茶目っ気のある女王様

木人たちの里は、森と一体となっていた。


「これが、木人の里・・・。」


里の入り口は、蔦や枝が絡み合ってできた階段だった。人幅二人ほどのツタの階段は、ニシャとハルが足を踏みしめても決して揺れることもなく、上へ上へ登って行っても、不安感を感じることはなかった。やがてツタの階段は、森の上層とも呼べる木々の世界へ繋がっていた。


木と木の間の空間に蜘蛛の巣のようにツタの床があり、ツタから枝へ、枝から木の幹へ、そして幹の中には部屋の様な空間がある。それらの大きさはどれも規格外であり、枝といっても何人もの人が行き来できるほど幅があり、幹の部屋は、数十人が休めるほど広大な空間であった。森の上に街が建っているような風景は、ハルには恐ろしくもあり、不思議でとても興味のそそられるものでもあった。


「いったいどうやって支えてるの・・・。」


物理法則を無視して空中に浮かんでいると言ってもいい。実際に浮かんでいるわけではないし、方々から蔦や枝で美しく支えられているのだろうが、それでも常識的に考えれば、そんなもので支えられるわけはないだろう。特別な人達が住む里は、やはり特別な力が働いているのだろうか。


「あまり歓迎できる状況じゃないのだが、一応言っておこう。ようこそ、我らが里へ。」


ニシャは、少しぶっきらぼうにそう言い、初めて彼女の小さな笑みを見せてくれた。




里へ入ってすぐ、当然と言えば当然だが、多くの木人たちに嫌そうな視線を向けられ、尚且つ数人に取り囲まれてしまった。


「どうして人間を連れてきた、ニシャ。」


「女王様の意に背く気か?」


「これが、また悪さをしたらどうするんだ。」


これはさすがに失礼じゃないだろうかと思うが、今のハルには発言権などありはしない。下手なことを口走って追い出されるのも面倒くさいし、とりあえず黙ってやり過ごすことにした。とはいえ、気まぐれに通してくれたニシャには悪いと思っている。今彼女は、何とか大丈夫だということを必死に仲間たちに弁明しているが、彼女の仲間たちは全く受け入れてなかった。


彼女の仲間たち、木人たちは全てが女であった。いや、見た目が女なだけであって、男もいるのかもしれないが、口調や仕草からしても全員女なのだろう。特徴的な木目肌の体であっても、服は着ているしちゃんと人の形をしているが、体つきはハルの知る人とは大きくかけ離れていた。まず腰が異様に細い。手足もそうだが、彼女たちは部分的にとても細い体をしている。そして、一番特徴的なのが、やはり頭部だろう。何もせずともひくひくと動く長い耳。そして、髪の毛の代わりに蔓のようなものが生え、中にはその蔓から花が咲いている者もいる。木人と呼ばれる所以そのものだろう。彼女たちは肉を持った動物ではなく、魂を持った植物なのだ。


人の形をしているから、特に違和感は感じないが、彼女たちの生態系は人間とはかなり異なっているのだろう。だからこそ、こんな荘厳とも呼ぶべき里が出来上がったのかもしれないが。


「とにかく通してくれ。女王様に話をしなければならないんだ。」


ニシャは不器用ながらも必死に仲間たちを収めていた。その賢明さが通じたのか、やがて観念した彼女らは、散り散りに去っていった。


「大丈夫なの?」


「あぁ。・・・いや、全ては私の責任だ。お前が案ずることはない。」


「でも、そんなに良くしてくれなくても・・・。もっといい方法はあったんじゃない?」


ハルがそう言うと、ニシャは表情を暗くしてため息をついたが、すぐに首を振って何かを振り払っていた。


「いや、私が未熟なだけだ。気にしないでくれ。」


そう言って彼女は、歩みを再開させた。木人、植物とは思えない。当然だ。彼女には意思が宿っているのだ。人間と同じ感情を持ち、人としての尊厳がある。植物が、自分を未熟だと思ってるなんて、故郷で話せば笑われるだろうか。たとえ植物だろうと、人である事には代わりない。現にニシャは、自身を恥じて、改善しようとしてるのだ。そんなものを誰が笑うだろうか。


尚も道中は、気分の悪いものだったが、それはほとんどニシャに対してのものだったようで、ハルの方はそもそも眼中になかったようだった。しばらく里を歩いてたどり着いたのは、強大な樹木が乱立する精霊の森の中でもさらに巨大な木が聳える場所だった。どれだけ時間が過ぎればこんな巨大な木が生まれるのだろうか。その数字は想像もできないが、ここが彼女らの言う女王の住む場所であることはハルにもわかった。


