アカハネ伝承 ~孤独な赤頭巾と亡国のヒストリア~
宮野徹
長い耳を持つ木と石
旅人ハルは人間じゃない
森の中。獣道すら見つからない、高木の生い茂った中に、一際目立つ赤色が一つ。紅葉でも花の色でもないそれは、赤い頭巾に、赤いローブを纏った人だった。頭巾は丸く、ローブは膝上程までしかなく、足には帯が巻いてあるだけで、ほぼ裸足も同然。赤いテルテル坊主の様な格好だった。
彼女の名前は、ハル。旅人だ。赤いテルテル坊主というだけでも大層目立つ格好だが、彼女の容姿はこれまた異様なものである。純白の御髪に、薄紅色の瞳。雪のようにほの白い肌に、獣の様な鋭い眼光。まるで白毛の狼を思わせるが、見た目は単純に若い少女だ。そんな彼女が旅人として持ち合わせているのは腰帯に挿してある刀だけだ。それ以外の付属物を持ち合わせていないのは、旅人として良いのか悪いのか。少なくとも彼女には、必要のないものなのだろう。
森はとても涼しかった。こういう場所は大抵蒸し暑かったりするものだが、風が木々の間を走り抜け、草木がその存在を知らせるようにゆらゆらと揺れている。ハルは時折フードが飛ばされないように手でおさえていた。
「そろそろだと思うんだけどな・・・。」
目的地が見つからず、ハルはため息をついた。ここへ来る前に、事前に仕入れていた情報によれば、この森に特別な人たちが住む里があると聞いていたのだが、一向に見つからない。行けども行けども高木が立ち並び、人が住めるような所は見当たらなかった。
「これは、適当なことを掴まされたかな。」
特別な人、という表現がいまいちわからないが、特別といわれるくらいだから、一度は会っておこうと思ったのだが。変な期待をしてしまった。だが、悔やむことはしなかった。何せ、他に目的地もありはしなかったのだから。これも、旅をしていればよくあることだと、そう思うだけだ。とはいえ、何も無いならさっさと森を抜けたいのだが、木々が高いせいで空は見えず、正確な方角がわからない。太陽はちょうど真上あたりだ。木に登るのも苦労しそうだし、そもそも、一方向へまっすぐ進んでいればいずれは森を出るだろう。そう思っていた時、
「止まれ!」
頭上から声がした。顔を上げると、木の幹に何かを引っかけてぶら下がっている、特別な人がこちらに弓矢を構えていた。
「ここから先は、我らの神聖なる森。人間の立ち入っていい場所ではない。即刻立ち去られよ。」
特別な人、おそらく彼女は、その特徴的な肌と、長い耳を持ったこの地に住まう木人と呼ばれるものだろう。見た目は人の姿形をしてるが、その肌は、木目の様な線が薄く見られ、一番の特徴的な長い耳は、まるで動物のように見えた。
「この先に、木人の里があるの?」
「そうだ。我らが女王の命により、今は人間の立ち入りを禁じているのだ。」
矢を向けられているものの、ハルは至って冷静だった。彼女とハルの距離は高さもあるせいで、かなり離れている。仮に彼女の手が矢から離れたとしても、躱すことはそう難しくないだろう。いざとなれば、腰に吊るしたの刀でいなすことも可能だ。だが、それ以前に、彼女に攻撃の意志が感じられなかった。それに、この木人は見張りか何かなのだろうが、案外素直な性格をしているのだろう。
「今はってことは、前はそうじゃなかったんでしょう?」
ハルがそうやって言い返すと、図星のようで少し言葉に詰まった後、
「そ、そうだが、だめだ。人間を入れてはならぬと言われている。」
と、生真面目な発言が返ってきた。このまま彼女と楽しく問答を繰り広げてもいいのだが、それをするほどハルは気が長くない。要は人間でなければいいのだ。
「私のどこが人間なの?」
「はぁ?」
「人間を入れちゃダメっていうけど。私は人間じゃないんだけどなぁ。」
ハルは頭の後ろで手を組んで口笛を吹いて見せた。
「う、嘘をつくな!お前が人間じゃなかったら、・・・なんだというのだ。」
「じゃあ、聞くけど。あなたは人間とは違うの?」
「私は、人間じゃない。木人だ。お前とは違う。」
「でも、見た目ほとんど同じじゃん。」
「はっ、肌の色が・・・違うだろう?」
「むしろ同じ色の肌の人がいるの?」
「耳だって長いし・・・。」
「私は鼻の長い人に会ったことがあるわ。」
「それは、その人の特徴であって人間じゃないわけじゃ・・・。」
彼女は、どんどん声が小さくなっていった。これ以上屁理屈を並べたら、なんだが可哀そうになってくるので、ハルは一度息を吐いた後、
「あー、やめやめ。やめましょう。なんだが馬鹿らしくなってきたから。」
そう言って、フードを脱いだ。大きめのフードの中にしまわれていた長い髪が無造作に垂れ、木の葉から漏れる僅からな日光がその白髪を輝かせた。ハルが、その瞳を木人の方へ向けると、その鋭さに彼女はたじろいだ。
