15 賢者の石
手紙を描き終えました。
ほとんどはマリアの物語になってしまいましたね。
奥方と侍女の間柄でしたから、どうしてもこうなります。
私しかしらない彼女のことを残しました。
私の友達。ソーマの本当の母親のこと。
いまの私は幸せです。不幸だった彼女の分まで幸せなんです。
書かなくたって、シニロウさんは知ってくれてる。それで十分。
書き終えて満足したせいでしょうか。
体調がすぐれないときがあります。
めまいを感じたり、以前のように食事が喉を通りません。
年でしょうかね。
ふと外を見ると。通っていく馬車が目に停まりました。
いまや動力の中心は蒸気機関。
路面電車や自動車が増えていくなか、珍しいと思ったのですが。
扉には紋様がありました。
貴族の家紋です。
10年ぶり以上も昔に見た、オスタネス家の家紋でした。
「バルバリ……」
忘れていた怒りが、私の中に、湧いてきました。
□ 〇 □ 〇 □ 〇 □ 〇 □
バルバリは庭師が作った畑すら焼いて行ったが、植物は灰の中から逞しく芽吹いた。メイラの世話で作物は成長し、小麦や野菜が収穫できる畑に戻った。
森に入れば木の実や薬草が採取し、ウサギも狩れる。橋から竿を垂らせば、魚も釣れる。
食に関して困ることがなかったのだが。マリアは衰弱がひどかった。
「名前はお決めになりましたか」
メイラはスープを飲ませながら訊ねる。弱った体の出産はかなり負担だったようで、2カ月たったいまもベッドから出られない。乳は十分にでており赤ん坊は元気なのだが。頑張って食べた分がすべて母乳にまわってる。
「……メイラが決めて。あなたが育てることになるから」
メイラは苛立つ。怒鳴りたくなった。失ったものの大きさはわかるけど、あなた母親でしょ。子供のために元気になりなさいよ。殴ってやりたかった。
病人を叱るわけにはいかない。
「弱気なことを。バカおっしゃってないで早く元気になってください」
「そうね。外の空気を吸おうかな。森に連れていってくれないかしら」
家そのものが森の中にあるのだが、外に行く意欲が湧いたのは良いこと。メイラはその望みをかなえてやりたかったのだが、立つことさえできない病人を連れ出すなどできはしない。
重さを操作できるグラビティという魔術がある。運ぶ魔術ではないが、軽ればメイラでも抱えることができる。けどそれは難関な魔術。誰かが使った話を聞いたことがない。
「すみません。私にもっと力があれば」
「いいのよ……」
マリアは、弱弱しい手でサイドテーブルの引き出しを開ける。
「昔、弟のことをズボラな手抜きとからかったけど謝らなくちゃね。一枚あれば何度も使えるし、いちいち描く手間がはぶけて楽」
伏せっていても調子のいいときがある。そんなときは思いついた錬成陣を書き留めていた。大小の用紙に手書きの錬成陣がびっしり描き込まれていた。そのうち一枚をマリアが引き抜いた。引き出しの紙束がばさばさと落ちて、床に散らばった。
「あ……」
「私が拾いますから奥さまは寝てて。どれです?」
20枚ほど床に落ちた中から、椅子の略画が描かれた1枚を指さす。
「こういうのがあれば便利だとおもって。”錬成言”は〔車椅子〕よ」
錬金術師の『声』は魔術の『呪文』にあたるが原理は異なっていた。メイラはそのどちらとも使える。紛らわしいので、マリアは発動の言葉を『錬成言』と呼ぶことに決めた。
メイラは椅子の画の用紙をじっとながめて原理を理解する。その思いつきに、なるほどと驚く。床において〔車椅子〕と声にだした。錬成陣が輝き、指輪として身に着けていた林の石粒がくだけた。
「石が!」
「かまわないわ。また作ればいから」
石粒を素材として、車椅子が錬成された。石のなくなった指輪が寒々しい。
「おお……」
鉄組で造られた椅子の左右には大きな輪車。後ろについた取手を握って介護者が推す仕組みだ。マリアを載せて押してみた。
「……けっこう重いのですね」
「ほぼ鉄だからね。改良しないと実用するのは難しいわね」
