第10話
すぐ横を人が通った。隼人だ。さとみは後を追ってシャッターをくぐった。
「ついて来るな」
低い声でそう言われて足が止まる。振り向いた隼人は眉間に皺を寄せ、戻れと言うように
男が身体を揺すりながら何か喋っている。内容までは分からないが、ぼそぼそした嫌な感じの声だ。側にいた女が隼人の腕を掴んだ。
「隼人の子供なんだからね。責任取ってよね」
「え?」
何を聞いたのか、理解するのに時間がかかった。
真剣な声だった。まさか隼人が。隼人が、あの女を妊娠させたという事だろうか。そんな、まさか……。同じ言葉が頭の中をぐるぐる廻る。
隼人の笑い声が聞こえた。
「言っただろう。俺はやってない。誰か他の男の子供だろう」
とんでもないセリフが聞こえた気がした。これはクズ男の言い分だ。でも、やってないって?
「憶えてないって言ったくせに!」
女がヒステリックに叫ぶ。
「逃げようってのか、兄ちゃん」
男が隼人の襟元を掴んだ。その手を強く払いのけ、隼人は女に向き直った。
「だったら産んでみろよ。DNA鑑定して本当に俺の子だったら、認知でも結婚でもしてやるよ」
妙に冷静な声だった。冷たく、あざ笑うような。
「ふざけんな!」
男が再び隼人の襟を掴み、拳を振り上げる。さとみは声を上げそうになって口元を押さえた。
音のない時間が過ぎた。ふと、振り上げられた拳が動いていないことに、さとみは気付いた。凶悪な男の表情が微妙に変化する。男がゆっくり腕を降ろすのが見えた。
「今日のところは勘弁してやる」
どこかで聞いたような捨て台詞を吐いて、男は歩き出した。女が隼人から顔を背け、駆け足でそれを追う。何が起きたのだろうか。両手で口を押えたまま立ち竦んでいるさとみを、隼人が振り返った。
ぞっとした。
振り向いた顔は、さとみが知っている隼人のものではなかった。刺し貫く様な眼差しの奥に、冷たい殺意を見た気がした。
「さとみん、まだいたのか」
笑顔になった隼人が駆け寄り、さとみの頭に手を置いた。子供を
「心配ないよ、怖い人は追い返したから。……泣くなって」
泣いてなんかいない。そう言おうとして、指に落ちた雫に気付いた。怖かった。友達が、遠い所へ行ってしまった様な気がして。
「どうした隼人、何かあっ!」
駆けてきた洸が、ぎょっとしたように立ち止まった。隼人が「違う違う」と言って両手を振り回す。
「涼花さんが、隼人が大変だって知らせてくれたから。大丈夫か、さとみん」
洸の顔を見た途端なぜか安心して、また涙が溢れた。
「隼人、お前」
洸が真顔で隼人に詰め寄る。何か言うとしゃくりあげてしまいそうで、さとみは声が出せなかった。
「隼人」
ごめん。違うの。
「お前、葵先生に言いつけるぞ」
その言葉で冗談だと分かり、さとみは吹き出した。笑った筈が、泣き声のようになる。隼人が困った顔で頭を掻いた。
「分かったよ。ちゃんと説明するから。そうだ。今から三人で飯食いに行くか」
さとみは黙ったまま頷いた。
「じゃあ、うち来る?」
洸が言う。
「お前ん家、ラーメンしか無いじゃん」
「何か取るよ」
「やった。俺、
「奢るとは言ってないからな」
二人の会話を聞きながら、さとみは漸く涙をぬぐった。
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