13 奪われた幸福
シニロウさんと出会ったのは、私がお店を出して、数年が過ぎた時でしたね。
ソーマは5歳だと記憶してます。
あなたとの出会いは最悪でした。
覚えてますか。「これを作ったのはこの店か!」って怒鳴り込んできたんです。
錬金術師狩りが来た。私は思わず反撃しそうになりました。
庶民っぽい服装をしてなかったら、怪我ではすみませんでしたよ。
あなたは
寸分たがわない精巧な陶器をみて、製造に活かそうとしただけでした。
私を一目みるなりシニロウさん。「惚れた! 結婚してくれ!」ですって。
錬金術師狩りではなくヘンタイだったんす。
思わず蹴って追い返したのは、いい思い出です。
□ 〇 □ 〇 □ 〇 □ 〇 □
グレンとスイレンの双子はすくすくと育った。唸る大自然の恩恵を受け、都会で育つ大多数の子供と比べてありえないほど暢気で健康な2歳児に成長した。
「ぱぁぱ。うしゃぎしゃん」
「うつよー【ウォーターバレット】」
兄妹は、森から飛び出した不幸な野うさぎを1匹、捕まえた。後ろ脚を2人で一本づつつかんだ。トテトテと歩いてきて、カウチに座るハレルヤとマリアに自慢する。
「みっけたのはぐれん。あたし、まじゅつで、たおしたんだよー」
「よくやったそれでこそ僕達の子供。今夜はウサギのシチューだな」
ハレルヤが頭を撫でてやると、嬉しそうに、ぴょんぴょん跳ねる。「こっくにわたすー」と駆けていった。
「いい子になったわね。この自然とあなたのおかげです」
陽気な春の日だった。芝を刈り揃えた庭に冬は納屋にしまう野外テーブルでメイラがお茶を準備する。カップを口に着ければ、ハーブティの清々しい香りが鼻孔を抜けていく。
「ごめん。僕は君に謝らなければいけない」
「とても幸せな気分なので、いまならなんでも許せます。メイラとの浮気報告ですか?」
侍女が睨みつけ「冗談は顔だけにしてください」と、口角を釣り上げた。
「あははそういう謝罪じゃない。僕は君一筋。他の女性は目に入らないさ」
ハレルヤはもうひと口、お茶をすする。子供たちが走っていくのを見つめて、吐き出すように言った。
「いまだからいうんだけど。コックに、蜜を薄めた飲み物を作らせたんだ。とある味に似せてね」
マリアとメイヤがハッとする。蜜を薄めた飲み物。このカミングアウトが示す意味はひととつしかない。
「キミは、ノーランムーンの蜜を飲んでいたね。避妊薬だ。気づいたときは最悪な気分だったよ。愛を受け入れてくれたと信じたキミが、裏切っていたんだからね。仕返し――になるのかな。僕は中身を入れ換えかえた。すぐにお腹にグレンとスイレンが宿った。ビンゴってわけさ」
かつて、マリアと侍女はその件でもめた。メイラは過失を認めようとせず、むしろ子供ができたことを喜べと開き直った。幸せな日々を過ごせてるのは結果論。マリアは激しく恨んだものだった。
「今も……許せない?」
「僕は子供がほしかった。兄とはずっと疎遠だったから仲のいい兄弟とかね。それがかなった。許すもなにもないよ」
「私はずっと怖かった。恨んでる貴族に取り込まれていく自分が。あなたに溺れていく心が……でも」
「いまは、もう飲んでいないよね?」
「いじわるなパパでちゅね」
マリアは膨らんだお腹を撫でると顔をあげ、キスをねだった。お腹にはグレンとスイレンの弟か妹がいる。ハレルヤは肩を抱き寄せ唇を重ねた。
「3人目も元気だといいな。もしかしたらいきなり4人目かな」
「そうね。5人目かも」
「おいおい」
そのとき遠くで馬がいなないた。方角は南。それ以外の方角から人が来ることはない。
食糧が運び込まれコックが交代がしたのは昨日のこと。定期便以外で誰から来たことはない。ひずめの音が大きくなった。
馬に乗った3人の従者と2頭立て馬車が森を抜けてくる。荷車でなく豪華な人間用。扉と旗に、オスタネス家の紋章が描いてあった。
