作られたのだ。私の姉に。名も名乗らずに逝ってしまった、彼女に何を教わるまでもなく、ただただ生きてきたのだ。だから、この子にも私は姉、という名前以外、名乗っていない。私の名前がリエナという名であることも、自分がどうやって生まれたのかも、この子は知らない。知らなくていいと思っていた。だって、私が知らないんだもの。わからないんだもの。自分が何者で、何で生まれてきたのかも。


それなのに、この子はその答えを私に教えてくれるのだ。






精霊の森の中央に聳える、母なる樹、エウレシア。その根は、地上を貫き、地下にある最古の翠結晶を根に抱いている。地下には結晶でできた巨大な空洞があり、それこそがリエナ達結晶族の住みかだ。逆円錐型になっていて、最下層の頂点からはまた違う空洞が形成されているが、結晶族が主に過ごすのは逆円錐の空間だ。


地下であるため、朝、という概念は存在しないが、エウレシアの根がそのことを知らせてくれる。朝日を浴びたエウレシアは、その光を根にまで伝え、周囲の結晶を輝かせるのだ。目を覚ましたリエナは、泣いていた。酷い悪夢だったことは覚えているが、妹が出てきたこと以外は何も覚えていなかった。リルが攫われてもう七十九日経つ。長には助けに行くことを止められ、仲間たちからは諦めろと言われる始末。何もしないで、何が諦めろだ。


「私は、あの子の姉なんだ。」


他に誰が助けに行くというのか。ある日は、木人たちを説得したりもした。一人で黙って森の外へ探しに行ったりもした。森の眷属に尋ねもした。できることを全てやっているのに、全て無に帰した。里は人間の立ち入りが禁じられたから、もう被害は出ない。けど、今被害を受けているリルはどうなるのか。


「自分さえよければそれでいいの・・・。」


そうは言うものの、自分にも何ができているのだろうか。探しているだけ、どこへ行ったかもわからない妹を探し回っているだけ。


「何が、次期長候補よ、何が上位種族よ!」


リエナは自分の腕を思い切り壁に打ち付けた。当然の如く、肘から下が粉々に砕け散り、激しい振動が全身に走り、お腹と左足に大きなひびが入った。同時に、喉の奥から正体不明の水が溢れてくる。とどめようとしたけれど、結局吐き出してしまった。今にも体がバラバラになるような感覚を必死にとどめながら、無事なほうの手に力を込める。掌から光があふれだし、その手を胸に当てると、砕けた破片が宙に浮かび上がり、ゆっくりと元あった場所へ戻っていく。ひびが入った部分も切れ込みから光が走り修繕されていった。腕は元通りになったが、全身に響く振動はなおも続いている。だが、そんなものリエナは気にしなかった。身体が不安定なまま立ち上がり、ゆったりとした足取りでリエナは上層を目指した。


地上へ出るには、必ず長たちのいる場所を通らなければならない。長と、結晶族の中でも力のある四人の氏族長。正確には今いるのは三人だ。四人目は、だいぶ前に亡くなっている。


「また行くの?」


地上への階段をのぼっていると、結晶族の長、アダムが下から声をかけてきた。


「止めないで、アダム。どうせあなたには理解できないでしょ。家族を失う辛さなんて。」


「リエナ。あなたには長になる使命が・・・。」


またその話だ。結局この人たちはそれが大事なのだ。種族の繁栄と存続。力のあるリエナがいなくなると困るのだ。だから、過保護に扱われる。外へ出ることも許されなかった。けど今は違う。姉から授かった力がある。無駄に大きなこの力で、アダムだけでなく、全ての氏族長にも強く出れる。私を止められるものはここにはいないのだ。


「あなたも妹を創ればいい。そうすればわかる。今の私の気持ちが。」


「自分の分身が、自分と同じようになることは少ないわ。あなたとあなたの姉のような者は、もうほとんど生まれないでしょう。そして、あなたも結局私たちと同じ、力のある結晶族は減るばかりだわ。」


「・・・何もしてないあなた達は知らないだけよ。私があの子を強くする。私と同じくらい。」


「どうしてそこまでこだわるの?」


「言ったでしょう。あなたには分からない。」


もともと議論するつもりもなかった。リエナは踵を返し、地上へ登っていった。




地上へ出てすぐ、木人たちに止められた。止められたといっても、道を塞がれただけだ。力を使って無理やり押し通ることだってできる。だけど、ふと目に留まってしまったのだ。


赤い頭巾に、赤い服。赤は、この森では花か、秋にしか見ることのできない色。そのせいかやけに目についてしまい。気になった。近寄ってみると、彼女は木人ではなかったのだ。どうしてがここにいるのか疑問だった。なんにせよ、場違いな相手だ。さっさといなくなるよう伝え、その場を去った。けれど後から、彼女を利用すればうまくいくかもしれないと思ったのだ。いや、利用じゃない。助けを乞うのだ。何の事情も知らない彼女に、妹を助けるのを手伝ってもらえば。見返りを求めるなら何でも差し出そう。彼女の力なら、きっとできると思ったのだ。




リエナは、エウレシアの樹にいる木人の女王、エルマの元を訪れていた。


「あの人間を呼んでほしいと。」


エルマが人間、と呼んだことに違和感を覚えたが、おそらくそういうことなのだろう。ここは話を合わせておくことにした。


「えぇ、急がないから。・・・お願いできるかしら?」


「それはもちろん。ですが、彼女と一体何を・・・。」


「あなたは知らなくていいことよ。エルマ。それとも、アダムに私の同行の報告でも命じられてるの?」


「まさか、滅相もございません。リエナ様。すぐに同胞へ連絡を取ります。」


リエナからすると、エルマには同情していた。アダムからいろいろ言われているのだろうから。エルマもまだ女王としてそんなに長くはないから可哀そうだとは思っている。


まだ、あの赤頭巾が手を貸してくれると決まったわけではない。でも、もう他に選択肢はない。八方ふさがりの中、唯一開かれた光明なのだ。リエナは、どこかで生きているであろう妹の顔を思い浮かべた。


「すぐに、お姉ちゃんが行くから。」


エウレシアの樹の中で、その声を聴いたものはいなかった。

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