第3話 その男の名は。

 ミカエラはバークに連れられて店内へ入った。喧噪渦巻く通路を歩き、二人はカウンターへと座る。


「ビール二杯」


 バークが二本指を出してそう言った。


「金は持ってるのか?」


「さっき作ったから大丈夫だ」


 バークの返答に店主は頷き、ビールを二杯のジョッキに注いで二人に渡す。


「ところでミカエラってのは本名か?」


 バークがビールをあおりながら尋ねる。


「そうだが、何故だ?」


 ミカエラは初めて見るビールに戸惑いながらも口に運びそう言った。


「ここじゃ皆本名を名乗りたがらねえ。傷持ちばかりだ、自分の存在を知られたくねえのよ。それでも名乗るのは、相手を信用した時か、お前みたいに何も知らねえかのどっちかだ」


「なるほど。だがもう気にしても遅かろう」


 ミカエラはジョッキのビールを勢い良く喉へ流し込む。


「まあそうだ。それでよミカエラ。俺から一つ提案なんだが」


 バークはミカエラの顔をじっと見つめる。


「俺と一緒に翼の大地ウィンググラウンドで一旗上げねえか?」


「……何?」


 ミカエラは理解できない顔をバークへ向ける。


「さっき、お前衛兵に反撃しようとしてたろ。しかもお前は負けるなんて考えてなかった。勝った後にどうやって自分の存在を隠そうかと考えたんだ」


 ミカエラは図星を指されたような顔を浮かべた。


 バークは辺りを見渡し、再び喋り出す。


「ここらじゃ衛兵に反撃しようなんて考えるやつはいねえ。数で負けてるなら尚更な。衛兵だって訓練を受けた軍人なんだ。単なるゴロツキが寄ってたかったって相手にもならねえ」


 バークはミカエラを指さす。


「だがお前は違った。だからビビっと来たんだ。俺が求めてたのはお前だよ。な? どうせお前も傷持ちだ。なら俺の下でビックになろうぜ」


 バークがあらかた話し終えると、店主が磨いていたグラスを置いて話に入ってくる。


「やめときな嬢ちゃん。バークの言う通りあんたが強いのかは知らねえが、翼の大地ウィンググラウンドで名を上げる奴らは生物としての桁が違う。その男に載せられたって野垂死ぬのが未来だぜ」


「だーかーらー。あんたは俺の強さを見誤ってんだって。俺だって昔は凄腕冒険者だったんだ。オーガの集団に襲われて返り討ちにしたこともある」


「だったらその証拠を見せてみろ。どちらにしても付けを払う前に死なれたら困る」


 バークと店主が言い合っているのを横目に、ミカエラはバークからの誘いについて考える。


 そして、しばらくして結論を出した。


「やめておこう。私にはやるべき事がある。これは一人でやり遂げなくてはならない。それが終わって、生きていたら考えおく。まあないだろうが」


 ミカエラは飲み終わったジョッキをカウンターに置いて立ち上がる。


「世話になった。このビールと呼ばれる物を飲んだのは初めてだが、なかなかに良い物だ」


 そのまま反対方向を向いて、店の出入口へと向かう。


 バークは慌てて追いかけ、ミカエラの腕を掴んだ。


「なんだ。お前の部下にはならんぞ」


 バークはミカエラに近づき、耳打ちするように小さな声で口を開く。


「俺の本名はバルバロッサだ。バルバロッサ=デューク=バイソン」


 ミカエラは最初、バーク……バルバロッサが何を言っているのか理解できなかった。


 しかし、少ししてバルバロッサがさっき言っていた言葉を思い出す。

 


 ――それでも名乗るのは、相手を信用した時か、お前みたいに何も知らねえかのどっちかだ。

 


「じゃあなミカエラ。待ってるぜ」


 バルバロッサはそう言ってカウンターへと戻る。ミカエラはその背中を見つめ、そして店を出た。



「随分と熱心だな。わざわざ止めに行くとは。そんなに気にいったのか?」


 戻って来たバルバロッサ、もといバークに店主は尋ねる。


「ああ。俺にはあいつが何をしようとしてるか分かる。だから気に入ったんだ」


 バークはジョッキに残っていたビールを飲み干す。


「ほう。何をする気なんだ? あの子は」


「それは言えねえが、俺の予想だとまず確実に、あいつはドーベルとぶつかる」


 バークは「予想だけどな」と付け加えて発言する。


「ドーベル。あのベルゼン王国軍最強の剣士と呼ばれるドーベル軍曹の事か? 先の戦争でたった一人で一個師団を壊滅させた伝説の男」


「そう。向かうところ敵なしのな」


「分らんな。なぜそんな男が出張って来る。テロでも起こすつもりか」


「俺らからすればそうかもな。まあそれは追々新聞かなんかで分かるだろ。言ったろ、あくまで予想だ。事実じゃねえ」


 バークは立ち上がり、店主に代金より多めのコインを渡す。


「この店に来るのは多分今日が最後だからな。取っといてくれ」


 店主はバークから渡されたコインを受け取る。


「付けの分を合わせれば全然足りんがな。まあ払ってくれるだけでも良しとしよう。もう付けが増えんと思えばある意味プラスだ」


「かー相変わらず冷たいねえ。ビールはぬるいのに」


 バークはそう吐き捨て店を去る。


 店主はその二度と来ることの無い常連の姿を見つめ、少しの寂しさと残った付けの金額を頭によぎらせて仕事に戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る