紋章をみたメイラは青ざめる。口をきゅっと閉じて小走りで家の中へ入っていった。
「やぁ。我が弟――とそちらの美しい方は妻となった錬金術師であるな。それと麗しの我が妻メイラ――は、つれなくも消えたようだな」
馬車が停止する。降りてきたのはバリバリだった。相変わらず遠い森だなと、首をコキコキ鳴らし歩む。
いつか以来の油断のない目にマリアの背筋は凍りつく。何の用? 言葉を飲み込んで口元だけで微笑んだ。油断ない目を向けて。
「ご機嫌麗しいですわね」
「キミこそご機嫌ではないか。ハレルヤの子を産むとは。幸せに太っているようで天国のご両親もさぞかし喜んでいることだろう」
「……私は」
そのように仕向けたのはバルバルだ。踊らされてると承知してる。相思相愛で幸せなのだという重いフタ心を閉じ込めてきた。こじ開ければ幸福のかなりの部分が逃げていくだろう。バリバリの言葉はフタこじ開け兼ねない。
「ど、どうしたのさ兄さん! 突然」
ハレルヤが言葉を遮って立ちあがる。彼が座っていた椅子が空く。その上を吹気抜けた空気はやけに冷たかった。
「あー。父上がお前を連れてこいと言うのだ。使者を差し向けてもよかったのだが、私も、久しぶりに弟の顔がみたくなってな。こうして直々にやってきたといわけだ」
いかにも困ったというふうに、バルバリは両手を広げて天を仰ぐ。
「父上が? 急な話しですね。隠遁した僕にどのような御用でしょう」
「死ぬ前にお前と話しをしたいと申してな。良き昔をふり返りたいらしい」
広げた手を胴にもどしたバルバリは、極めて自然な動作でサーベルの柄に手を載せる。爵位を受けた貴族は帯剣を許される。剣は権威の象徴でもあり、公式の場か戦いに赴く以外で携える貴族はいない。金属だから腰は冷えるし重いという実務的な理由だ。
バリバリは細剣を携えていた。
「まさか。弱っておいでなのですか」
「それこそまさかだ。毎日10キロ走っているし食欲も旺盛。殺しても死なぬが、昔は20キロ走っていたらしい。老いたと思い込んでるだけだ」
はっはっはと腹を抱えて笑うバルバリの足がまた一歩進む。たわいもない話にハレルヤも調子を合わせて苦笑い。兄の目は笑ってなかった。弟へ近づく歩みに緊張の様子が隠せない。2人の距離はさらに狭まる。
マリアは背中に嫌なものを感じていた。それは少しづつ強くなる。
「父上らしいですね。兄上は今晩泊って、明日の朝に一緒に出発すればいいですか」
「このまま父の元へ行くのだ。急げば明朝には着こう。馬車に乗れ」
「ほんとに? 急ですね。では準備をしてきます。普段着というわけにいきませんので」
家に入ろうと背中を向けた。そのとき、バルバリは腰を沈めるとともに大きく踏み込んだ。柄にかけ腕が剣を抜いた。
マリアがとっさに叫んだ。
「ハレルヤ! 避けて!」
「っえ?」
森で磨いた危険察知。緊急を帯びた妻の声に体が反応し、ハレルヤは横へしゃがんだ。バルバリの狙いは外れる。心臓を突いた剣は、だが、ハレルヤの肩を貫いた。
「うぐぁ!」
「ハレルヤ!」
鮮血がほとばしった。ハレルヤの体を染め、マリアの顔に降り注ぐ。重傷を負ったハレルヤは、苦痛に顔を歪ませながらも、魔術で反撃する。
「【ウィンドカッター】」
刺された剣が断ち切ると、間髪おかずに「【エアボム】」を唱える。風の爆弾でバルバリは吹き飛ばされる。
空中高く舞いあげられたバルバリは冷静だった。回転する体勢を立てなおすと、足下に向けて【トルネード】を発生。激突することなく着地した。
「ふむ。魔術に磨きをかけたな。さすがわオスタネスの直系だ。驚かされたよ」
無傷だった兄と対象対照的に、弟の傷は深い。膝を着いて息をすることもままらない。
「はぁ……はぁ……兄さん、なんで」
「何で? しれたこと。お前の首を父上の前にもっていくのだ」
