第26話 チョコレートパズル
連絡もない。携帯は電源が切られているのか、架けても繋がらない。同じ学部の学生に尋ねても、姿を見たものはいなかった。もちろんバイト先にも顔を出してはいない。
何処へ行ったのだろう。何処へ消えてしまったのだろう。
「警察は何故あんなに冷たいのかしら」
小百合はそう言って拳を握りしめた。捜索願を出したけれど、ほぼまともに取りあっては貰えなかった。
怪しい男が付き
記憶力は良い方だと思っていたのに、まるで記憶に霧がかかったようだ。黒い霧だ。とてつもなく嫌な感じの。
夢は短期記憶だと言われる。海馬から大脳皮質へ送られる前に、そのほとんどが消えてしまうのだ。あの男の記憶も似ているような気がする。恐ろしかったという思いだけが鮮明に残り、視覚的な内容は
──戻って来い。
あれは、どういう意味だったのだろう。いや、言葉の意味など考えても仕方がない。そもそも何者なのかすら分からないのだ。
小百合が話してくれた神社と関係があるのだろうか。
カフェテリアでの出来事。あれは幻術なのか。何かの薬品や手品によって幻覚を見せられたのだろうか。
興信所にも再度依頼を掛けたという事だったが、結果は空振りだった。貢の行方は杳として知れなかった。憔悴した小百合から、過去の出来事を聞いた。「シー」という謎の団体が関わっているかもしれないのだという。
「関係があるのかどうかは分からないけど、行ってみようと思うの」
貢の父親が勤めていたという弁護士事務所の代表が付き合ってくれるという。
「私も行きます」
桐子はそう言ったけれど、止められた。
「助けて欲しい時には改めてお願いします。今は動かずに待っていて」
渋々頷くしかなかった。
お昼時の図書館は
本は好きだが、数はそれほど持っていない。父が転勤族だったため母が物を増やすのを嫌がり、読書はもっぱら学級文庫や児童図書館に頼っていた。国語の教科書に載っている抜粋された小説の先を想像しては、ワクワクしていたのを憶えている。
大学受験からは参考書や学術書の比重が大きくなっていた桐子を、貢は再び物語の世界へと引き戻してくれた。よく閲覧室で背表紙を見ながら、お勧めの本を教えてくれたものだ。背表紙を撫でる指先に、貢の長い指の幻影が重なる。主人公が迷い込んだ不思議な世界。夜空を見上げ、探してしまう銀河鉄道。いつもの帰り道に現れる、ある筈のない道。心に傷を残すような悲しい実話。そして少々説明に困るような心の闇。
感動を伝え合えるというのは何て素晴らしいことだろうと、改めて思う。束の間、辛さを忘れるために読書に集中しても、ページを閉じて顔を上げた途端、語り合う相手が居ないことに気付く。夢から覚めて現実に引き戻された時に似ているような気がした。
目の前の棚に、子供の頃に読んだ童話集があった。今では優しく書き換えられていると聞いたけれど、真実は優しくなどない。人魚姫は海の泡となり、蟻はキリギリスを助けない。幸福の王子の肩で、燕は冷たい躯となる。
手に取ろうとした本を棚に戻し、桐子は閲覧室を後にした。
自習室の片隅にチョコレートパズルが置かれていた。板チョコを模した六つの正方形が組み合わさった形、立方体の展開図のような形に直線と長方形を足した十一片のピースがある。ヘキソミノという種類のパズルである。最初に入っていただろう透明な箱が置いてあるが、誰もきちんと納めることが出来なかったようで、ピースは箱の横に散らかされていた。
桐子はプラスチックで出来たチョコを手に取り、箱に並べ始めた。凹凸を組み合わせ、隙間を埋めていく。何度やっても最後の一つが入らない。組み立ててはバラし、並べ方を変えながら繰り返した。無心になるには、ちょうどいい。組み立てて壊して、壊してまた組み立てて。そんな、意味のない時間。
あと一回で止めようと思っていた時だった。最後に残された空間と手に持ったピースの形が似ているように思えた。上下逆にしてみたが合わない。何となく左に90度回転させてみる。相似形に見えたピースは狂いなくチョコの空間を埋め、パズルは完成した。
一枚の板チョコになったパズルを眺める。突然の衝動が湧き起こり、桐子は箱をひっくり返してパズルをテーブルにぶちまけた。
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