第17話 帰還

 日本に帰る前に主任から説明を受けた。

「地球から飛ばされた時間に帰れるはずだ」

「え? そうなんですか?」

 ……そうすると、むこうは金曜日の午後六時頃でしょうか。

「だから、地球上で居なかった時間は無くなる」

「?」

「今のところ、地球世界が俺たちの存在を証明してくれている。あちらの世界でのことは無かった時間になる」

 存在の証明。

「……そうなんですか? それじゃあ記憶は?」

「それは、大丈夫だが、体は一瞬で二日間の経過の負担がかかるようになるので暫く動けんぞ」

「うはぁ」

 私はついうめき声を上げてしまった。こっちに来た時のあの不快感を思い出したからだ。

「向こうに帰ったら、すぐ帰れるのか?」

「はあ、ええと帰る準備はしてします。鞄が机の上に、……あと引き出しにタイムカードがあるのでそれを押したらもう帰れます」

「……分かった」

 風鈴の様な音色が聞こえて、それとともに船酔いのような気分の悪さが襲ってきた。

 たった二日前のことなのに私はすっかり忘れていた。眩暈と指先まで冷えていく感覚、足元に力が入らず、つながれている手を私は握りしめた。

 ……ただ、その手は握り返されることはなかった。

「くっ」

 その声に、遠のきかけた私の意識は呼び戻された。

 薄く目を開くと見慣れた白い壁、白黒の大理石の床、それはまだ少し発光していた。

 読み取れない文字は絵のような。瞬く間にそれも、何もなかったように消えていった。

 まだ、動かすことができない私の体は床に片膝をついている主任の腕の中に抱え込まれていた。

 ――す、すみません。今度は重かったんですね。

 はい。でも私も指一本動きませんよ。一応音は聞こえるし意識はありますが……。

 社内に響くエアコンの作動音がします。

 なんか、なにもかも懐かしい。これ、誰のセリフだっけ?

 主任は自分の体と私の身体を引きずるように壁際に移動してしばらく壁にもたれて休んでいた。

 それから、主任は私を壁にもたれさせて、立ち上がった気配がした。

 でも、私の握っていたネギは抜き取られた。

 ダイくんのくれたネギ!

 でも残念ながら、口も指も動きませんとも。

「……大丈夫ですか? タクシーより救急車の方が」

 聞きなれた守衛のおじさんの心配そうな声が聞こえてきた。私は少しの間意識を失っていたようだった。どうやら、目立つ表玄関より裏口の方へ出たようだった。

「ああ、大丈夫です。僕が責任をもって送っていきますから、っと」

 抱え直しましたようですね。すみません。勇者様……。異形のころ……、ごほっ。禁句でしたね。

 私は乗せられたタクシーの適度な揺れにうとうとと本格的な眠りに入っていった。


 最初の違和感に気づいたのは、お気に入りの抱き枕の感覚がないことだった。イベント限定で手に入れた○○○○様の抱きまくら! 私は手探りでもぞもぞ探した。このあたりにあるはずの壁にも手は当たらない。

 ……何か、シーツの肌さわりも違う。

 私は薄く目を開けたけれど私の身体の真下にあるはずの添い寝シーツに描かれている○○○〇様はいなかった。

 ――ここどこだっけ?

 私は頭を持ち上げようとするとがんがんと二日酔いのように頭が痛んだ。

 昨日飲み会だったかなぁ? 私は、眩暈と頭痛に額を押さえた。

 重い身体を起こそうとしたけれどままならなかった。その時左手のバンクルが目に入った。

「!」

 左手中指の指輪も健在だった。

「夢じゃなかった?」

 はっと自分の身体を見下ろせば

「うぎゃっ?!」

 キャミと下着のみだった。愉快な記憶は何もないので多分、セーフ、セーフと思おう。

 私は慌ててシーツを体に引き寄せた。

 自分が確か最後に着ていたのは会社の制服だ。確かにあのままではしわになって困るのだが、今はどこにそれがあるのか。

 私はベッドの上から部屋を見渡した。

 この部屋は寝室らしくフローリングの床に作り付けのクローゼットが壁面を占めているシンプルで無駄ない雰囲気だった。

 それは持ち主の性格が表れているようだった。

 窓からはお昼時の日差しがカーテン越しに部屋に注がれていた。そうこうするうちにベッドの端に無造作に置かれたシャツを私は見つけた。

 掴もうと気持ちは倍速で動いた。

 もろくろく身体は動きません。気持ちね。気持ち! 

 しかし、手に取ったそれは明らかに男性用の白いYシャツでした。

 とりあえずなんか羽織らないと思い私はそのシャツに袖をとおした。

 それから、やっとの思いで起き上がって寝室のドアを開けた。そこは広めのキッチン兼のリビングみたいで、そのソファベッドに寝転がっている人物を私は発見した。

 その人物はジャージにTシャツの無防備な格好で寝入っていました。前髪を下ろしているので少し若く見える。

 こんな機会はないだろうと間近でしげしげと見下ろしていた。

 やっぱり、なんでしょうか。目つきの鋭さが怖さを助長しているんですかね。こうしてみるとそんなに怖くはないむしろ……。

 そう思って私はついよく見ようと近寄りかけたらバランスを崩しかけました。なんとか押し止まって、セーフっ。

 しかし、気配に鬼神様は目覚めた! もう一度、眠りの魔法を希望します! 

 鬼神様は、片目を開けた後、やっぱり眼を全開に見開いて飛び起きました! 

 そんな、人を幽霊でも見たかのように驚かなくてもいいんんじゃないですか?

「ああ、そうだった。……大丈夫か? 立科」

 主任はそういってソファの上でぐったりと肩を落としていた。あきらかに疲れているご様子でした。

「何だか私は主任様にその言葉をかけられ続けてますね。いろいろ気を使っていただいてすみません」

 そう言って頭を下げた。

「……制服は皺になりそうだからそこに掛けてある」

 そう言って主任様は壁のハンガーにかかっていた私の制服を指し示した。だけど何だか主任様の急に不機嫌になった気がします。

「だああ、早くしろ、それかその位置は今すぐやめろ」

「はい?」 

 主任様の目線から私は後ろを振り向いた。

 そこには大きなリビングの窓から午後の光がさんさんと気持ちよく降り注いでますが? それが何か?

「馬鹿。動くな」

 馬鹿馬鹿と繰り返しながら主任様は起き上がって私の制服を取って手渡してきたので私はそれを持って寝室へ戻った。

 一人残った鬼神、いえ主任様が呟いたことまでは知らなかった。

「あの馬鹿が、シャツ一で男の前に立つんじゃねぇよ。しかも、透けて見えるんだよ。っつ、しかし……」

 やべぇ、と頭を抱えて呟いたのは聞こえなかった。

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週末異世界奇譚 異世界召喚は上司と共に 危険手当も超勤もありませんが えとう蜜夏☆コミカライズ傷痕王子妃 @135-etokai

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