第5話
町はずれにある稽古場には、
結子の右隣に隼人、その隣に洸。左隣には今回のヒロイン
劇団員たちは、とても仲がいい。年齢も境遇も様々だが、演劇が好きだという共通点で皆は繋がっている。舞台の話題、映画の話、酔って演劇論を戦わせ、即興芝居で盛り上がる。
「葵ちゃ……、葵先生」
さとみは、となりでグラスを傾けている葵に声を掛けた。歳が離れているとはいえ従姉なので、気を抜くとつい「ちゃん」付けが出る。
「葵ちゃんでいいわよ。お疲れ様でした。いい脚本だったわよ」
ほんのり頬をピンク色に染めた葵は綺麗だった。元々は劇団のトップ女優だったのだが、主催である仙太郎との結婚を機に舞台に立つことはなくなった。その後は演出家として、仙太郎と共に劇団を背負う存在となった。難解な仙太郎の脚本を、葵はイリュージョンのごとく見事に舞台上に描き出す。弱小劇団であっても、演劇界で平岡夫妻の評価は高い。
「聞いてみたかったんだけど」
「何かしら?」
さとみのグラスにレモンサワーを注いでくれながら葵が訊ねる。
「笹村くんは、何故あんなに早く気持ちを切り替えられたんでしょう」
さとみが強引に主役を交代させた後、隼人は腐ることもなく速やかに洸のサポートに回った。洸が役者に専念できるようにと大道具の仕事を引き受け、皆にも声を掛けて全力でフォローする姿に、さとみは頭が下がる思いだった。
「主役の座を奪われたんだから、もっと怒っていい筈なのに。嫌な顔一つせずに伊藤くんのサポートを引き受けて」
「怒ってたわよ。烈火のごとくね」
「え?」
さとみは驚いて葵の顔を見た後、洸の肩を抱いて楽しそうに笑っている隼人に目をやった。
「稽古場のシャッターが新しくなってたの、気付かなかった? 高くついたんだから」
「え? でも」
怒っていたなんて気付かなかった。そんな気配すら感じ取れなかった。
「あなたや洸の前では絶対に見せなかったけどね。あれが彼のプライドなのよ」
葵はそう言って、誇らしげに隼人を見やった。ほんのり紅い目元をした結子が逃げる洸に頬ずりするのを、隼人が写真に納めている。
普段と違う隼人の大人な一面を知った気がして、さとみは胸が熱くなるのを感じた。
結子がタクシーに乗って帰った後も、宴は延々と続いた。終電はとっくに出てしまった後だから、残っている者は今夜、稽古場に泊まる。用意された毛布に包まり、技術係の誰かが難しい機械の話をしている声を遠くに聞きながら、さとみは早々に眠りに落ちた。
皆が寝静まった後、すでに明け方に近いと思われる時間に、さとみはふと目を覚ました。冷たい風に頬を撫でられた気がして辺りを見渡すと、入り口の扉が閉まるのが見えた。
何となく、だった。さとみは何となく扉を開け、そっと外を伺った。雲が無くなり、月が出ている。さほど離れていない場所に人の姿があった。こちらに背を向けた隼人と、その向こうに洸の横顔が見えた。
さっきまで笑いあっていた二人を包む空気は、冬の朝のように張り詰めたものに感じられた。
洸が隼人から顔を背け、項垂れるのが見えた。
「……
そう聞こえたような気がした。隼人が洸の側から離れる。見つかってはいけない気がして、さとみは慌てて元の場所に戻り毛布をかぶった。
暫くして一度だけ、扉を開け閉めする音が聞こえた。
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