第9話 回顧・満月

9.

 メイの誕生日の夜は、今年の供物決めが振るわずに意気消沈する村長含めた大人達と、候補を免れて密やかに喜ぶ者達がそれぞれの思いを胸に、ただ月を見上げていた。

 

 その月は綺麗な半月だった。

 月は闇夜に滲まない様、白く強く輝いていた。それが半分となっていても、臆する事無く堂々としている。

 

 夜鳥も空の隅で羽ばたき、共に祝ってくれている様だった。

 

 俺は、そんな月の姿を見て、初めて綺麗だと思った。

 

 俺には無い強さを、月に感じてそう思ってしまったのだろう。

 

 やがて、誕生日の夜も終わりそうな頃、空にある物が見えた。

 

 それは、硝子雲がらすぐもだった。

 世界樹の樹皮や枝が、何かの理由で細かい粒子となって、キラキラと光る雲の様に空を漂う現象だった。

 

 硝子窓は珍しいものでは無かった。

 ただ、それは日中の話であって、こんな夜中に出来る事は滅多に無かった。

 「あんな所に、綺麗な硝子雲があるね」

 村人の殆どがその存在に気づき始めていた。

 

 硝子雲は悠々と浮遊し、月の方へと向かっていく。まるで月に引き寄せられているかの様だった。

 

 月を喜んでいた村人は思っていただろう、あのまま硝子雲が月に掛かれば、幻想的な煌めきを放つ、祝いの月に成る、と。

 俺もそう思っていた。

 

 硝子雲は、ゆっくりと月に掛かり始めた。

 

 俺達村人は、何故かそれを待っていたかの様に、とても静かになっていた。

 

 半月の光に差し掛かると、月の光は硝子雲に透けて地上へと届く。硝子の様な粒子も煌めきを放ち、予想していた煌めきが現れた。

 

 しかし、それと同時に予想外のものも現れていた。

 

 半月の欠けた箇所に、月の光が伸び始めている。

 

 喜びの村人達は、それを感じ取ってすぐさま、祈っただろう。

 俺も心の中で祈っていた。

 

 まさか、やめてくれ、と。

 

 半月の欠けに、半月と同じ形のものが対照的に映し出されていく。

 

 そうして、半分しか無かった月が硝子雲を通じて、キラキラとした立派な満月へと成長した。

 

 悲鳴を上げるメイの親族。

 歓声を徐々に強める村長達。

 

 「満月、満月だ!」

 

 「そんなぁ!嫌よ!嫌、やめて、あんなもの満月である訳無いでしょ!あんな偽物の満月が許される訳ない──」

 「満月だ!供物が決定したぞ!」

 俺達の心を代弁してくれたメイの母親の言葉は、無情にもどんどん掻き消されていく。

 

 俺は、こんな月を綺麗だと思った自分が憎くて仕方が無かった。

 

 もし、あのまま誰しもがこの夜を終わらせていれば、この偽物の満月に気づかなかっただろう。俺が声をかけていれば、それが出来たかも知れない。

 なのに俺は安堵し切って、ただ月を眺めていた。綺麗とさえ思いながら。

 

 俺は力強く拳を握り、無言で地面を叩いていた。

 

 そんな俺の耳に届くのは、醜くなった大人達の声だけだった。

 「きっと世界樹が私達を救ってくれたんだわ」

 何が救いだ。

 

 「これで久方ぶりの豊作の一年を迎えられる!」

 供物が出た事がそんなに嬉しいのか。

 

 「そうね、助かるわ!」

 助からない人の事は触れないのか。

 

 「まさに、奇跡の月だ!」

 奇跡?こんなものが奇跡であってたまるか。

 

 本当の守り人となってしまった俺は、メイの様子を心配した。

 

 メイは、笑っていた。

 親族に抱きしめられたり、近くで泣き縋られたりして、悲しみという輪が作られていた。メイはその中でただ笑顔を、月へ向けていた。俺は近くへ駆け寄り、輪の一部となった。

 メイは、笑顔で月を見つめていた。

 「今日の月は本当に綺麗だね!」

 

 メイへ、事の次第を必死に伝える親族達。

 

 俺から掛ける事が出来る言葉など無い事を思い出して、俺は静かに輪を去った。

 

 あんな笑顔のメイに、何も言える筈が無かった。

 

 こんな人間達の醜い部分を、あの月は目を煌めかせながら見ているのだと思うと、もう俺は月を許せなくなっていた。

 

 あの月をいつか壊したい、と俺は本気で思った。

 

 奇跡なんて、無くなってしまえ、と。

 

 その日の最後、父親が珍しく俺に言葉を掛けてきた。

 思えば、守り人の事を告げてきた、二年ぶりの事だった。

 父親は、月を見上げながら俺に言った。

 「月も海も、果実も風も綺麗なのに、それらに守られている筈の俺達人間の心だけは何故、こうも汚れてしまうのか。守り人だった俺にも分からない。お前は、心を汚すなよ」

 

 その父親の言葉を、7歳の俺は深く考えずに受け取った。

 

 ただ、父の言葉で、忘れかけていたあの虹色の貝殻を潰した感触が蘇ってしまっていた。

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