09 薬効注意



 地下に作った研究室にこもっていると、時々、あの人を思い出します。

 友人といっていいのでしょうか。


 向こうっ気が強いのに意気地がなく、ときの状況に流される。

 私の人生を変えた人でした。


 このころ取り掛かったしていた研究でしたね。単純です。

 売り物のバリエーションを増やそうと、考えていたのです。


 巾着袋に持っていた錬成陣の紙スクロールは多かったのですが、

 品物で売れる物は、ほとんどありません。


 人気の水差し、コップ、茶器などですが、どれも錬金術の定番品です。

 色付けはオリジナルですけど、足がつくかもしれないので店では売れません。


 新しい商品をできるだけ早く。

 それも多くの種類を揃える必要がありました。

 眠る時間を減らしても頑張ったのは、久しぶり。


 この手紙のせいで眠いのは、そのときぶりです。





 □ 〇 □ 〇 □ 〇 □ 〇 □




 森は恩恵も与えてくれるが、刺されると高熱をだす虫や、庭師の畑を荒したり人を襲う害獣にもあふれてる。

 ハレルヤは朝食の後はいつも森にこもって、昼まででてこない。


 マリアは鏡を見つめた。そこには、彼の安否を気遣って爪をかんでる女がいた。ハレルヤを思うだけで温かいものに包まれるとは。あり得ないくらいの心の変化に、驚きを通り越し嫌気すら感じる。


「まぁ。人は変わっていくものよ」


 言いきかせて目をそらす。どれだけ嘆いても終わった過去は戻らない。家族を失くした不幸な憐れむより、ハレルヤの愛に応えて前向きに生きよう。そんな決心をする。


 ノックの音がした。扉が開き、薬瓶をもったメイラが入ってくる。「どうぞ」と答えるまえに侵入する侍女のふるまいにも、慣れてしまった。


「奥さま、これをお飲みください」


 あの夜から、メイラとは打ち解けた間柄になった。「仲良く」というわけではないが、こんな辺鄙な屋敷で、手軽に話せる同性というのは、どちらにとっても貴重な存在だった。


 薬師の心得があると断言するメイラは、作った新薬を試そうとする。

 害獣避け薬と毒粉薬は、どちらもよく効いた。人間用には、毒消しや体調回復が効果を発揮した。


 屋敷中が感謝しているが、被験者に立候補する人はいない。安全が保障されてない開発薬は飲みたくない。すすんで飲んでいたコックは倒れた。メイラの気を引くため頑張っていた彼は3日間も生死の狭間をさまよった。

 以来、カナリア役を仰せつかってるのはマリアだ。悲しいことだが奥さまのヒエラルキーが一番低かった。


 薬瓶をみたマリアはふと、何かに思いあたった。


「あの夜だけど。お酒の中に薬を混ぜませんでした?」


 マリアは、媚薬を飲まされたことを覚えてなかった。あのあと・・・・深酒したせいで、忘れてしまったのだ。侍女は薄く嗤った。


「たいしものではございません。『エターナルラブリー』を少々混ぜました。よくある惚れ薬ですね」


「たいしたことあるじゃないのよ」


 生涯愛する薬など、もはや薬ではなく呪いだ。

 ハレルヤを思う心は薬物による幻覚で、虚像だったとは。


 マリアは研究室へ駆け込んだ。隣りが隠し研究室だとは誰にも言ってない。メイヤは壁をすり抜けたマリアに驚いたが、刃物をもって現れたことにさらに驚く。マリアは、細断用刃物を握りしめていた。


 マリアが刃物をふり上げる。忌々しい女を殺す。そんな殺意がこもってる。

 だが、メイラはしれっと舌をだした。


「冗談です。だたの一角トカゲの角粉です。生涯効く薬などありはしません。それとも錬金術には永久薬は存在するのでしょうか?」


「……嘘なの?」


 マリアの手が止った。メイラは嘘をつづける。


「奥さまの心が決まっておいでなのは分かってました。あと一歩。きっかけだけが足りないと思ったので、後押しをさせていただいた次第です」


 マリアは反論できなかった。「力づくで」と言ったあの時とは何もかも違ってしまった。心の多くがハレルヤに奪われており、受け入れていたのは時間の問題を分かっていた。


「あなたって人は」


 メイラの言葉がどこまで本当か読めない。マリアは刃物をテーブルに置いて力なく座った。

 メイラの背中は汗でびっしょりだった。


「……それで。きょうはどういった薬の実験台となるのですか」


「実験台などと。ネズミと狸では何度も試してます」


「人間は、はじめてなのね」


 この前は、キラーボール草の粉末だった。ネズミ駆除に使われる毒だけど、少量なら、数日だけ生殖機能がマヒする。男女とも望まない妊娠を避けるときに飲む薬で、子供を作るつもりのないマリアは喜んで飲んだ。自分も調合できるくせに催促してくる。


「私も飲んで安全を確かめました。こうして生きて動いてますよ」


 メイラも、マリアと同じで暇だった。侍女としての仕事は少なく、時間は有り余ってる。ハレルヤが森から持ち帰った貴重な素材を目にするたび、研究心がうずいて仕方ない。試さずにいられなくなる。その時間で『エターナルラブリー』を作った。目の前の被験者で完成を確かめらたのだから、薬師冥利に尽きる。


「それで。どのような効能のお薬でしょう」


「『出目カラス』の目玉エキスに微量の『エターナルラブリー』を合わせました。一時ですけどあらゆるものがよく見え記憶力が高まります。対象に惚れこむため効果的な学習が期待でできます」


 マリアは『エターナルラブリー』の言葉でメイラを睨んだ。下がった怒りボルテージは戻らず、言葉を続けた。


「ハレルヤが一昨日しとめた鳥でしたね。錬金術の世界では、スクロール定着剤として喜ばれて……」


 錬成陣紙スクロールからハイリップを連想する。首を振って思いを締め出す。


「……頭をよくしてどうしようというの。試験どころか人さえいない森で」


「『出目カラス』はもっぱら学生が試験勉強の一夜漬けに使う薬なのですが。奥さま。錬金術は魔術と違うのでしたね。血筋に関係なく覚えて使えると聞きおよんでます」


「勉強したいというの? あなた、錬金術を小ばかにしてませんでしたか?」


「とんでもございません。小ばかにしていたのは錬金術じゃなくて奥さまのことです。おほほ。まぁ今は昔のことです。水に流しましょう。おほほ」


「……殴ってもいいかしら?」


「それでご教授いただけるのであれば。どうぞ」


「冗談にきまって……ではお言葉にあまえて。えいっ」


 マリアは殴った。断るつもりだったが思い直した。


「はぐッ」


 マリアは恋心を持て余していた。ハレルヤのいない日中は、何かしてないと塞ぎこんでしまうほどで、錬金術にも集中できず困惑していた。誰かに教える。気分を変えるチャンスかもかもしれない。なにより、良い暇つぶしになる。


 倒れたメイラが起きあがる。頭には大きなコブができていた。


「ま、まったく躾けのなってない奥さまだこと。ほんとうに貴族を殴るなんて」


「自慢の回復薬で治しなさいな。復習にもなりそうだし特別に教えてあげます」


 マリアは自分しか通れない壁の仕掛けを解除した。他人を始めて招き入れた。


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