第27話 神社

 山奥の古い神社だった。畳に座ったその男は、丁寧に頭を下げた。

禰宜ねぎの岬と申します」

 小百合たちより少し年上だろうか。穏やかに微笑んではいても、長い白髪を後ろで一つに束ねた姿には妙な威厳いげんがあった。

「お孫さんを探しておられるとか」

 はい。と小百合は頷いた。身元を隠して探りを入れようと考えていたが、小手先では太刀打ちできないだろうという気がした。

「何故、こちらへ?」

 そう尋ねられて、小百合は『C』についての話をした。

「昔、希死念慮きしねんりょのある若者の支援をされていたとか」

 取り敢えずは、そういう事にしておく。相手の出方を見ようと思った。

「そんな活動をしていたこともありましたな。ずいぶん昔のことですが」

 岬は頷いた後、ゆるりと笑った。団体名は『シー』という訳ではないのだという。

「あれはロゴのようなものです。正式には名前すらありません」

 昔を懐かしむようにそう言い、岬はまた微笑を浮かべた。

「昔であれば、自殺の理由は借金や病気であることが多かったのですが。若者が死にたいと思う原因は勉強や仕事、そして人間関係です。逃げようと思えば逃げられる筈の理由で、彼らは死を選びます。日々、閉塞感へいそくかんや生きづらさを感じているのです。違う道を選ぶことは幾らでも可能なのに、死に向かう道しか見えなくなるのですね。我々は、何とかそれを防ぐことが出来ないかと思っておりました」

 若い神職が運んできたお茶を置くのを待って、小百合は尋ねた。

「何故活動を止められたのですか」

 岬が大きく息を吐いて、視線を下げる。

「経済的な問題です。最初は小さな活動でしたが、相談希望者が増えるにしたがって、多くの人材が必要になりました。人件費は手弁当ボランティアであっても、間接経費は発生します。賛同者からの支援がいくらかはありましたが、それではとても足りません。何とか二十年は続けることが出来ましたが、限界が来ました」

 岬は「どうぞ」とお茶を勧め、自分も茶碗を手に取った。節くれだった指が、柔らかいものに触れるように茶碗を包む。

「勿体ないことですね」

 小百合の言葉に、岬は「ありがとうございます」と眉尻を下げた。

「そう言っていただけるのは嬉しいことです」

 茶碗から良い香りの湯気が立ち昇る。一息ついて岬は続けた。。

「手伝ってくださる方の中には精神科医療に明るい方もおられたので、治療を勧めることも多かったのですが、拒否される相談者もおられ、なかなか難儀なんぎいたしました。今となってはそれも想い出に過ぎませんが」

 岬は暫く沈黙した後、ふと独り言のように呟いた。

「人は何故生きているのでしょうか」

 返事をせずに黙っていると、やはり呟くように言葉を継ぐ。

「親の都合でこの世に生み出されて、なお、死にたいと思う程に苦悩する。気の毒でなりません」

「どういう事でしょう」

 そう尋ねると、岬は目を細め、溜息をいた。

「自死を思いとどまって帰って行ったにも関わらず、結局亡くなってしまう人も多かったのですよ」

 礼状という名の遺書が届くのです、と岬は言った。

「若者や子供にとって、環境を変えることは自力では困難な場合があります。別の道を選択できれば良い。けれど、状況が変わらないこともある。たとえ生きて戻ったとしても、その人にとって後の人生が苦痛なのであれば、私の説得は意味が無かったのかもしれません」

 親や周囲の大人を変えることまでは我々には出来ませんから。そう岬は続けた。

「彼らをどうやって止めればよかったのでしょうか」

 眼差しの奥に苦悩を垣間見た気がして、小百合は何故か悲しくなった。

「その人が死んで悲しむ人が必ずいます」

 そんな言葉しか思い付かなかった。

「誰かが悲しむから、辛くても我慢しろと?」

 岬は小百合を見詰めた。

「苦しんでいる人に、自分の思いを押し付けるのですか」

 大切な人に生きていて欲しいと思うのはエゴなのだろうか。失いたくないと思うのは、自分勝手な思いなのだろうか。

 黙ってしまった小百合に向かい、岬は穏やかに微笑んだ。

戯言たわごとです。聞き流してください」

 古い障子を通して木々のざわめきが聞こえた。壁に開いた大きな丸窓が不思議な陰影を映し出す。まだ日は高いのに、差し込む陽射しは夕暮れのように思えた。

「人が消えるという噂がありましたが」

 工藤が火の付いていない煙草をもてあそびながら口を挟んだ。岬が灰皿を用意するよう、ふすまの向こうへ奥に声を掛けるのを聞いて「これはどうも」と頭を下げる。

 いいえ、と言った後、岬は「そんなうわさもありましたね」と笑った。

「インターネットが普及してから、そう言った話が広がるのは早くなりました。悪戯や嫌がらせも増えましてね。取材と称して、相談に来ていた人を追い回す者もいました」

「そうですか」

 本人が誰にも話せずにいた事を暴き立てて面白がる。酷い話だ。けれど世間とはそんなものかもしれない。人の生死すら娯楽の対象になる。

「我々年寄りには付いて行けない時代になりました」

 自嘲気味に笑った後、岬は取り繕うように言い添えた。

「いや、あなた方はまだお若い。奥様は本当にお美しくて、御主人がうらやましい限りです」

 工藤の方を見てそう言う。工藤は何故か否定もせず、「いやあ」と若気にやけて頭を掻いた。

「実は、孫は中学生の頃に一度この近くの洞窟で迷子になりまして」

 話を戻すと、岬は「ああ」と言った。

「憶えておりますよ。警察まで来て大騒ぎになりましたから。無事に戻って来たときは、ほっとしました。そうですか、あの子が」

 岬はまた、昔を懐かしむように眼を細めた。

「あの洞窟は」

 先程の若い神職が灰皿を持ってきたのを受け取り、座卓に置きながら岬は続けた。

「どうしても希死の思いを捨てられない人に入ってもらうのです」

 煙草に火をつけようとしていた工藤が、ライターを置き、岬の顔を見る。

「入って御覧になりますか? 案内させましょう」

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