第15話 三角関係

「桐子、土曜に映画行かない?」

 友人の一人が声を掛けた。

「駄目よ。桐子はデートがあるでしょ」

 すかさず心愛が横槍よこやりを入れる。だから違うって。

「何の映画? 菅田将暉すだまさきのだったら行く」

 そう答えると、皆にどよめきが走った。

「タイプ違うじゃん。何で?」

「だから、一ノ瀬くんとは、そういう関係じゃないんだってば」

 何度言えば分かって貰えるのだろう。貢との接触は水曜の二限目から午後にかけてだけだ。それ以外は普段通りに過ごしたかった。一人で講義を受けて、気の置けない女友達と過ごす。そんな時間を失いたくはなかった。

 どんな関係だと言われても答えに困る。何となく懐かれているような気もするが、恋愛感情でない事だけは確かだと言える。

「ふうん」

 みどりが目を細める。美人なだけに、真顔になると少し怖い。人懐っこく砕けた物言いからは想像し難いが、彼女はお嬢様である。皆に合わせてユニクロのワンピースを着ていても、ピアスは本物のダイヤだったりする。時々それを思い出し、桐子は少々気後れを感じるのだ。

「じゃあさ」

 真面目な顔で、みどりは続けた。

「紹介してよ。付き合ってるんじゃなければ」

「え?」

 何を言われたのか理解するのに時間を要した。紹介。つまりは、そういう事だ。


 断ることが出来ず承諾したが、気分は重かった。貢には、みどりのような女性が釣り合うのかもしれない。納得する自分が嫌だった。



 貢は祖父母と暮らしているせいか、どことなく古風な雰囲気があった。若者が好む遊びには、さほど興味を示さない。桐子とする話の内容は、本の感想や考察が大部分を占めていた。彼は乱読するタイプで、ジャンルを決めずに何でも読む。家には祖父母が若い頃に読んだ本を集めた本棚があって、彼は幼い頃からそれらを手当たり次第に読み漁っていたのそうだ。ファンタジー、SF、ホラー、ミステリーに時代小説、社会派のものまで。桐子の知らない本の話を沢山してくれた。中学の時には医学書や哲学書にまで手を出したのだという。

「さすがに難しすぎて分からなかったけどね」

 そう言って笑っていた。

 そして先日は、何を思ったか子供の日常に起きるピンチな事を集めた絵本を読んだとかで、あるあるネタを話してくれた。

 大人なら難なく対処できることでも、子供にとっては大ピンチなのだ。記憶の浄化作用により幸せな想い出ばかりが残っているが、よく考えてみれば毎日が戦いであり未知なるものへの挑戦であったのかもしれない。そしてもっと時が経てば、今現在の深刻な出来事も笑い話になるのだろうか。

『僕にとっての大ピンチは、やっぱり迷路かなあ』

 貢は、そう言って笑った。

『あれからスマホだけは、肌身離さず持ってるんだ』

 今度、神田の古書店街へ行こうと呑気に話す貢の綺麗な顔を眺めながら、桐子は胸の奥に重いかたまりを感じていた。笑い話にしてしまえばいい。けれど、その方法が思いつかなかった。



 水曜日の昼、少々込み合うカフェテリアで、みどりを紹介した。

 みどりは、GUのブラウスではなくブランドの衣装に身を包んでいた。派手にならないチョイスは、流石にセレブだと思わせる。抑えめのメイクで素材の良さを引き出したみどりは、何とも上品に自己紹介をした。

 貢の情報は入れておいたので、みどりは話題の新刊書を早速読んできたようだ。め過ぎるでもなくけなすでもなく、絶妙の感想を述べる。見事なものだと思った。桐子はその本をまだ読んでいない。話題に入れないまま、黙ってスパゲティをフォークで巻いた。口に入らないほどの大きさになり、一旦外して巻き直す。皿の上に、ケチャップ色をした幾つかの糸球が出来たように見えた。

 二人はお似合いに見えた。自分はタイミングを見てフェードアウトしようか。そう思った時だった。

「あれ、映画公開されるのよね。一緒に行かない? 連絡先教えてよ」

 みどりはスマホを取り出した。いつの間にか、発売されたばかりの最新型に変わっている。名前と同じパステルグリーン。スマホリングのホワイトゴールドが綺麗だった。

 溜息が聞こえた気がした。みどりの表情が固まるのを見て、桐子は貢に視線を動かした。

「悪いけど」

 貢の顔から笑みが消えていた。立ち上がり、講義があるからと鞄を手にする。

「ちょっと待っ……」

中日ちゅうじつまでご無事で」

 そう言い捨てて、足早に去って行く。さらさらと髪が揺れた。

 その背中を見送り、桐子は言葉もなくフォークを握り締めた。

「何、あの塩対応」

 茫然と、みどりが呟く。

「凍死というより塩漬けだわ。『中日ちゅうじつまでご無事で』って、なんの呪文よ」

「それは……。ごめん」

 桐子が謝ることじゃないよと言われて、それでも申し訳なさに言葉が出ない。

 どこか、ほっとしている自分がいたから。

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