あるいは幸運なミステイク

増田朋美

あるいは幸運なミステイク

11月というのに、暑い日が続いている。それのせいで、体調を崩してしまう人もいるだろう。なんだか最近は暑かったり大雨が降ったりして、なんだか伝統行事も省略されることが多くなってきていると思う。確かに具体的に利益があるわけじゃない。だけど、なぜ今それをやるのか。それは、一人ひとり答えが違っているような気がする。

その日、杉ちゃんがいつも通り水穂さんにご飯を食べさせようと、躍起になっていると、

「杉ちゃん。ちょっとお願いがあるんだけど、わたしたちの話を聞いてほしいの。プロの和裁屋の方なら、なんて答えを出してくれるか、教えてくれないかしら。」

そう製鉄所の玄関先で誰か女性の声がした。今どき誰だろうと、水穂さんが言うと、杉ちゃんの方はちょっと見てくるわと言って、すぐに車椅子を動かして、製鉄所の玄関に向かった。

「あれれ、マネさんじゃないの。どうしたの?こんなときに。」

と、杉ちゃんが言うと、まさしくそこにいたのは、白石萌子さんこと、マネさんであった。今は、インターネットのハンドメイド作家として登録し、着物を簡単に着られるように、二部式着物に作り直す仕事をしている。仕事は、ウェブサイトから受け持つこともあるが、最近はツイッターとかのSNSで依頼されることもあるという。決して流行っている仕事ではないけれど、着物を簡単に着たいという人は意外に多いそうで、マネさんは、結構忙しいのだそうだ。

「杉ちゃんこんにちは。ちょっと、教えてほしいことがあるの。ちょっとあがってもよろしいかしら?」

マネさんはにこやかに言った。

「そこの隣にいる二人の女性は誰かな?」

杉ちゃんが言うと、確かに、玄関先に女性が二人いた。一人は、60代くらいのちょっと年をとった女性で、もうひとりは、30代後半から、40代くらいと思われる女性だった。雰囲気が似ているので、多分親子である。

「ええ、二人は、私のお客さんで、石井龍子さんと、石井真理さんです。」

マネさんが紹介すると、

「どっちがどっちだよ。」

と、杉ちゃんは聞いた。

「はい、お母様のほうが石井龍子さん。娘さんのほうが、石井真理さんです。」

マネさんはにこやかに言った。

「どうもはじめまして。プロの和裁士の影山杉三先生ですね。こちら、大したお菓子じゃないですけど、持っていってください。」

龍子さんはそう言って杉ちゃんに超高級な和菓子を差し出した。なんでも上生である。

「こんな高級なのは食べれないよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「いえ、いいんです。相談に乗ってくださるんですから、ちょっとでもお礼をしないと。それに、着物を仕立てるというのは難しい作業でしょう?」

龍子さんは、言った。

「そんな事ありません。着物は、楽しく仕立てられます。それに僕は、先生でもなんでもない。影山杉三とは呼ばないで、杉ちゃんと呼んでください。」

杉ちゃんがでかい声でそう言って、

「それでは、石井さんたち、中に入ってください。相談って、何があったのか、ちゃんと話してくださいね。」

と、三人の女性を中へ招き入れた。二人の女性たちは、鶯張りの廊下を歩くというのは、初めてのことで、キュキュと音を立てて、廊下を歩いているのが新鮮だと言った。

とりあえず、杉ちゃんたちはみんな食堂へ行った。そこへ行くと、水穂さんが、お茶を淹れて待っていた。水穂さんが、大きな銀杏の葉の着物を着ているのを見て、真理さんのほうが、すごい素敵な着物だと言って喜んでいた。

「とりあえず、ここに座ってください。」

と、水穂さんが言った。三人の女性と、杉ちゃんたちは、急いで食堂の椅子に座った。

「それでは、相談ってなんだよ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「ええ、この着物なんですけど。」

と、真理さんが言って、カバンの中から、急いで畳紙を差し出した。畳紙を解いてみると、見事なピンク色に染められた、梅柄の美しい着物がはいっていた。

「はあ、こりゃ見事な紋綸子だな。どこを見ても、きれいに光ってるじゃないか。これはきっと、かなり高級な糸を使っているな。」

杉ちゃんは着物を撫でてみた。確かにテカテカと光って、素晴らしい着物だ。

「母から譲られたものなんです。私が、成人式のときに着て、此の子は着ませんでしたけど、でも、孫が生まれたら、孫に着せてやりたいと思ってずっと取っておきました。ですが、こんなふうにされてしまうとは、、、。」