「私は別に悪さしようと思って来たんじゃないんだけど、理解してもらえないかな?必要ならば武器は渡すし、何ならローブの下も見せようか?」
そう言うや否や、ハルは腰帯に挿した刀を抜き地面に置くと、その場でローブをたくし上げた。テルテル坊主の中身は、ノースリーブのシャツと、短い半ズボン姿の貧相な体だった。その身には、衣服以外のものは何もありはしない。胸のふくらみでさえほとんどない。いや、無いわけではないが、そこに何かを隠していると思えるほど大きなものではなかった。
ありのままの自分を見せたハルだが、木人は一向に矢を下ろしてはくれなかった。
「ねぇ、これでもダメ?どうしたら通してくれる?」
「・・・。」
木人は何も答えなかった。ただ、何かを逡巡しているようには見えるが、その口はしばらく開くことはなかった。これではらちが明かないし、時間の無駄だ。無理やりでもいいから木人たちの里へ入りたいハルは、強硬手段を取ることにした。
「じゃぁ、こうしましょう。私に手縄でもなんでもかけて、そのまま連行してちょうだい。」
「そ、それはどういう・・・。」
「私が無理やり入ろうとして、あなたに掴まったってことにすればいいでしょう?あとはあなたの上司の・・・女王様?とかに任せればいいじゃない。」
結局、中に入れてる時点で、木人からしたら言いつけを破ったことになるが、彼女の様子だとそんなこと頭には無いようだ。
「そんなことしたら、お前は私たちの掟により裁かれるのだぞ?人間にとっては死より惨いことを施行されるのだぞ?」
「だから、人間じゃないって言ってるのに・・・。そんな刑があるなら、ちょっと興味あるけど、その点は心配ないわ。そうなる前にお暇するから。」
自分で言っておきながら無茶苦茶言ってるような気がするが、事実なので構わないだろう。重要なのは里に入ることだ。あまりにも説得力のない問答だったが、力ずくで入るのも躊躇われる。ハルなりの精いっぱいの誠意を見せたつもりだった。
木人は、長らく黙っていたが、何を思ったのかやがて弓矢を下ろし、大きくため息をついた。
「一つだけ、聞かせてほしい。どうしてそんなに我々に拘る?」
その質問は彼女からしたら当然の疑問だろうが、ハルとて大層な理由を持っているわけではない。むしろ私情にまみれた傲慢なり理由しか持ち合わせていない。
「会って、話がしたいの。ただそれだけよ。」
「話?」
「そう。人間ではない、あなたたちが、どんな風に生活し、どんなことを考えながら生きているのか。これまでどうやって発展し、どこを目指して生きていくのか。・・・そういう話をしたいの。あなたと、あなたたちと・・・。」
ハルは至って真剣だった。彼女らのことを知るためにここまで来たのだ。そのチャンスをみすみす逃そうとは思わない。少なくともハルは、穏便に済まそうとしている。罪人扱いされるのも覚悟の上だ。だが、目的を達するためなあば、その程度のことなどどうということはなかった。
そんな思いが通じたのか、あるいは彼女には荷が重いと悟ったのか、木人はようやく木の上から降りてきた。文字通り飛び降りた彼女は、草地の上に華麗に降りたが、その衝撃など全く感じていないようだった。普通の人間だったら骨を折るくらいの高度だったはずだが、やはり彼女たちは特別なのだろう。
「縄をする必要はない。ただ、武器だけは預からせてもらう。私の名はニシャ。我らの里の警備隊の一人だ。掟にのっとりお前を里まで案内する。道中下手な動きは見せず、まっすぐついてこい。里に着いたら持ち物を返す。それ以降は里内の郷に従え。」
「罪人としてじゃなくて?」
「そうしてやってもいいのだが、お前は・・・なんの掟も破っていない。ただ私が女王様の命令に背いただけだ。」
なぜわざわざ泥をかぶってくれているのかわからないが、何か思うところがあるのだろう。ハルは刀をニシャに渡し、フードを被りなおした。
「ついてこい。」
警備隊らしさを取り戻したニシャの後ろをついていきながら、ハルは森を見渡した。高木が立ち並び、澄んだ風が吹き通るこの森が、いかに神秘的な場所なのかを嚙み締めた。やがて木々はさらに大きなものへなっていき、直径十数メートルはあろう樹齢のものもちらほら見える。木が高くなるにつれ、地表は大きく開けて、まるで小人になったかのような感覚に囚われた。
人はこの森を、精霊の森と呼ぶ。人の手がつかず、自然のあるがままに形成されたこの森を住みかとする木人たちが集う、生命に溢れた秘境である。
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