女王のもとを後にし、ニシャにとりあえずどこへ向かうか尋ねると、彼女は自宅へ案内してくれるという。里をまわるにしても、寝床があった方が便利だろうというニシャの提案はありがたかった。どうやらこの里には、宿屋などというものはなく、そもそも人間が住む場所じゃないから、生活するのも一苦労しそうだ。


里に入り口から女王の樹までの道のりは、宙に浮かぶ蔦の地面ばかりだったが、この里の全容はそんなものではなかった。道のりは今までと同じ蔦や枝が組み合わされたものだが、しばらく上りが続くと、そこに再び蔦の地面が現れた。もしやと思い、ハルは上を見上げると、そこには周囲の樹の頂上が見えるが、そのさらに上に今ハルが立っている蔦の地面と同じものが見える。下を見下ろすと、そこに、大地の地面は見えず、木人たちの住みかである木々が乱立しているだけだ。この里の構造は、樹の上に足場となる階層があり、そこへまた樹が建ちという不可思議な重構造になっているのだ。


ニシャの自宅への道のりは、時に木の幹を貫通し、木の葉の中に通る道を進み、上へ下へ迷宮の如く、おそらく十分くらいは歩き続けただろう。道中青空広がるバルコニー的な横道で、その景色を堪能したり、螺旋階段のような所で、層化をのぞき込んだり。それら一つ一つがハルにとっては心躍るものばかりだった。人間の関あでは決してお目にかかれない、まさに秘境と呼ぶにふさわしい里なのだ。


「ここが、私の家だ。」


ニシャの自宅は、これまたおかしな形をしている。木の枝にぶら下がった硬い木の実のような家だ。木の実といってもその大きさは手のひらサイズではない。人間が地上に建てる建築物よりかは小さいが、一人部屋と考えれば十分な大きさだろう。問題は、その家が、建っているのではなく、樹の枝からぶら下がっているということだ。


「こんな高いところに、しかもぶら下がって・・・。」


ここは木人の里でもかなりの高所。一応下部分に蔓の膜の様な支えがあるが、その下は下層まで一直線だ。


「大丈夫だ。落ちそうになったら私が何とかする。」


何とかできるならいいが。そもそもハルは高いからそれ自体を恐れているわけではない。おそらく興奮しているのだ。初めてみるでたらめの自然の形を見せつけられて、言葉にならない感情に突き動かされている。そんなところに住む彼女たちが、少し羨ましいくらいだ。


家の中に足を踏み入れると、木の実の家は若干揺れたが、ぶら下がっている付け根などから嫌な音もせず、安定感があるのは確かだった。中は、簡素なものだ。ニシャがそれほどものを置かない主義なのか、木人たちがそうなのかはわからないが、整頓された木の書斎とハンモックが掛けてあるだけで他は彼女の警備隊で使われるであろう弓矢などの道具が置いてあるだけだ。


「寂しい部屋だろう?」


「無駄にものを置くよりはいいんじゃない?でも、布とか敷けば少しは華やぐと思うけど。」


「ここでは布は高価なものだ。私たちは、糸の作り方を知らないからな。せいぜい獣の皮がいいところだ。」


文明として、彼女たちが劣っているとは思わないが、そういうことなら、人間との交流はより重要になってくるのではないだろうか。


「ねぇ、どうして人間との交流を絶っていたの?」


「そうだな、ハルのような者からしたら、他愛もない話だと思う。だが、大きな原因は、私たちが人間を信じられなくなったことなんだ。」




ニシャが話してくれた内容は単純な話だったが、根強い闇を感じざるを得なかった。


要約するとこうだ。この精霊の森には、昔から近隣の人間たちの街と交易をおこなっていたそうだ。森の生命の恵みと、人間たちの加工品とのやり取り。少なくとも、かつてはうまくいっていたのだ。他種族であってもお互いを必要としていたし、変な言い方をすれば、良い仲間であったのだが。やはり、きっかけを作ったのは人間の方だった。だが、最初は別に悪いことではなかった。里に入った人間が、ハルと同じようにこの里の壮大さに感服し、地元に戻ってそのことを広めたのそうだ。それ以降、特に取引があるわけでもないのに、ごく少数の人々が里を訪れるようになった。里の風景を一目見ようと、旅行気分で来ていたのだ。だが、ある日訪れた強欲な人間たちは、文句を言い始めた。宿屋も居食所も商店すらない、と。人間らしい考えといえば悲しくなってくるが、自分たちのものと比較したがるのが人間の性だ。いつしか人間は、木人の里を観光地と勘違いしてしまったのだ。