巷では自転車とやらが流行ってると庭師が話していたことを、メイラは思い出した。その仕組みが転用できるかもと想像してみたが、実物をいたことない。そもそも森では不可能な話だ。
介護する要領でメリアを車椅子に乗せた。取手を押して家の外へ出る。板をゆるく置いて、3段ある階段をスロープにした。
「あそこでここでいいわ」
森に行くのだと言ってたが、マリアが指定したのは家の反対側。
「ねぇ。荷物をリュックにまとめてくれないかしら。赤ちゃんのぶんも。食糧は5日分で。暖かい服装に着替えてきてね」
「その体で街に出るのですか。まさか……復讐? バルバリの目が光ってます。容易に捕まるだけですよ。せめてご自分で歩けるくらい元気でなってからにしてください」
マリアは答えず、巾着袋を取り出した。指がプルプル震えてる。こんな袋を持つ筋力さえない。
「受け取って。思いついた便利な
受け取りながら意味を聞き出そうとした。マリアは微笑んでつぶやく。
「ふふ。私はバカだけど死期くらいわかるつもりよ」
まだ19歳だというのに、眼窩がくぼんで黒ずんでる。瞳はかつての輝きを失っていた。生命を使い切り人生の謎を知り尽くしかのような達観した笑顔をみせた。
メイヤはずっとみないふりを通してきた。だが黒く縁取られた目元が示すのは死期の迫った老婆だった。
「奥さま……」
メイラたちを見送った後、マリアは死ぬつもりだ。この森で孤独に。
「お願いします」
言われた通りに旅立つ準備をした。ハレルヤが狩ってきたウサギの毛で作った内着。魔獣の毛皮で作った外套。狐毛のマフラーに熊の帽子。野宿の雨露にも耐えられ完璧な暖かい服装だ。赤ん坊はより厳重に着せた。
もどってみると、マリアは格別大きなスクロールを広げて地面に座り込んでいた。
「赤ちゃんを抱かせて。最後のおっぱいをあげる」
赤ん坊は、あうーっと、はだけたおっぱいをちっちゃな指で、しっかりつかんだ。こくこく美味しそうに母乳を飲んで、ちいさくゲップ。満足して寝てしまった。
「赤ちゃんと一緒に後ろに下がってて」
メイラは赤ん坊を預った。だらしくない開いた口からよだれが垂れる。父を亡くした彼は、いままた母親と別れる。メイラはよだれを拭いて、自分の目元も拭いた。
「復讐するなんて言ってたけど。メイラは気にしなくていいからね。錬金術に打ち込めて満足したからもういいの。あなたたちへプレゼントを贈るわ。大切に使って」
錬成陣に両手をついた。
「彼に連れてってもらった森一周の新婚旅行。楽しかったなぁ。あのとき、あちこちに錬成陣を仕込んできたの。いつか森の自然が失われそうになったとき。まるごと移転できたらなんて、子供っぽい夢をもってね。こういう形で使うなんて思いもしなかった」
下がったメイラから表情は見えないが、陣の上に水滴がこぼれおちたように思えた。天に挑むように顔を上げたマリアが『錬成言』をつぶやきはじめる。
それはいつか聞いた『錬成言』に似ていた。あのときは林をまるごと『似せ賢者の石』に変えた。
声はとても長かった。斜めの影をつくった陽は真上にさしかかった。
メイヤはその間、赤ん坊のおしめを替え、水を飲ませ、母乳代わりの麦粥を食べさせる。自分も、カンタンな食べ物を口にいれたり、背後の林でトイレを済ませた。
そうして――。
「〔――空に抱かれ大地に立つあまねく万物たち今ここにひとつの円環とならん:賢者の石〕」
家を含んだ一帯が光の中に包まれた。長かった『錬成言』とは思えなくくらい、あっけなく森も家も消え、マリアの姿もなくなった。
森があったエリアは地中深くえぐりとられ、断裂された小川の水が滝となって流れ落ちた。障害物の消えた視界ははるか遠く。果ての連峰までまっすぐ見通すことができた。
マリアがいた車椅子の上には、くすんだ石がぽつんとあった。
その石を手の平に載せた。
陽にあててみると中には、森とメイラたちが住んだあの家が映っていた。なかから、声が聞こえた気がした。
―― 私って、幸せだったのかしらね
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