龍子さんは、申し訳無さそうに言った。

「はあ、お母さんから、譲られたということは、真理さんにとってはお祖母様か。」

杉ちゃんが言うと、

「ええ。私は、祖母とはあまり仲が良くなくて、此の着物は着なかったんですけどね。でも、娘が生まれてから、あの子に、着せてやろうと思って、それで出してきたんです。」

と真理さんが言った。

「はあ。それでは、こんなふうにされてしまったとはどういうことですか?」

杉ちゃんが言うと、

「ええ。こちらなんですが、真理が、美枝子に着せてあげたいって勝手にいいだして、それで、こちらの白石萌子さんに申し込んだそうなんです。それで、着物がこんなふうな姿に、、、。」

と、龍子さんが言った。それなら出してみてくれと杉ちゃんが言うと、龍子さんは着物を取り出した。着物は、上下で別々に分かれていて、上着には別布で、紐がついていて、下は巻きスカートのような感じになっている。

「ああ、二部式着物にしたんだね。これでは、帯無しで使う、たまゆら式二部式着物というやつだな。」

と、杉ちゃんは言った。

「そうなんです、なんで着物をこんな形にしてしまったのか、これではせっかくの着物が、申し訳ないというか。母に何を謝罪したらいいかわからないので、なんでこんなふうにしてしまったのか。私は、納得が行かなくて、、、。」

龍子さんがそう言うと、

「納得行かないと言っても、簡単に着られるようにしたんだから、それはいいことだと思うけどね。それは、違うのかい?」

杉ちゃんがすぐ言った。

「ええ、確かにそうかも知れないけれど、でも、帯もしないで、こんなふうにしてしまうなんて、そんな事をしてしまうのは、なんだかいけないことのような気がするんですよ。それをうちの真理が、勝手に二部式にして、美枝子に着せるんだって、言い張るものですから、私はどうしたらいいのかわからなくなってしまいまして。」

龍子さんはそういった。

「ちょっと待ってください。美枝子さんという人物は誰なのでしょうか?それで、美枝子さんという人物が着るのに当たって、二部式にしなければならない理由があったんですか?」

と、水穂さんが静かに言った。

「ええ。美枝子は、真理が、お客さん相手に設けた、娘なんです。」

龍子さんが言うと、真理さんがなんでそんな事言うのという顔をした。

「お客さん。というとつまり、売春でもしていたのか?」

杉ちゃんがそう言うと、

「ええ。なんでも吉原の歓楽街で働いていたそうです。それで、結婚はしないで、お客さんの間に娘を儲けてしまいました。なんで、こんな事をするのか、私はわかりませんでしたけど、真理は、一生懸命やったんだと言ってましたから。」

龍子さんは言った。

「そうなんですか。まあ、女郎さんだったということね。それで、その女郎さんが娘さんに、着物を着させて上げたいと思ったわけ?お正月支度にしてはまだ早すぎるような気がするし、、、。」

杉ちゃんが言うと、

「ええ。もうすぐ、美枝子が13歳になります。」

と、真理さんが言った。

「ああ、13参りか。そういうことなら、なんとなくお前さんたちの筋書きが見えてきたぞ。つまりお前さんの相談事をまとめさせてもらうと、もうすぐ美枝子さんというお孫さんが、13歳になって、13参りが開催されるので、そのときに着る着物を選んでいたというわけか。それで、着付けに苦労しないように、無理やりマネさんに頼んで二部式にさせたんだろ。それでお母さんが、お祖母様に申し訳ないということで、それで、ここに相談に来たってわけね。」

杉ちゃんは、でかい声で言った。

「そうですか。それは、お気の毒でした。しかし、腑に落ちない点がもう一つあります。その美枝子さんというお孫さんの本人の意志はどうなのでしょうか。着物を着たいという意志があるのでしょうか。それとも洋服で出席したいので、それでは、着物は着たくないと言ったから、それにあわせて、二部式にするようにいったのでしょうか?」

と、水穂さんが細い声で言った。

「うん確かに、水穂さんの言うとおりだ。それに、さらにもう一個あるぞ。なぜ本人は来ないのか。まあ、学校へ行っている時間だったら、それまでだけど、でも、それでも、13歳であれば、もう学校は終わって帰って来る時間だけどな?」