「ち、父上がそうしろと? 書面にサインして爵位を手放してる。命も取るのか」
「爵位をゆずる書面な。あれは偽造だ。
「それでは全部、兄さんの謀りごとだったと、いうわけですか」
ハレルヤは蒼白になる。足元には血だまりができていた。歯を食いしばり立ち上がろうとする。だが失血で体に力がはいらない。気力をしぼって倒れないでいる。
「足りない頭でよく理解できたな。お前はここで死ぬ。お前の死を知った父上は、この俺に爵位を譲るほかなくなる。安心して旅立つがいい。どれ。頭だけ残して火葬してやろう【ファイヤーボール】」
近距離の火球。動けないハレルヤは避けられない。
「ハレルヤ!」
マリアが飛び出し、身を挺してかばった。夫婦仲良く火あぶりと彼女は覚悟する。2人と火球の間に、水の壁ができた。バルバリは驚き、すぐに納得する。
「なんだと……、ふん。メイラか」
マリアがふり返った。家を背にしたメイラは【ウォーターウォール】を発動た。水の壁を作って火球を防いでくれたのだ。元夫を睨みつけるメイラは油断なく構える。
「あなたは、貴族の面汚しです!」
バルバリは、眉間にしわをつくったが直ぐに消し去り、せせら笑った。
「言いよるわ。
メイラの拳が固まった。
「なんて酷い言い草!」
マリアの頭に血が上る。侍女に代わって怒鳴った。
「酷い? デブ錬金術師に言っておこう。たかが言葉なぞよりもずっと酷いこともあるのだ。知っておるぞ。ハレルヤと組んで俺に一服盛ったことを。なあメイア」
メイラはうつむいた。薄っすらと笑顔を浮かべて。
「……」
「無言か。つまり認めるのだな」
「そうですね認めましょう。ハレルヤ君が気づいたのです。コックたちが交代する時、『一角トカゲの角粉』を持ちかえっていたことに。ご主人であるあなたに渡すのは明白だったから、その中に、『粒ムキタッチ』を忍ばせておいたってわけ」
「つ、つ、『粒ムキタッチ』だとっ!?」
『一角トカゲの角粉』は強力な強壮剤。『粒ムキタッチ』は、飲むと3か月以内に生殖機能が破壊されて子供の作れない身体になる。キラーボール草の分量を増やしたムキタッチを分身トゲリスの粒に入れた薬で、食感は一角トカゲの角粉に似ている。
「いつだ、いつ効能がキレる!? いつ子供が造れるようになる」
「いつですって。あははは。いつ? あははッ おかしーっ!」
笑いはじめたら、止まらなくなった。声はどんどんヒステリックになっていく。息を継ぐのやっとで、お腹に手を当て体を二つに折って苦しそうにあえいだ。
「ったく。笑わせくれます。ばっかじゃないのと言ってさしあげますよ。『一角トカゲの角粉』を服んで男が子を成せるはずないでしょう。一生よ。死ぬまで子供は作れません」
「こ……この、この、ロクデナシがっ!」
「義父上にバレたら大変だですわね。子の成せない男に爵位なんて継がせるものか。そう言って激怒なさるわ。いい気味です。プレイボーイを気取って私を捨てた報いよ」
「おのれ、、おのれおのれ、貴様らまとめて炭に変えてやる!」
広げた腕下にずらりと並んだ精霊瓶が光りだす。広範囲攻撃の魔術と使おうとしてる。
「……ぐぬぬ」
だが、彼は発動せず思いとどまった。コメカミが、ミミズが侵入しかたのように大きく膨らみ、どくっどくっと脈を打っているの。だが自制したのだ。
「……殺してやりたいところだが、……女を手にかけるほど落ちぶれておらん。その代わり死ぬまで悔やむといい 【スリープ】」
バルバリは言い放ち、マリアとメイラを眠らせた。
2人が目を覚ましたときには、辺りは悲惨なものになっていた。家は半壊。コックや庭師、執事たちはおらず。2人の子供――グレンとスイレン――も連れ去られていた。
首のないハレルヤの骸だけが残っていた。
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