第16話 疑惑

 娘の夫であった一ノ瀬が勤めていた弁護士事務所を訪ねた。代表の工藤は、小百合のかつての同僚である。

「工藤ちゃん」

 ついつい昔の呼び方をしてしまうと、工藤は恰幅かっぷくの良い身体をらして笑った。

「小百合ちゃんは、変わらないねえ」

 ここに来たところで何か情報が得られるとは期待していない。娘夫婦が事故に遭った際、工藤に紹介してもらった興信所で調査をしてもらったが、結局はあおり運転の犯人は見つからなかった。工藤にしても、六年も前の話を持ち出されても困るだけだろう。けれど、他に思い当たらなかった。わらにも縋る思いとでも言おうか。

「藁はないだろう」

 工藤は額に手を当てた。髪が薄くなったなと思った。

「電話を貰ってから、少し調べてみた」

 ちょっと引っ掛かったことがあるんだと言って、工藤は、ある団体の名前を口にした。法人としての届け出を行っていない団体で、どこにあるのか、何の集団なのかも、当時は分からなかったという。

「一ノ瀬が当時関わっていた案件だったんだが」

 捜索願が出ていた女性の家族からの依頼だった。女性が書き残した遺書とも思われる手紙に、その団体の名前が記載されていたことから、カルト教団に取り込まれたのではないかというのが訴えの内容だった。

 興信所の報告には、その団体の名前など無かった。当然、警察の捜査対象としても上がらなかっただろう。何か関係があるのだろうか。

「読んでみてくれ」

 工藤は「調査報告書」と書かれた一冊のファイルをテーブルに置いた。

 団体の名前は「C」。縦の線が二重打ちになっている。「シー」と読んでいいのだろうか。詳細を読んで意外な気がした。若者の自死を防ぐ為の活動をしている団体なのだ。電話相談をはじめ手紙による相談も受け付けている。希望者には直接会って話を聞くこともするのだという。宗教色は表に出していないが、代表となっている人物は山奥にある神社の神主だという。添付された顔写真は、穏やかで優し気な雰囲気を持っていた。

 彼に話を聞いてもらい、生まれ変わったように生き生きとして戻って来たという当人や家族談話も記載されていた。特別な喜捨きしゃを要求されることもない。ボランティア団体と言ってもいい。

 外れだ。そう思った。

「当時は守秘義務があったから話せなかった。関係があるとも思えなかったしな」

 それに、あの死亡事故の後しばらくして依頼は取り下げられたという。家族はどうして依頼を取り下げたのだろう。無関係だと分かったからではないのか。もしかしたら、行方不明だった女性は無事に帰って来たのかもしれない。

 彼は何故、今になってこの話をするのだろう。小百合は黙って、かつての盟友めいゆうの顔を見詰めた。

「この団体には、一つだけ悪い噂があってね」

 工藤はおもむろに煙草に火をつけた。その後で思い出したように「いいかな?」と言う。相変わらず煙草はやめられないのだと思いながら頷くと、彼は白い煙を吐き出し、暫く言いよどんだ。

「人が消える、っていう話だ」

 神社へ向かった自殺志願者の内、年に一人か二人、そのまま姿を消すことがあるのだという。団体が関係しているのかどうかは不明だが、ある週刊誌が行方不明者の特集を組んだ時に名前ががったらしい。非の打ちどころが無いように思えるものにほころびを探すのが大衆というものだ。工藤が開いて見せた週刊誌のページには、「山奥の神社で人が消える!」そんなキャッチコピーが書かれていた。

「連中、長いこと鳴りをひそめていたんだが、最近動きがあった。どうやら、誰かを探しているらしい」

 工藤は指に煙草を挟んだまま沈黙した。紫煙が緩い曲線を描いて立ち昇って行くのを見ながら、小百合は何か大切なことを思い出せないようなもどかしさを感じていた。

 そこだけは変わらない妙に繊細な指が白い灰を灰皿に落とし、目の前の男は短くなった煙草を口に運ぶ。

「申し訳ないが、俺が提供できる情報は、これだけだ」

 溜息をつくように、工藤はまた白い煙を吐いた。

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