ただ。そこまでならまだ良かっただろう。人間と木人同士がもめる程度で済んだのなら。


事件が起こったのは、数か月も前だという。相変わらず、里には自由に人間が行き来していたが、その中に人攫いが混じっていたのだ。人攫いとは、その名の通り、人間を攫い奴隷として売りつける者たちのことだ。人間たちの間ではそういった連中がいることは周知の事実だが、今回標的にされたのは木人たち、そして、彼女たちと共に暮らしている石人達だった。


石人、彼女たちは木人と同じく、この精霊の森に住む長い耳を持つ種族で、そのことはハルも来る前に情報を仕入れていた。木人よりも数が少なく、里内でも滅多に見られない、木人の亜種だという。その一人が攫われ、行方が分からなくなったそうだ。それを機に、里の怒りは暴発し、人間との交流を絶ったということだ。しかも、一方的な途絶を敷いたらしく、本来であれば、来た者に警告もなしに、矢を放つよう言われていたとか。


「私は、それができなかった。したくなかった。全ての人間が悪人だとは思いたくなかったんだ。」


それを聞いてしまったハルは、どんな顔をすればいいかと大いに悩んだ。何せ、自分は運よく攻撃されなかっただけなのだ。他の誰かに見つかっていたら、声をかけられることもなく戦闘になっていた。そうなれば、ここへ入ることなどできはしなかっただろう。


「でもそれだと、私が許された理由がわからないな。そんなに人間に対して恨みを持ってるなら、刑に処すことくらいしそうだけど。」


「女王様も、本心で命令を下されたわけではないのだ。石人側から圧力を掛けられていたのだと思う。」


「圧力?政治的な力を押し付けられたってこと。」


「さぁ、そこまでは私にもわからないよ。石人たちとのいざこざは、それこそ人間たちなんかよりもずっと昔からあったから。」


ニシャはそう言って、それ以上は語らなかった。


「さぁ、私は私の役目を果たさなければならない。ハル、どこか出向きたいところはないか?」


「そうね。そういえば、ここへ来るまで、ほとんど何も食べてなかったんだけど。この里に人間が食べられるものを売ってる場所なんてないわよね?」


お腹に手を当てて苦笑いをして見せると、ニシャは考え込んでしまった。


「そうか、人間は定期的に何かを摂取しないと生きていけないんだったな。」


「あなたたちは、何も食べずにいられるの?」


「私たちにとって食事はそれほど重要なものじゃない。一日に一度、母なる樹エウレシアの樹液を飲むことが許されているくらいだ。」


「エウレシアって、女王がいたあの樹?」


「あぁ。ハルもあの樹の香りを嗅いでいただろう。私たちにはあれが栄養源となるが、実際には毎日飲む必要はないんだ。数日おきでも体の成長が遅くなるなんてことはないし、病に掛かることもないが、皆エウレシアの樹液が大好きだからな。私も日課のように飲んでいるよ。」


根本的に彼女たちは植物なのだから、肉や穀物を食すことはないのかもしれない。そういう生き物がいること自体、ハルには驚きだがこれから嫌というほどそういうことを知らされていくのだろう。


「でもまいったな。この里じゃあ人間の食べ物は手に入らないし・・・。」


「森で手ごろな獣を狩れたりはしない?」


「精霊の森には、大型の獣は生息していない。それに、私たち木人は殺生をあまり得意としない。血が苦手なんだ。」


これは八方塞がりだろうか。とりあえず、今は我慢するしかないだろう。


「わかった。もうしばらく我慢するわ。」


「大丈夫なのか?」


「平気よ、空腹感がこの上なく憎たらしいけど、死ぬわけじゃないから安心して。」


「ふむ、ならなおのことハルの里周りを急がねばな。」


「お願いできる?」


彼女の自宅へついて早々だが、ハルとニシャは、木の実の家を後にし、まずは高層の住宅街へと向かうことにしたのだった。


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