「この中に女王様がおられる。私たちの母親だ。」


「母親?あなた女王の娘なの?」


「あぁ。私だけではない。この里に住むすべての木人は、女王様の子であり、私たちは皆姉妹なのだ。」


それは、なんという大家族だろうか。まるで蟻や蜂たちのようだ。さながら、ニシャは働き木人といったところか。


「お前のことはなるべく弁明するが、女王様がその気になったらもうどうにもできない。その時は・・・。」


「そんなの気にしなくていいよ。よそ者はダメ、なんでしょう?」


「・・・すまない。」


何かを決心したようにニシャは女王の住む樹へと進んでいく。ハルも数歩後ろを等しく付いていく。足の感触が冷たい蔦から、硬く温かみのある木目になると、そこから空気が変わったような感じがした。正確には香りだ。木の中は芳しい芳醇な香りが漂っているのだ。樹の内部を見ると、壁から樹液らしきものが垂れているのを見て取れた。メイプル、かどうかはわからないが、この樹も名のある樹液を有する種なのだろう。ただ、こうも臭いに纏わりつかれては、過ごし辛くはないだろうか。


樹の中には多くの木人たちが、それも外にいた者たちより優美で華やかな衣服を身に着けている。同じ木人でも違いがあるということは、きっと貴族のような存在なのかもしれない。ただ、みんな不思議そうな視線と睨むような視線をこちらに向けているのは明白だった。ニシャに出会った時からそうだが、どうしてこんなにも嫌われているのだろうか。それも、女王とやらに合えばわかる事だろう。


当の本人は、すでに眼前に見えていた。樹の中央に備えられている玉座らしきものに腰掛け、穏やかな表情でこちらを見ていた。そういえばニシャは、里に入ってから一度も仲間と連絡をしていなかったが、ここにいる者たちは自分たちが来ることをなぜ知っていたのだろう。そうでなければ、こんな待ち構えるように中央の道を開け、周囲を陣取るようなことはしまい。


玉座のすぐそばまで来ると、ニシャは一度ひざを折り、何かの挨拶を意味するであろう儀礼を行った。女王の見た目は、華やかな衣服を着ているのは当然だが、どこか幼く見えるのは気のせいだろうか。この樹にいるどの木人よりも、彼女は若く見える。若いうちから女王となることは人間でも珍しくはないだろうが、それにしても若い。儚く思えるほどに。


「ニシャ。いつも森の警備、ご苦労様です。」


案の定、女王の声音は幼かった。子供の声のような高い声で、まるで小鳥が鳴いているかのようだ。


「勿体なきお言葉でございます。女王様。」


「しかし、いったいこれはどういうことでしょう。なぜ、里へ入れることを禁じた人間の娘がここに?私の言いつけを忘れたわけではないでしょう、ニシャ。」


言葉は丁寧だし、字面では威厳らしきものを感じるだろうが、彼女の容姿と、その声音のせいでまったくもってその気になれないのは、この場でハルだけだろう。いまいち締まりのない女王だ。


「はっ、畏れながら、女王様。女王様が禁じたことは、我らが森で悪行を果たした人間達への報復措置だったはずです。」


「そう。これ以上彼らに好き勝手なことをさせないために、森の侵入を禁じたのです。それなのに、あなたはその禁を破ってしまった。」


「禁を破ったことは認めましょう。しかし、精霊の森は古くから人間たちとの交流がありました。掟にも外界より訪れるものに祝福を授けよとあったはずです。」


「私の命よりも、掟に従ったということですか?」


「事実そうであります。ですが、女王様を否定したわけではありません。確かに、ここ最近の人間の行いは、悪行と呼べるものでした。ですが、全ての人間がそうではないと、女王様もわかっているはずです。」


ニシャが話しているのは、ごく当たり前のことのように聞こえた。ハルは、彼女たちが人間と何が起きたかはまだ知らない。だが察するに、民度の低い者たちが他所で自由すぎる行動をとってしまったのだろう。招かれている側の者たちは、自分たちが特別な何かと勘違いしやすい。招く側は、渋々規制をせざるを得ない。だが、それによって関係のない者たちまで影響が及んでしまうのは、結局何の意味もなくなってしまう。悪行を防ぐのが目的ではなく、より良い交流をすることが真に大切なのだから。