と、杉ちゃんが言った。

「そうなんです。美枝子は今、精神疾患で、今病院です。」

真理さんが言った。

「はあ。なにか、鬱にでもなったのか?」

杉ちゃんはサラリと言った。二人は、なんでそんなにさらりと言ってしまうのかよくわからないという顔をしたが、

「いえ、大丈夫です。こちらの施設では、そういう精神疾患を持った方はたくさんいらっしゃいますから。何も僕たちは偏見は何もありません。それでは、美枝子さんにぜひ、13参りをさせて上げたいものですね。」

と、水穂さんが言った。

「ええ、美枝子は、公立の中学校にはいったんですけど、いじめが酷くて。あたしが、仕事で忙しすぎてて、何もかまってやることはできませんでした。ただ、薬さえ飲んでいればそれでいいなんて安易な考え方をしてしまったのが悪かったんです。あんな危ない薬、飲ませてしまって、なんだか口減らしと同じような事をしてしまったんじゃないかなって、私は反省しているんですけど。」

真理さんは涙ぐんで言った。

「そうですか。ちなみにその薬というのは?」

杉ちゃんが聞くと、

「はい、リタリンです。飲み始めて数日は良かったんですけど、それが切れてしまうと顔中引っ掻いたり、幻聴が聞こえてくるだとか、そういう事を訴えて、それを消すためにまた飲んで。そんな事、信じられないかもしれないけど、金槌でリタリンを叩き割り、ストローで鼻から吸うなんて事を、繰り返して。もう酷いものでした。」

と、龍子さんが言った。

「リタリンねえ。あれは確かに合法化された覚醒剤と呼ばれていますからな。欧米ではとっくに使用禁止になった薬が、日本では平気で使われているっていうんだから、おかしいことだ。」

と、杉ちゃんが言った。

「でも、それしか、あなたには選択肢がなかったんでしょう?それは仕方ないことというか、皆さんは、それしかできなかったということは、認めて挙げないと。悪いのはあなたではありません。それは、そういう悪質な医者が悪いんです。それはまず初めに徹底しておかないとね。それでは、美枝子さんは、余計に可哀想な立場になってしまいます。」

水穂さんが静かに言った。

「確かにリタリンは、酷い薬だよな。あんな危ない薬、良く平気で使用しているもんだよ。それで、美枝子さんは、いつ帰って来るの?」

杉ちゃんがそれに付け加えた。

「お二人は、美枝子のことを責めたり、真理のことを駄目な親だと言ったりしないのですか?」

と、龍子さんが聞いた。

「いや、しませんよ。そんな事したってしょうがないでしょ。それより、美枝子さんが帰ってきて、早く、13参りに行けるといいですね。そのために、着物を着やすくしてくれたのであれば、それは良いことをしたのではないかと思いますけどね。」

水穂さんはそう答えた。

「僕もそんな事は言わないな。そんな事で親として甲乙つけるのは、大した人間の言うことじゃないさ。人間にできるのは、事実に対して、どうすればいいかを考えるだけだもん。それに親としてどうのとか、そういう事言うのは、大した人間じゃないって、庵主さまが言ってた。」

杉ちゃんもそれに同調する。

「そうなんですか。宗教にも詳しいんですね。お二人って。あたしたちは、もうどんな宗教も考えて来なかったけど、やっぱりそういう事を言えるんですね。やっぱり、人間は、そういうものがあったほうが、いいってことかな。確かに、悪い宗教もあるけれど、そうでもないのかな。」

真理さんはそんな事を言い始めた。

「まあ、それはどうでもいいが、とにかくさ。これは、娘さんの美枝子さんが着るものだ。それで、着付けができないので、簡単に着せてやれるようにしてやりたいと考えるのだって、親の愛情だと思うけどね。だって、まず初めに、彼女、真理さんは成人式には着たことがないんだもんね。」

杉ちゃんがでかい声で言った。

「僕もそう思いますね。それはきっと、真理さんが、マネさんに一生懸命訴えたのでしょうし、それで自分にできなかった着物を着せてやりたいって思うことは、何も悪いことでもありません。それに、着られないなら簡単に着られるようにしてしまうという発想も、真理さんには必要なことだったんですよ。だって、着付けができなかったんですから。それを、着物に対する冒涜というのは、ちょっと極端すぎるのではありませんか?」

水穂さんは、龍子さんに一生懸命言った。

「でも、母が作ってくれた着物であると思うと、、、。」

と、龍子さんは申し訳無さそうに言っている。

「まあ、そうなんだけどねえ。着物を自力で着られるやつは、今どんどん減ってきてるしさ。それに、着物を着せてもらう専門の着付けの先生だって、お金がかかるだろ。だったら簡単に着られるようにしてしまえ。それは、悪いことじゃないよ。それに、着物だって、タンスにしまいっぱなしよりも、着てくれれば、もっと喜ぶんじゃないかと思うけど。」

