第6話
大手演劇雑誌のウェブサイトに『魔王』の論評が掲載された。
「凄いじゃないか、さとみん。ここで取り上げられるなんて。……寝てろ!」
スマホを手にした隼人が、起きようとした洸の肩をベッドに押し戻す。
「もう大丈夫だって」と言いながらも、洸は素直に横になった。
公演が終了した翌日に洸は発熱し、寝込んでしまった。毎日、さとみか隼人のどちらかが様子を見に通っていたのだが、今日は日曜学校があるとのことで、午前中から二人で洸の代役を務めたのだった。教会の日曜学校といえば聖書を読むものだと思っていたが、どうやら
「子供って元気だよな。でも洸は牧師の資格がないのに日曜学校やるんだ」
画面を操作しながら隼人が言った。
「やらないと本部からお金が下りないから。ちなみに結婚式のバイトもするよ。さすがに葬式は引き受けないけど」
パジャマ姿の洸は、まだ顔が熱っぽい。片手で布団を掛けてやり、隼人が内容を読み上げた。
「カオスの小規模公演である。今回は脚本家も主演も新人と聞いていたので、実は大して期待はしていなかった。平岡氏が思い切ったことをするから、とりあえず見てやろうかといった気分で出かけたのである。ところが瞬く間にそんな気持ちは吹っ飛び、私の眼は舞台に釘付けになった。演出の平岡葵の力量は皆が知るところであるが、今回も見事に異世界を表現し尽くした。素晴らしいの一言である。
『魔王』は、難解を
そして今回が初舞台だという新人、主役の伊藤洸の輝きは素晴らしかった。実はこの戯曲の魅力はストーリーではない。あえて言葉にするなら「嘆きの美」とでも言おうか。若き魔法使いが、抗いようのない悲しみに藻掻き苦しむ様は、美しい絵のようであり、悲哀に侵食され姿を変えていく様子に、私はぞくぞくするほどの興奮を覚えたのである。……だってさ。手放しで褒められてる」
高揚する隼人とは反対に、さとみは不機嫌に口を尖らせた。
「褒められてるのは、葵ちゃんと伊藤くんじゃない。脚本は微妙に
「そんなこと無いさ。さとみんの意図を、ちゃんと理解してくれてるじゃないか。噛み砕いて説明までしてくれてる」
「嚙み砕かれちゃうと、つまらなくなるのよ」
「平岡先生のは噛み砕けないもんな」
演劇に限って言えば、作者が何を言わんとしているのかを読み解こうとするのは愚行だと、さとみは思う。手品の種を知ってしまえば、
「先生の
隼人がスマホを置き、顔を上げてそう言った。
「葵先生は何であのシュールな内容を舞台に上げることが出来るんだろうって思うよ。脚本を理解しているのは、葵先生と和泉さんぐらいだよな」
劇団の旗揚げ当時から一緒だったという
「この二人の新人の、次回作を待たずにはいられない。より成長した姿を見るのを心待ちにしている。……期待されてるよ、お二人さん」
再びスマホを取り上げた隼人が、続きを読み上げた。
「次回作かあ」
脚本、青木さとみ。主演、伊藤洸。アナウンスが耳によみがえる。
「無理だって。勘弁してくれよ」
洸にも聞こえたのか悲鳴を上げて耳を押さえ、さらに布団に潜ってしまう。
「お前、もしかして悪夢とか見る?」
隼人に訊かれて洸が布団から顔を出した。
「見るよ。舞台に立っているのにセリフが思い出せなくて、時間だけが過ぎて。もう駄目だと思った途端に暗転して目が覚める。全身に脂汗かいてるよ」
隼人が笑った。
「そうか、それは良かった。誰もが通る道だ」
「通る道って。何だよ、ああ、また熱出そうだ」
洸はまた布団に潜った。
「そろそろ帰るわ。仕事に行かないと」
ひとしきり笑った後、隼人が言った。劇団員の多くは当然、演劇だけでは食べていけない。隼人はホストクラブで働いている。かなり人気があるらしいが、ナンバーワンには成れないらしい。同伴やアフターをしないせいだ。とは本人の弁だ。
「さとみんはどうする。もう少し居る?」
「うん。お
作るといってもレトルトを温めるだけだが。食べさせて、薬を飲ませてから帰ろう。
「そろそろ別のものが食べたい」
布団から目だけ出した洸が言う。その額に手をやり、張り付いた前髪を除けてやりながら隼人が微笑んだ。
「明日、牛丼買って来てやるから、今日は諦めろ」
さとみは不意に打ち上げ後の出来事を思い出した。あれから隼人も洸も全く普段通りで変わった様子は微塵もない。あの夜感じた冷たい空気は、さとみの勘違いだったのだろうか。
──諦めろ。
あの時、隼人は洸に何を諦めろと言ったのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます