第21話

「監督は、火傷のことは黙ってた方がいいって言ったわ。そんなに甘い世界じゃないからって」

 傷痕のことが公になれば、それが結子のレッテルとなる。人は同情と好奇の色眼鏡を通して彼女を見るだろう。結子の才能も努力も、すべてが不幸というスパイスで味付けされてしまう。新人女優がスポイルされる条件としては十分だ。結子の経歴は隠された。親しかった者には、すべて口止めがされたという。入念な根回しが行われ、教会で育ったことも、劇団に所属していたことも秘密にされた。

 映画公開の際にも杣木監督は徹底的にガードを固めた。テレビ出演はすべて断り、マスコミを欺くために結子の出身地として偽の県名が記載された。隠されたものへの興味も相まってSNSには様々な噂が書き込まれたが、敢てそれは放置された。どこからか嗅ぎ付けられた事実を、下世話な噂話が上書きしてくれるからだ。根も葉もない噂なら聞き流せばいい。真実を暴かれることに比べればダメージは少ない。匿名掲示板でどれほどの誹謗中傷を受けようとも、結子が女優として確固たる地位を築くまで、秘密は守られねばならなかった。

「SNSなんて見なければいい。僕が必ず守るから。あの人はそう言ってくれたの」

 あの映画はフィルム作品だった。後から修正を加えることは出来ない。つまり、あれほど広範囲のケロイドが一切分からないように、杣木監督は撮ったのだ。そのままの結子を、唯々美しく彼は撮ったのである。

 匂いを感じた気がした。優しくて甘酸っぱい香りが脳を刺激する。涙が出そうだった。

「素敵です。とても」

 言葉なんて無くてもいいと思った。何を言っても陳腐ちんぷになる。さとみは顔を上げ、正面から結子を見詰めた。唇を引き結んで頷き、そして笑った。瞬きすると、堪えていた涙が頬に零れた。

「ありがとう」

 結子はそう言って、はにかむような笑みを浮かべた。



 結子を車で駅まで送って稽古場に戻ると、洸の自転車に乗った隼人が出て来るところだった。さとみの車に気付き、自転車を降りてスタンドを立てる。

「さとみん、携帯忘れて行っただろう」

 窓を開けると、隼人は開口一番にそう言った。

「あれ、本当だ」

「お前、本当に現代人かよ」

 さとみの帰りが遅いので、心配して見に来ようとしたところだったらしい。

「本は見付かったか?」

 さとみが頷くと、隼人は「そうか」と言って笑顔を見せ、テントの入口にいた洸を手招きした。

 返却した鍵が二つあるのを見ても、洸は何も言わなかった。さとみも何も告げることなく、本の礼だけを言ってその場を後にした。

 結子が巣立ってから五年。隼人は独立し、父親も昨年、海外へと旅立った。洸の時間だけが止まったままなのだ。家族として為すべきことを分かってはいても、彼の、もう一つの感情がそれを妨げた。

 さとみには何も出来ない。洸が自分自身で決着をつけないといけないのだ。


 このまま四日間エスケープしようと、さとみは思った。

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