太陽の東・月の西

第18話

 ある貧しい家に白熊が訪ねて来る。白熊は言う、美しい末娘を妻にめとりたいと。

 家を裕福にしてもらう約束と引き換えに、末娘は白熊に嫁ぐことになった。豪奢な城で娘は大切にされたが、陽が落ちてから夫の姿を見ることだけは禁じられていた。夜になり全ての灯りが消えた後で、夫は部屋に入り娘の隣で眠るのだった。

 ある日、里帰りを請う娘に白熊は言った。ひとつだけ約束して欲しい、決して母親と二人きりにならぬようにと。実家へ帰った娘は約束を守ろうとしたが、とうとう母親と二人になってしまう。母親は夫をいぶかしみ、娘の身を案じて一本の蝋燭ろうそくを託す。彼はトロルの鬼かもしれないからと。

 城に戻った娘はある夜、蝋燭の灯りで夫の寝顔を見てしまう。夫は鬼ではなく見目麗しい王子だった。シャツに落ちた蝋のせいで目を覚ました王子は悲しみ、娘の前から姿を消してしまう。約束が破られたから、自分は太陽の東・月の西にある城へ行き、トロルの姫と結婚しなくてはならないのだと。

 娘は後悔し、王子を助け出すために旅に出る。三人の魔女と風の神たちの力を借りて、娘はついに城に辿り着く。鼻の長いトロルの姫と交渉し、魔女に貰った金色の林檎りんごと交換に王子に会うことを許されたが、王子は眠り薬を飲まされており目覚めることはなかった。次の日は金色のくしと交換に。しかし王子は目覚めなかった。とうとう最後の品である金色のつむぎ車を差し出し、娘は王子の部屋を訪れる。王子は眠っていなかった。城に囚われていた人たちが王子に娘の事を告げた為、彼は薬を飲まずに捨ててしまったのだ。

 王子は一計を案じ、トロルの姫に妻となる為の試験を課す。蝋の染みがついたシャツを洗うというものだ。トロルの姫も、その母親も、鬼たちがどれだけ洗っても染みは広がるばかりだった。そこで王子は窓の外にいた娘を呼び寄せる。娘がシャツを水につけた途端、それは真っ白になった。

 トロルたちは怒りのあまり身体が弾けてしまい、娘は王子と共に城を後にする。


 娘を魔物に差し出さねばならない程の貧困とは何だろう。白熊は、トロルの鬼は、何を暗示しているのだろう。時代が違うと言ってしまえば元も子もないが、顔も知らない夫と夜を共にできるのだろうか。たまたま夫の見た目が美しかったからといって、命がけで救出に向かおうと思うだろうか。魔女は、北風は、何故娘を助けようと思ったのだろうか。疑問ばかりが浮かぶ。寓話には、しばしば教訓が含まれるものだが、これから何を学べというのだろう。

 娘は白熊を愛したのかもしれない。ふと、そんな考えが浮かんだ。人の姿をしていなくとも、白熊の優しさに、娘は心を開いたのかもしれない。ならば母の懸念は本末転倒だ。それに従った娘は浅慮せんりょとしか思えない。不安と怯えに導かれた愚かな行為により、二人は引き裂かれた。

「どうだい。いい案が浮かびそうかな」

 和泉が声を掛ける。

 幼い頃に読んだきりだったので原作を電子書籍で読み直したが、そのせいで余計にイメージが固まらなくなった。さとみは顔を上げ、和泉にスマホを示した。

「この絵が見たいんですけど、高いんですよね。画像だけでも、どこかにあると良いんですけど」

 スマホの画面には美しい表紙の本が映っている。『太陽の東・月の西』。カイ・ニールセンが挿絵を描いているものだ。心惹かれるものがあったが、値段が一万円近くするのを知って買うのを諦めた。

 さとみの手元を洸が覗き込み「ああ、これ」と言った。

「『太陽の東・月の西』だろ。うちにあるよ。前にやった時の台本もあったと思う。明日持って来ようか」

「わあ、ありがとう」

 ただ、さとみは明日から、熊本にある祖父母の家へ行かなければならない。父の代理で急遽、曾祖父の十三回忌に出席することになったのだ。行き帰りを入れて四日間の日程である。そんなに待てないと思った。早く手に取りたい。この挿絵が見たい。

「ねえ、今から取りに行っちゃ駄目かな?」

 少々気が急いてそう言ったとき、ふと洸の表情が曇った気がした。

「今から……」

 俯いて思案し、壁の時計を眺めて息を吐く。午後三時半になろうとしているところだった。

「うん。大丈夫かな。この時間なら」

 洸はそう言って家の鍵を渡してくれた。玄関ではなく勝手口の鍵だ。何が大丈夫なのだろうと思ったが、訊ねる前に洸は奥から呼ばれて走って行ってしまった。

「やる気満々みたいだね。でも頼むから、子供向けだというのを忘れないでくれよ」

 洸の背中を目で追っていたさとみに、和泉が言う。

「あ、そうでした」

 舌を出したさとみを見て、目の前の大人はコントのようにずっこけて見せた。

「やっぱり」

 何故か嬉しそうにそう言った後、和泉は前回の台本を参考にとアドバイスをくれた。いや、釘を刺したのかもしれない。

「行ってきます」

 さっきまで晴れていた筈なのに、テントを出ると強い雨が降っていた。季節外れのスコールのようだ。さとみは雨が弱くなるのを待って、車に乗り込んだ。道路に出た時、隼人が走って来るのがバックミラーに映ったが、後ろの車のクラクションに急かされて停まることが出来ず、さとみはそのまま教会へと向かった。何かあれば電話が架かって来るだろう。

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