ニシャは、そのことを女王に問うているのだ。ニシャだけでなく、周りに控えている木人たちも、何の野次を飛ばしてこないのを見ると、思うところがあるのかもしれない。そして女王も、もしかしたらそれを承知で人間の立ち入りを禁じていたのかもしれない。


「私は、警備隊としてはまだまだ未熟です。ですが、ここにいる人間が悪には見えませんでした。この者の何を知っているわけではありません。確たる証拠もありません。しかし、この者の言葉で私は決心することが出来ました。あなた様の御前へ赴くことを。」


ニシャの言う通り、ハルは特に何もしていない。ただただ、入れてくださいと頼んだだけだ。彼女はいったい何を感じ取ったのか。あの屁理屈まみれの会話で、この木人はそんなことを考えていたのかと思うと、少しだけ笑えて来る。もちろん笑ったりなどしないが、後でニシャには謝っておこう。


「禁を解いていただきたいわけではありません。ただ、この者に、里を歩くことの許しをいただきたいのです。」


ニシャは、そういうと再び儀礼を行い、頭を深く伏した。


彼女はどこまでも純粋な心を持っている。ハルにはそう感じられた。自分の行動が正しいか正しくないかなど関係ないのだろう。おまけに、その純粋さを他者へぶつける勇気も持ち合わせている。まるで物語の主人公のようだ。


女王は、頭を下げ続けるニシャをじっと見つめていた。己で敷いた禁を今更取り消すのも女王にしてみれば、自身の威厳にかかわることだ。そう簡単には覆さないだろう。だが、その表情と瞳はやはり幼く、そしてきっと心までもが幼子同然の情を持ち合わせているのだろう。


「・・・ニシャ、あなたには敵いませんね。」


「・・・。」


女王は、ハルへと視線を向けた。


「あなた、お名前は?」


「ハル。」


「ハル。季節の一つを名乗るとは・・・。私は、木人族の長、女王エルマ。ハル、あなたがその季節の名に相応しい暖かな魂の持ち主であることを信じます。この森を自由に行き来することを許しましょう。」


「いいの?また何か面倒なことになっちゃうかもしれないよ?」


「あなたが何者であれ、どんな目的でこの地に来たのだとしても、私は同胞の言葉を信じます。」


ハルからしてみれば、少しばかり甘い判断のようにも思えるが、何はともあれこれで大手を振って里を歩くことが出来る。当初の目的は達成されたわけだが、この場の落としどころはどうするべきだろうか。


「そして、ニシャ。」


「はい。」


「あなたは、女王である私の命に反しました。掟に従い、あなたを森の警備隊から解任します。」


当然と言えば当然だ。ハルは、未だに頭を付したままのニシャの顔を伺った。その表情は、身じろぎ一つとしなかったが、どこか悲しそうに見えたのは、顔に影がかかっているからではないだろう。そして、それは女王も同じだった。彼女も、どこか寂しそうな顔でニシャを見ている。自分の娘を裁くことへの罪悪感か、あるいは同胞を惑わせてしまったことへの不甲斐なさを感じているのかもしれない。だが、女王は、すぐに表情をきりっと戻し、そして少し子供っぽい笑みを浮かべると、


「代わりにですが、・・・。」


声音の変わった女王に驚き、ニシャは顔を上げた。


「あなたには罰として、その者を案内する役目を与えます。」


「えっ・・・。」


「久方ぶりの人間との交流です。無礼の無いよう、真摯に尽くすように。」


女王は最後に、片目をウィンクさせた。この女王、いや、この娘はどうやら見た目通りというか、悪戯心を持ち合わせたお茶目な女王様の様だ。空気が柔らかくなったせいか、周囲で見ている木人たちからも小さな笑い声が漏れ出ていた。


「さぁ、お行きなさい、ニシャ。」


「・・・ありがとうございます。」


ニシャは立ち上がり、再び礼を行うと、ハルに向き合った。


「何だが、悪いことしちゃったね。」


「・・・いいのだ。里を案内させてもらう。ついてきてくれ。」


ニシャの顔つきは、ここへ来るまでとは全く異なるものだった。水を得た魚とはよく言うが、どこか得意げな彼女の足取り快活なのは誰が見ても明白だ。ハルには、ニシャと女王がどのような関係なのかは知らない。だが、彼女たちは、他の木人も含め、見えない絆が存在するのだろう。何となくだが、ハルは心が温かくなるのを感じていた。

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