杉ちゃんがもう一度言った。真理さんは、とてもうれしそうに、

「そうですよね!嬉しいです!」

と言っている。龍子さんは、それをじっと見つめていたが、なにか考えたような顔をして、

「そうなんですね。確かに今の時代であれば、そういう事も追いつくのかもしれない。私は、着物の着付けは一人で本を読みながら覚えるしかなったから、着付けをしないで着られる着物なんて、ちょっと悔しい事もありましたけど、それも、時代の流れと考えるべきなのかな、、、。」

と一生懸命言った。

「あたしも、そう思ってますよ。あたし、いろんなお客さんを相手にしてきたけど、着物を着てみたいけど、着られない人はいっぱいいるんですよ。だから、それを着られるようにしてあげるっていうのは、本当にすごいことだとあたしは思っているの。だから、二部式にするなんて、なんにも罪でもなんでも思いません。着られるように着物を着せてあげる。それは、何が悪いと言うのですか?」

マネさんが、龍子さんに言った。

「いずれにしても、きっと簡単に着られる着物であれば、美枝子さんは喜びますよ。それに、13参りができるなんて、本当にすごいことじゃありませんか。中には、それだってできない人だっているんです。それは、嬉しいことですよね。だから喜んでお祝いさせて上げてください。」

水穂さんが龍子さんにいうと、龍子さんは、もうこういう事を考えても無駄だと思ったのだろうか、それとも、なにか別のことを思ったのだろうか、ちょっと黙ってしまったが、水穂さんの方を向いて、

「ありがとうございました。」

と頭を下げるのである。

「それでは、無事に13参りの式典を挙げられたら、よろしければ、こちらの住所に送ってください。ぜひ、美枝子さんが笑顔で式典を迎えられるのを、楽しみにしております。」

水穂さんが、製鉄所の住所を書いて、龍子さんに渡した。

「わかりました。ありがとうございます。本当に今日は、こんな相談に乗ってくださってありがとうございました。それに、あたしたちの事をだめな家族とか、そういう事を言わないでくれてそれが一番うれしかったです。杉ちゃんさん、本当にどうもありがとう。」

真理さんが、静かに杉ちゃんに頭を下げる。

「いやあ礼なんて言われなくてもいいよ。それより、早く美枝子さんが良くなってくれて、無事に13参りを迎えられるといいね。あ、あのね、13参りにはしきたりがあるんだぜ。神社の鳥居をくぐって、出るまでは、絶対後ろは振り向いては行けないんだぞ。それは、神様に感謝して、意志を示すことでもあるんだから。そのしきたりは、守ってちょうだいね。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「はい、決してさせません。そんなしきたりがあるなんて全く知りませんでした。杉ちゃんさんは、やっぱりいろんな事知ってますね。和裁の専門の先生は違うなあ。私、母が着物を着ていたので、着物というものがあまり好きではなかったけれど、でも、今回そういう事を教えてもらったから、ちょっと勉強してみようかな。」

と、真理さんはにこやかな笑顔で答えた。

「今回の事は、着物の歴史で言ったら間違いなのかもしれないけど、もしかしたら、これはいい方にころんだのかもしれないわ。それなら、幸運な間違いというべきなのかもしれないわね。」

マネさんが、そう言うと、

「ええ、あるいは幸運なミステイクですよ。確かに二部式着物というのは偽物なのかもしれませんが、偽物で一度体験して、本物の着物に触れてみたいという人もいますからね。それに向かって大きな足がかりになってくれるのであれば、また変わってくるのではないですか。邦楽なんかもそうだけど、西洋音楽をやってみて、改めて古典箏曲にふれるようになった例もあるでしょう。」

水穂さんがにこやかに笑っていった。確かに、そうなのかもしれなかった。一度間違えてみて、それが逆に本物をしるきっかけになる。そういう事は伝統文化の世界ではよくあるのである。着物もそうなのかもしれない。

ありがとうございましたと言って、三人の女性は、畳紙を畳み、製鉄所をあとにした。

「きっと美枝子さんは、必ずもとに戻れるよ。だって、お母ちゃんもおばあちゃんもいるし、着物を二部式に仕立て直してくれるほど、お母ちゃんが愛情を持ってくれているんだから。」

と杉ちゃんは彼女たちが帰っていく音を聞きながら、静かに呟いたのであった。



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あるいは幸運なミステイク 増田朋美 @masubuchi4996

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