ポケモン歴について





 自分が初めてポケモンをプレイしたのは、何を隠そう『ポケットモンスター 赤・緑』(以降初代ポケモン)である。


 初代ポケモンが発売されたとき自分は小学校低学年でした。言ってしまえばポケモン直撃世代です。


 ただ初代ポケモンが発売されてすぐに大人気となったわけではなく、自分たちより上の世代である兄姉がプレイしているのを見てから買ってもらったり、兄姉が飽きたあとにお下がりでもらったりなど、自分たちの世代が初代ポケモンをプレイするのに多少のタイムラグがありました。


 それこそ今の言葉で言うならば所謂口コミで初代ポケモンの評判が広がり、評判の影響で初めて買ってもらったゲームが初代ポケモンという子も出てきて、クラスメイトの間でポケモンが一大ブームとなったのは小学三年生くらいだったと記憶しています。



 他所のことはよくわかりませんが自分の地元に関していえば、ポケモンが大流行する環境が整っていたと思います。自宅から徒歩圏内に小学校があったのはもちろんのこと、学校以外に公民館のような謎施設も徒歩圏内にありました。


 その謎施設は、図書館ほどの規模ではないがそれなりの図書室があり、上の階には貸会議室や習い事用の多目的室があって、一階のエントランスホールは談話スペースとしていい感じに机と椅子が並べられており、受付でお金払えばオレンジジュースが買えるものでした。


 今思い返すと謎施設とかではなく普通に公民館だったのかもしれませんが、当時小学生の自分としては「勝手に溜まり場にできて小銭出せばジュースがもらえる謎の建物」という認識でした。


 そんな地域環境において登場したのがポケモンである。学校ではポケモンの話題で持ち切りとなり、学校が終われば急いで家に帰りバッグにゲームボーイと通信ケーブルその他予備の電池とお小遣いを入れて家を飛び出し、謎施設のエントランスホールの一角を小学生の一団が占拠してポケモンをプレイする、というのが自分のところのポケモンブームでした。



 ただ当時は小学生ということもあり、ポケモンの詳しい仕様とか理解せずにポケモン対戦をしていました。もちろん今では当たり前である3値、個体値、努力値、種族値なんてものは全く理解していなかった。


「俺のカメックス地震覚えさせたから電気返り討ちできるぜ!」と豪語する友人に対して「じゃあサンダースでやられる前に10万ボルト撃ってやる!」と返して、実際にレベル100サンダースの10万ボルトで急所に当てて一撃で葬ったのは今でも覚えている。ちなみに今では考えられないが、初代ポケモンの急所率は素早さ依存のため、当時でも屈指の素早さ種族値130のサンダースが何かしらの技を撃てば大抵急所に当たるゲームであった。ポケモンSVで例えるならば、気合い溜めやピントレンズなどで急所ランクが上がったパオジアンといったところだろうか。それが当時のサンダースである。


 そんなこんなで、3値とか理解していない当時のポケモン対戦はとにかくレベル差で殴り合うものであり、裏技とかなしに自力でレベル100まで上げただけでヒーロー廃人扱いとなった。




 そんな小学生のポケモン対戦環境を一変させたのがニンテンドウカップである。


 正確には当時木曜日か金曜日の夕方くらいに放送していた任天堂ゲームを取り扱う子供向けバラエティー番組の一つのコーナーであるポケモン対戦のこと。


 これまでルール無用レベル差殴り合い対戦から、伝説幻ポケモン禁止、6体見せ合い3体選出、レベルは50から55までで選出ポケモンのレベル合計が155まで、というルールがこの番組によって生まれ、このルールがのちにニンテンドウカップと呼ばれるようになったと記憶しています。


 そんなこんなでテレビで「スターミー強すぎ!」と興奮した翌週にはクラスメイト全員がスターミーで対戦していたくらいには対戦環境への影響力がありました。


 そしてぶっ壊れ吹雪、エスパー一強、闘神ケンタロスをリアルに体験したのが、自分の小学生時代であった。





 その後の『金・銀』や『ルビー・サファイア』とポケモンの新作が発売される度に購入してプレイしました。ただ小学校高学年になるころには「ポケモンとかまだやってるの? 幼稚~w」と笑われるようになり、初代ポケモンのときのように謎施設に集まってポケモンをする人数は激減した。集まったのはせいぜいオタクグループに属するいつものメンバーだけだった。


 高校生になるころにはお互い別々の学校へ進学するなどもあって、オタクグループのメンバーですら集まらなくなった。この頃になると第四世代『ダイヤモンド・パール』が発売されたが、仲間と集まって対戦することもなく(そもそもポケモン仲間がいなくなった)、一人でコソコソとプレイするだけだった。ストーリークリア後はひたすらバトルタワーに潜るだけだったのは覚えています。





 その後の第五世代『ブラック・ホワイト』も一応購入しましたが、もうこの頃になるととっくに成人しており、リアルが忙しすぎてポケモンどころかゲームそのものをしている場合ではなかったです。それでも隙間時間にプレイしてはいましたが、四天王を倒してエンディングを見た記憶が全くないので、ストーリー攻略中のどこかで挫折したと思います。



 そんなこんなで、第五世代『ブラック・ホワイト』で自分のポケモン歴が途絶えました。








 あれから時間が経過して、一昨年に転機が訪れました。


 ポケモンを再びプレイするきっかけは家族の話になってしまうため割愛しますが、家族へポケモンを買う用事があっていざ購入するときに「せっかくの機会だし、自分のも買って久々にポケモンでもやるかー」とふと思い、時期としては21年12月で前の月にリメイク作品『ブリリアントダイヤモンド・シャイニングパール』(以降BDSP)が発売されていたこともあって、プレゼント用と自分用とで両バージョンを購入しました。


 で、自分が一番ドハマりしたわけです。


 いやまあ、最後にまともにプレイしたポケモンが第四世代だったわけですし、そのリメイク作品ともなれば思い出補正もあってかなり面白かったんですよ。


 そんなこんなで当時と同じくストーリーをクリアした後は一人でひたすらバトルタワーに潜っていました。


 しかも今回はネットでポケモン育成のことを調べて、孵化で個体値厳選から努力値振りなどの育成を初めて行いました。


 そんなガチ育成をしたポケモンでバトルタワーに潜り続ける日々。仕事から帰り家のことを済ませて自由時間になった途端バトルタワー。何ならテレビとかYouTubeを視聴しながらのながらプレイするほどまでにドハマりしていました。


 そうしてポケモンSVが発売される直前には、BDSPのバトルタワーで通算2000勝を達成していました。


 そのときのツイートがこちらになります。

 https://twitter.com/yuki_sugiura_/status/1591807262502584320





 そうして去年の11月、オンラインによるポケモン対戦デビューをしたわけです。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る