第2話 その酔っ払い、強力につき。

 金曜日の夜は、大抵の人にとっては至福の時だ。


 明日の仕事に備えて早くベッドに入る必要も、二日酔いを恐れて酒を控える必要もない。


 墨に砂鉄をまぶした様な夜空の下で、歓楽街は賑わっていた。


 大通りでは馬車が行き交い、数え切れない程の人々が笑い、煌びやかなで享楽にふけっている。


 一見すれば甘美な場所だが、1つ道を外れると、別の顔が姿を見せる。


 大通りの雰囲気とは打って変わり、道は細く薄暗い。


 まともな人は寄り付かないであろう道を、ミカエラは息を切らしながら走っている。


 夜だというのにフードの付いたローブを深く被り、その下には女性特有の端正な顔と白く長い髪が隠れている。


 ある程度を走ったところでミカエラは片手を壁につき、下を向いて上がった呼吸を整える。


 ミカエラはこのまま少しここで休憩しようかと思い、その場に座り込む。


 しかし、後方からミカエラを探す声が聞こえてきた。


「奴は居たか?」


「いえ。この辺りに逃げ込んだのは確かなんですが」


 声の主は街の衛兵達だ。軽めの鎧を身にまとい、手には棍棒を持っている。


 ――最悪だ。ミカエラは心の中でそう叫んだ。


 慌てて物陰に隠れたが、どうやら最悪の選択肢を選んでしまったらしい。


 今動けば奴らに見つかる。しかし、このまま動かない訳にもいかない。


「くまなく捜せ! あの女を捕まえて司教様に引き渡せば、俺たちの昇格は間違いない」


 二人の衛兵がミカエラの元へ近づいてくる。


 どうするか。このまま逃げるか、それとも反撃するか。2つの選択肢がミカエラの頭をよぎる。


 どちらを選んでもいい結果にはならないが、迷っている暇はない。


 衛兵達がさらに近づいてくる。覚悟を決め、ミカエラは反撃しようと腕に力を込める。


 その時だった。ミカエラの傍にあった扉が大きな音をたてて開く。


「あうっぷ。気持ち悪」


 扉の向こうから酒瓶を持った男が現れた。男は千鳥足でユラユラと前に進むと、一瞬目線をミカエラにやった。


 ミカエラの身体に変な汗が流れる。しかし、次の瞬間には男の目線は衛兵達に向いていた。


「何だあんたら。衛兵がくる場所じゃねえぞ帰れ帰れ!」


 男は呂律の回っていない口で衛兵達を怒鳴りつける。完全な酔っ払いだ。


「お前こそこんな場所で何をしている」


 衛兵の1人が男に問いただすと、男は再び怒鳴りだした。


「酒瓶持ってんのに分からねえのかお前ら! 酒飲んでたに決まってんだろ」


 男は持っていた酒瓶を指差し、衛兵の元へ近づいていく。


「大体俺らの税金で生活してんだからちょっとぐらい」


 男が衛兵の目の前まで近づいた時、男は腹を抱えて立ち止まった。


 衛兵の拳が腹に直撃したのだ。


「誰なのかは知らんが、庶民風情が俺たちに気安く話しかけない方がいいぞ」


 うずくまる男を見て、衛兵達は嘲笑う。


 しかし、男は急に立ち上がると顔色を一気に青くし、「うっ」という声を漏らして頬を膨らませた。


 両手で口を抑えているが、しばらくして両手を離し、口から大量の吐しゃ物を吐き出した。


 吐しゃ物は男の目の前にいた衛兵の一人にかかる。


「貴様! 何をしておるか!」


 吐しゃ物まみれの衛兵が叫び、男に棍棒を振りかざす。


 棍棒は男の頭に直撃し、辺りに鈍い音が鳴り響く。


「うっぷ。あー飲んだ分全部出ちまった。飲みなおさねえと」


 しかし男は特に何も気にする様子もなく、むしろスッキリとした表情を浮かべていた。


 そして自分を殴った衛兵の方に目を向けると、持っていた酒瓶を壁でたたき割り、破片で尖った酒瓶を衛兵の腹に突き刺した。


 衛兵は悲鳴をあげる事すら無くその場に倒れる。


 男は首を回して骨を鳴らすと、もう1人の衛兵の下へ歩き出す。


「来るな! おい貴様聞こえないか!」


 衛兵が静止を求めるが、男は聞く様子もない。


 その様に恐怖を感じたのか、衛兵は棍棒を高く振り上げ、男の頭に向かって振り下ろそうとする。


「な、なんだ。動かんぞ」


 しかし、棍棒はまるで空中で固まったかのように動かない。どれだけ力を加えようとピクリともしない。


衛兵は男の方へ目をやる。すると、男の人差し指が棍棒を指している事に気がついた。


「っ! 貴様何をした!」


「何って浮かしてんのさ。その棒を」


「浮かせた……? 魔術の類か!?」


「そう。誰でもできるが俺にしか出来ない芸当よ」


 男は人差し指を上に向け、勢いをつけて下ろす。


 すると棍棒は衛兵の手から離れて上にあがり、そのまま下に落ちていく。


 棍棒は衛兵の頭に直撃し、金属製の兜を叩き割った。


 衛兵は頭部から血を流して倒れる。


 ミカエラにはこの一連の出来事が理解出来なかった。


 あの衛兵達は下手をすれば死んでいるかもしれない。


 そうなれば衛兵殺しとして世間を賑わせ、国中から追われる事となり、捕まれば死罪は免れない。


 仮に生きていたとしても同じだ。少なくとも平穏な生活は送れない。


 そんな大罪を、行き当たりばったりに平然と犯すこの男は何者なのか。


 恐怖心が欠如しているのか、現に今も倒れた衛兵の身体を漁り、コイン等の金品を物色している。


 あらかた物色すると男は立ち上がり、ミカエラの方に歩いてきた。


「よお、おねえちゃん。これから飲みなおすんだが一緒にどうよ?」


 男はミカエラの顔を覗き込む。


「平気なのか。貴様は」


「何が」


 男はとぼけた様子でそう答えた。


「あんな事をすれば、国から追われる事になる」


 ミカエラがそう言うと、男は「何だそんな事か」と言って大きく笑った。


「心配すんな。あんなのここじゃ珍しくもねえ。明日にゃ綺麗さっぱり消えてる」


 男の返答を聞いて、ミカエラは自分が恐ろしい場所に来ていたのだと理解した。


「それよりどうだ。どうせ追われてんだろ? この先行く当てでもあるのか?」


「……分かった。少し付き合おう。どうせ今は無理だ」


 再び衛兵に見つかろうと、この男といれば安全だと、ミカエラは本能的に感じ取った。ならここで時間が経つのを待ち、自分の存在を消す方が得策だ。


「そりゃよかった。俺はバークだ」


 バークと名乗る男はミカエラに手を伸ばす。ミカエラはその手を掴んで立ち上がる。


「私はミカエラだ」


「ミカエラか。じゃあ飲もう。俺のおごりだ」

 

 

 

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