第6話

 大手演劇雑誌のウェブサイトに『魔王』の論評が掲載された。

「凄いじゃないか、さとみん。ここで取り上げられるなんて。……寝てろ!」

 スマホを手にした隼人が、起きようとした洸の肩をベッドに押し戻す。

「もう大丈夫だって」と言いながらも、洸は素直に横になった。

 公演が終了した翌日に洸は発熱し、寝込んでしまった。毎日、さとみか隼人のどちらかが様子を見に通っていたのだが、今日は日曜学校があるとのことで、午前中から二人で洸の代役を務めたのだった。教会の日曜学校といえば聖書を読むものだと思っていたが、どうやらていのいい託児所のようになっている。この辺りは夜の仕事をする母親が多いらしいから、日曜の午前中は休みたいのだろう。子供たちは置かれた玩具や絵本で自由に遊び、時折『先生』に甘えて来る。子供が苦手だという隼人も何故か子供には好かれ、さとみたちは何とか役目を終えた。

「子供って元気だよな。でも洸は牧師の資格がないのに日曜学校やるんだ」

 画面を操作しながら隼人が言った。

「やらないと本部からお金が下りないから。ちなみに結婚式のバイトもするよ。さすがに葬式は引き受けないけど」

 パジャマ姿の洸は、まだ顔が熱っぽい。片手で布団を掛けてやり、隼人が内容を読み上げた。

「カオスの小規模公演である。今回は脚本家も主演も新人と聞いていたので、実は大して期待はしていなかった。平岡氏が思い切ったことをするから、とりあえず見てやろうかといった気分で出かけたのである。ところが瞬く間にそんな気持ちは吹っ飛び、私の眼は舞台に釘付けになった。演出の平岡葵の力量は皆が知るところであるが、今回も見事に異世界を表現し尽くした。素晴らしいの一言である。

『魔王』は、難解をむねとするような平岡作品とは異なり、見るものを拒絶しない素直さを持った作品であった。御伽噺おとぎばなしのような造りは柔らかく、一見単純にすら思えるが、裏にはなかなかの主張が隠れている。耐えきれぬほどの原罪を背負う者と、神の名のもとにそれを討つ清らかな存在という対比。キリスト信仰は、イエスの架刑や隠れキリシタンなどの話から清廉せいれんのイメージが強い。しかしながら、キリスト教にも魔女狩りをはじめとする異教徒弾圧の歴史が確かにあった訳で、この芝居が演じられた場所が教会であることを加味かみすると、非常に面白い構図とも言える。

 そして今回が初舞台だという新人、主役の伊藤洸の輝きは素晴らしかった。実はこの戯曲の魅力はストーリーではない。あえて言葉にするなら「嘆きの美」とでも言おうか。若き魔法使いが、抗いようのない悲しみに藻掻き苦しむ様は、美しい絵のようであり、悲哀に侵食され姿を変えていく様子に、私はぞくぞくするほどの興奮を覚えたのである。……だってさ。手放しで褒められてる」

 高揚する隼人とは反対に、さとみは不機嫌に口を尖らせた。

「褒められてるのは、葵ちゃんと伊藤くんじゃない。脚本は微妙にディスられてる気がするんだけど」

「そんなこと無いさ。さとみんの意図を、ちゃんと理解してくれてるじゃないか。噛み砕いて説明までしてくれてる」

 なだめるように洸が言う。

「嚙み砕かれちゃうと、つまらなくなるのよ」

「平岡先生のは噛み砕けないもんな」

 演劇に限って言えば、作者が何を言わんとしているのかを読み解こうとするのは愚行だと、さとみは思う。手品の種を知ってしまえば、魔法イリュージョンは座興に姿を変え、魔法使いを見る視線は、道化を見る視線へと変わる。作品に込められた思いを自己の認識で理解できるよう矮小化し、手品の種を見たと思い込む愚かさによって、舞台は速やかに色褪せ、取るに足らないものに変わり果てる。

「先生の戯曲ほんは難しすぎて正体不明だから。俺は十六歳のときから演ってるけど、未だにさっぱりわからない」

 隼人がスマホを置き、顔を上げてそう言った。

「葵先生は何であのシュールな内容を舞台に上げることが出来るんだろうって思うよ。脚本を理解しているのは、葵先生と和泉さんぐらいだよな」

 劇団の旗揚げ当時から一緒だったという和泉佑司いずみゆうじは、魔法使いの父親である魔王を演じた俳優だ。仙太郎脚本・葵演出の芝居に唯一アドリブを入れられる、稀有けうな存在である。さとみが最初に見た平岡作品は彼が主役だった。まだ高校生だったさとみは、その時初めてテント芝居、いわゆるアングラ演劇というものに触れた。それは、さとみが知っているドラマや映画とは全く異なるものだった。その魅力に取り憑かれ、さとみは脚本家を志したのだ。

「この二人の新人の、次回作を待たずにはいられない。より成長した姿を見るのを心待ちにしている。……期待されてるよ、お二人さん」

 再びスマホを取り上げた隼人が、続きを読み上げた。

「次回作かあ」

 脚本、青木さとみ。主演、伊藤洸。アナウンスが耳によみがえる。

「無理だって。勘弁してくれよ」

 洸にも聞こえたのか悲鳴を上げて耳を押さえ、さらに布団に潜ってしまう。

「お前、もしかして悪夢とか見る?」

 隼人に訊かれて洸が布団から顔を出した。

「見るよ。舞台に立っているのにセリフが思い出せなくて、時間だけが過ぎて。もう駄目だと思った途端に暗転して目が覚める。全身に脂汗かいてるよ」

 隼人が笑った。

「そうか、それは良かった。誰もが通る道だ」

「通る道って。何だよ、ああ、また熱出そうだ」

 洸はまた布団に潜った。

「そろそろ帰るわ。仕事に行かないと」

 ひとしきり笑った後、隼人が言った。劇団員の多くは当然、演劇だけでは食べていけない。隼人はホストクラブで働いている。かなり人気があるらしいが、ナンバーワンには成れないらしい。同伴やアフターをしないせいだ。とは本人の弁だ。

「さとみんはどうする。もう少し居る?」

「うん。おかゆ作ったら帰る」

 作るといってもレトルトを温めるだけだが。食べさせて、薬を飲ませてから帰ろう。

「そろそろ別のものが食べたい」

 布団から目だけ出した洸が言う。その額に手をやり、張り付いた前髪を除けてやりながら隼人が微笑んだ。

「明日、牛丼買って来てやるから、今日は諦めろ」

 さとみは不意に打ち上げ後の出来事を思い出した。あれから隼人も洸も全く普段通りで変わった様子は微塵もない。あの夜感じた冷たい空気は、さとみの勘違いだったのだろうか。

──諦めろ。

 あの時、隼人は洸に何を諦めろと言ったのだろう。

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