第02話   アレンは皆のモノ

 アレンはエルフの隠れ里に来てから三年間、一度もエルフの里の中心地に来たことがなかった。


 中心地には、まばらだがエルフが集まっていた。森に広く散らばっている彼らは、おさの一声がなければ滅多に集まることがない。


 見目の麗しさに反比例するかのような質素な服装は、彼らがそれだけ外から来た者の視線や意見を、気にしていない証のように感じられた。


 そんな中でよく目立つ黄金の大馬が、白い石畳をパカパカと鳴らして歩いてゆく。まばらに並ぶ木造建ての建物は、まるで木々の自ら身をひねるに任せて造らせて、さらに高密度に編み込んだかのような見た目をしていた。


 アレンはゆっくりと辺りを観察できる状況にない。恥ずかしげにうつむき、顔が見えないようにしている。馬のたくましいうなじが、視界を占めていた。


「ルディレット様、その者は」


 道脇のエルフから、声がかかった。アレンは顔が上げられない。


「アレンだよ」


 ルディレットと呼ばれたエルフの少年が、穏やかな声で答えた。しかしそれは彼らの求める答えではなかったようで、不穏な空気が辺りにただよう。


 心当たりばかりが、アレンの鼓動を早めた。


(やだ! ほんとに嫌だ! 僕を買ったエルフたちに注目されるなんて、耐えられない!)


 羞恥に震えるうなじに、微笑み混じりの吐息が、そっと触れる。


「お前を家に帰してやる」


 アレンがまつげを跳ね上げた。しかし振り向けないでいると、


「これに耐えたら、里から出してやる。顔を上げるんだ」


 後ろから顎を軽々と上向かされて、アレンは大慌てした。


「で、でも、なんで――」


「俺がそうしたいと思ったから。他に理由は……まだ上手く言葉にできない」


 そう言う彼の、くすぐるような声が暗くなっていったのを、アレンは不思議に思ったが、理由までは聞き出さなかった。


「ありがとう……嬉しいや」



 エルフたちは、これといって会話しているでもなく、各々黙々と歩いているだけ。それぞれの用事のために。不要な会話を全くしないのが、雇用主のディントレットみたいだと思った。


 辺りには、ふんわりと良い匂いがただよう。あの小川の匂いよりも、花のような甘さが強い。どこから漂うのかと辺りを見回すうちに、すっかり顔を上げてしまっているアレン。石畳が寄せ集まって幾重にも輪を形作りながら隙間を埋めてゆく、その真ん中に、日差しを浴びて細い水柱を何本も空へと吹き上げる石像を発見した。


「なぁに、あれ」


「噴水だ。あの水は飲めるんだぞ」


「え!? そのまま!?」


「ああ。食事を作るのが面倒なヤツらは、あそこの水だけ飲んで過ごすこともあるんだ」


「へ、へえ〜」


 食事にも頓着しないとは。アレンはこの里で過ごすうちに、エルフというのがずいぶんと人間離れしていることに気づいていたが、「変わった人たちだなぁ」と思うだけで、深入りはしないように努めていた。けれど食事を省いて水だけで過ごすほどとは思わなくて、本当かなぁと小首を傾げる。


(水だけで一日過ごすなんて、できるのかな。お腹ががぼがぼになりそう)


 馬がときおりスキップして、長距離を跳躍してみせる。最初は下半身がふわふわして変にうずく感覚にびっくりしていたアレンだったが、やがて慣れてきて、表面上ではなんの反応も見せなくなった。


 内心では、馬が跳ぶたびにドキリとしている。


「ねえ、どこに向かってるの?」


 アレンはすっかり砕けた口調になっている自分に気がついたが、このエルフの少年が特に気にしないのが、なんとなくわかってしまっていて、誰も許してくれない態度を彼だけは自然に受け入れてくれることが嬉しかった。


「俺の家。もう少し行ったところにある」


「え? 家に、ぼ、じゃなかった俺を連れてくの?」


「うん、家族に見せるんだ。アレンを捕まえたぞーって」


 一人暮らしが多いエルフだが、この少年エルフは家族と暮らしているらしい。ただアレンを捕まえて馬に乗せて、家族に捕まえたことを報告に行く意味が、アレンにはわからなかった。何か怪しい実験に巻き込まれるのでは……嫌な予感がもくもくと胸にわき上がって、不安になってゆく。


(それ、なんの遊び……? 僕、どうなっちゃうの?)


 ここで降ろしてもらうと、馬宿に戻るまでに大変な時間がかかる。さらに外套もフードもないアレンでは、すごく目立ってしまう。


 降りたいと言い出せないまま、馬が二人を運んでゆく。



 ルディレットが目指していると言う場所は、遠目から見ても変わった造りをしていた。


 蔓植物の幹が固く固く硬化し、水分を手放した大蛇のような不気味さがあった。不可思議な規模で育ち、ねじれ、切り倒され、そしてエルフの里長の住居にふさわしい木材として生まれ変わっている様は、アレンの目にはまるで三つ編みのように映った。エピパンにも見える。


「初めて見るよ、あの建物」


「エルフの里長の家だ。今は俺と、父さんで管理している。普段は森と俺たちの心を繋ぐ『聖堂』の役割も務めてるんだ。父さんはそこの司祭でもあるんだ」


 そう言うルディレットの声は、どこか自慢するようだった。仲の良い親子のようで、アレンは少し羨ましく思った。


 聖堂の大扉から、一人の若いエルフの男性が出てきた。人間よりも五百倍かそれ以上をしれっと生きてしまう長寿な種族ゆえか、外見年齢が全く当てにならない。二十代前半に見えたとしても、本当はいくつなのかは当人が正直に教えてくれなければ永遠にわからないほどだった。


 細いが張りのある長い金の髪は、昔一度だけ見たことがある飴細工の、きらきらな色とよく似ていた。細かなチェインメイルをマントの下に隠して歩き、金属のこすれる音を小さく鳴らしながら、ふと前方の黄金の馬に気付いて顔を上げた。


「……?」


 野風に乱された長い髪が顔に掛かり、それを長い耳に掛け直す際の白い指が、ほっそりしていて長かった。


「アレン、なのか……?」


 男性のかすれ声に、アレンはハッとした。このエルフの隠れ里で、唯一アレンの名前を呼び、よく可愛がってくれた、あのエルフだった。


「あ、あの、お久しぶりです。ご無沙汰しておりますっ」


 大慌てで馬上からお辞儀するアレン、その後ろで、何かにアレンを取られまいと思いきり抱きしめるルディレット。おかげでアレンは綺麗にお辞儀ができなかった。


 さらにルディレットが馬に合図して、歩かせてゆく。


 それにムッとして手綱を掴んできたのは、エルフの男性だった。


「待て、アレンを連れてどこへ行く」


「家だ」


 不機嫌そうに答える少年エルフに、男性も細い金の眉毛を少し真ん中に寄せる。


「家だと? この先には聖堂しかないが」


「俺はそこの聖堂の、エルフの息子だ」


「なに? では、お前は俺の弟なのか」


 今度はルディレットが面食らう番だった。


「え……あんたが、兄さん? 初めて見た」


「オモチャで遊びたい盛りなのは理解してやるが、ちゃんと元の位置に戻しておくんだぞ。アレンはみんなのモノなんだからな」


 その言葉にアレンが怯えたのを、ぴったりくっついていたルディレットだけが気づいた。


 青年エルフが、アレンを見上げて爽やかに歯を見せる。


「アレン、今夜会いに行くよ。良い子で待っていてくれ」


「え? 今夜ですか? えと、うちは八時から小屋の戸口を閉めますから、それ以降にお越しになる際は、ディントレスにお声がけをお願いします」


「ああ、あいつなら今夜にでも用事があって外出するだろう。お前が気に病むことはないよ」


 では後ほど、と言いながら、青年エルフは手綱を離して去っていった。


「あ、お客さんの名前、聞きそびれちゃったな」


「俺の兄だって言っておけばいい」


「あ、そっか、助かったよ。ルディレットは初めてお会いしたんだね、お兄さんに」


「……ああ」


 不穏なものを感じたことを、ルディレットはアレンに言わないでおいた。兄と仲が良さそうに見えたから。



 聖堂の横に生えた木の幹に手綱を繋いで、ルディレットはアレンの手を引いて聖堂の真正面まで走った。


 傍からは見えぬ内側に彫られたルーン文字によって丁寧に魔力を込め、硬いまま妖精たちの意のままに曲げられ、編み込まれて、一軒の荘厳な聖堂を形作ったのだと、ルディレットが説明してゆく。


「大きな建物だねぇ。屋根の部分とか、どうなってるのか見えないや」


 アレンは見上げるほど背の高い建物に、ため息をついた。


「この技法は、長い時間をかけて大陸中の妖精たちに広まってな、このアルバーンジェニーの森のエルフが、知識欲と探求心に突出していると有名になった。父さんは世界各地に散らばったエルフ族の代表者から手紙を受け取り、彼らと秘術の交換、交流をもってしてこの技術を教え与えた。その影響で、各地のエルフの隠れ里には大きな祭壇や集会場が完成したと云われている」


「へえ、君のお父さんは偉い人なんだね。秘術を教えてあげるだなんて」


「もとから独占するつもりはなかったそうだ。それよりも、他の里の同胞たちが隠し持つ秘術を聞き出すための交渉に使ったほうが、有意義だと判断したんだ」


「ルディレットは、できるの? 建物造ったりとか」


「練習中だが、一度も叶ったことはないな。気晴らしで始めた浮遊魔法が、めきめき上達したから、里のあちこちにイタズラでルーンを彫った」


「え!?」


「小刀で彫った。大変だったなぁ」


 話してる間、ずーっとアレンの服の中に腕ごと入れて暖を取っていた。


(スキンシップ、多いなぁ。馬や何かを触ってないと、落ち着かないのかな?)


 ときおり胸の先端を、指の腹で撫でられる。それが少し長くなってきて、アレンは慌てた。


「家にっ入らないの!?」


「ああ、そうだった。アレンを父に紹介する儀式の途中だった」


「なにその儀式……初耳なんだけど、何のためにやってる儀式なの?」


「お前を家に返すため」


 爪先で何度も軽く弾かれて、アレンは跳ねそうになった身を固くして耐えた。


「これ、も、儀式の途中だから、してるの?」


「お腹すいたなぁって」


「へ?」


「俺の好きな木の実、今年はあんまり実らなかったんだ」


「……そうなんだ。ちぎらないでね」


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