002 発想を注ぎ込むには芯がいる?


 やはり作品にはある程度のテンプレが必要だと思います。


 いきなりなんだ?とお思いでしょうが、発想全部盛りが果たして良いのか悪いのか、を今回は考えてみようと思います。



 発想全部盛り、の定義について、まずはお話しましょう。


 『発想全部盛り』とは、最初から長編一本でやると決めていて、あらゆる発想を全部そこに注ぎ込む、ということです。例えばメイン更新の長編小説があるとして、たまに魔が差して他に浮気したくなり、不定期更新の小説がある、ということではありません。



 この『発想全部盛り』の可否について、ですが、結論から言えば、私は芯がある程度通っていれば良い、と思います。


 この場合の芯、というのは、作品の方針であり、同時にテンプレでもあると思います。

 それは、この先、ある程度どうなっているのかが分かる、ということです。


 それは、読み手に安心感を与えます。


 

 例えば、それはタイトルであり、ジャンルタグであり、小説紹介にあるあらすじであり、冒頭のプロローグであったりします。


 直接的表現なら、長文でタイトルでオチてたり、あらすじで、こういう流れです、との説明があったりします。

 間接的表現なら、主人公が勇者で王道とタグにあれば、魔王を倒す物語でしょうし、転生系異世界ファンタジーなら、特に表記がなければチート系か無双系でしょう。


 それらは、読み手がその小説を読み始めるきっかけであり、動機です。


 これを裏切ることは、あってはならないのではないでしょうか。

 それはつまり、信用が無くなる、ということでもあるのだと思います。


 もちろんそれが、文学的レトリックだった場合を除きますが。

 ※ミスリードなど



 この時に『発想全部盛り』だと、「タイトルで説明が無いのに、どういうことだ!」とか、「これ、おもてたんとちゃうわ」みたいな意見が出てきます。


 ですが、この時点で作品にある程度の展開のレールがあると、「この後一件落着なら、まあええか」とか、「いつもの伏線回収ないな。この後一体どうなるんだ…?」みたいなことを読み手の皆さんが考えてくれるので、批判を無かったことにできます。


 テンプレはよく悪し様に言われますが、こういったメリットもあるのだと思います。



 そしてそれは、芯が通っている、とも言えます。


 例えば、旅に出て、途中でハーレム作ろうが、皆で遊ぼうが、最後には魔王討伐して終わったとして。「旅行ではない。魔王討伐の旅だ」と言い切ることができるなら、その作品は自信を持って、芯が通っていると言えるのではないでしょうか。


 きっと、その小説の中には、遊び以外にも特訓や新技習得などのテンプレが含まれていたことでしょう。

 それらは一種の説得力であり、魔王討伐して終わる、という部分に至るまでの支えとしての役割を持つのだと思います。


 この支えが、物語のブレを修正し、多少ズレたところで問題のない屋台骨を担う芯となるのではないでしょうか。



 つまり、『発想全部盛り』のためには、この芯を如何に維持していくか、ということなのだと思います。


 逆に、芯さえあれば『発想全部盛り』のような無茶が出来る、とも言えるのかもしれません。

 もちろん、無制限に、とは行きませんが。



 尖った小説を書きたいのであれば、そのバランスを保つだけの安定感が必要、ということなのかもしれません。

 その安定感の元となるのがテンプレであり、芯でもあるのかもしれませんね。

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