第13話 ミッション
アパートに帰って畳に横になる。非常に疲れた。
帰り際、小百合は桐子の手を握り、頭を下げた。
『貢をよろしくね』
何をよろしくなのだろう。考えるのを
──アリアドネか。
「でも、アリアドネは、結局テセウスに捨てられちゃうのよね」
自分がアリアドネかどうかは横に置いて、何故かそちらの方が気になった。
貢を守ってあげたいと思うのは変だろうか。恋心は封印して、友達として接すればいい。自分が何か期待されているのであれば役に立ちたい。そう思った。
新年度が始まった。これから一年間、毎週水曜の二限目に貢と一緒になる。自然と隣の席に座り、お昼も一緒に食べることが多くなった。当然ながら、付き合っているという噂が立った。
「桐子ちゃ~ん。知ってるわよ。上手くやったみたいね」
月曜の昼である。ランチで込み合うカフェテリアの片隅で、みどりが訳知り顔で笑った。
「何で黙ってたのよ。友達でしょ? 隠さなくたっていいじゃない」
「違うの。そんなんじゃないのよ」
言い訳にしか聞こえないだろうと思いながら、桐子は言った。
「妬いてる訳じゃないのよ。ただ、黙ってたっていうのがねえ」
「だから、そんなんじゃないって」
どう話せばいいのだろう。いや、話してはいけないのだ。
もう裏切者の汚名を被って生きていく他はないのか。世を忍ぶ仮の姿。アニメのキャラクターみたいだと思った。コードネームはアリアドネ。何だそれ?
「秋山さん、昼飯行こう」
当たり前のように貢が言う。水曜二限目の講義の後にはカフェテリアでランチ、がルーティーンになった。教室を出る二人を見ながら小百合がニコニコしているのが、こそばゆかった。
「三限目が休講になったんだ。図書館でレポート書こうと思うんだけど」
「何?」
「あの……」
「分かったわよ。付いて行ってあげる」
今年度のカリキュラムでは、桐子の水曜三限目は空き時間である。何か入れても良かったのだが、四限目の実験は
「実験準備あるから、途中で出るよ」
「うん。分かってる」
SPにでもなった気分だ。腕に覚えはないけれど。
貢がレポートを書いている横で、図書館の見取り図を作成する。先日、貢を見つけた場所がここ。どう考えても外へは出られない。桐子の知らない隠し扉が本当にあるのだろうか。
「何してるの?」
貢がパソコンから顔を上げた。
「うん。ちょっとね」
手書きの見取り図を見せると、貢は目を丸くした。
「凄いな。こんなの描けるんだ。全部頭に入ってるってことだよね」
しきりと感心しながら、地図を回転させ、廊下を進んでいるようだ。
「これがあれば迷わないかな?」
言った後で、首を傾げる。
「あれ?」
少々気まずそうに見取り図を返し、再びパソコン画面に向かう。地図上ですら迷ったのか。
暫くして、カタカタというキーボードを叩く音が止まった。
「秋山さん」
「何?」
貢は、少々顔を伏せたまま、上目遣いで桐子を見詰めていた。どうしたのだろう?
「あの……」
暫く
「トイレに行きたいから、付いてきて」
子供か!
男子トイレ前の人気のない廊下で待ちながら、桐子は白い天井を仰ぎ見た。私は何をしているのだろう。学長の言葉に取り込まれ、勝手にミッションを遂行している訳だが、そもそも何のためのミッションなのだろう。考える程に分からなくなってくる。
貢がトイレから出て来る。自習室に戻ろうと踵を返しかけた桐子は、反対方向に向かって歩き出す貢を見て慌てて声を掛けた。
「そっちじゃないよ」
返事がなかった。
「一ノ瀬くん」
桐子の声が聞こえないかのように、貢はふらふらと歩いて行った。左手にハンカチを持ったまま、右手の指先で壁を伝うようにして廊下を進み、壁と同化したドアを開ける。
貢は、長い廊下の途中で足を止めた。あの時と同じ場所だと気づいて、何故か寒気を感じる。振り向いたその顔が血の色を失っているのに気付き、桐子は貢に駆け寄った。
「一ノ瀬く……」
急に視界が隠れた。頬に触れる布の感触と圧迫感に、抱き締められたのだと分かった。
「……思い出した」
耳元に、貢の息がかかった。
「あいつは言ったんだ。『中に居るんだろう? 出て来いよ』って」
背中に廻された手が、微かに震えていた。
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