第34話 自由人と責任

「いいね、こういう住宅街って。なんか好き」

「生活感というか。日本ならではの感じあるよな」


 バスに乗った俺達は遠くの町まで来ていた。俺もあんまり来た事がない場所だ。


 団地やアパート、マンションなどの住宅が並ぶ場所。海外の住宅街とは確かに違う雰囲気がある。


「それに、治安も良いな。さっきのあれがあってからなんとも言えない所ではあるが」

「そうだね。あっちはなんて言うのかな。幸せそうにする人も居るけど、明日を生きれるかどうかの不安が残る。そんな感じだよね。日本にはそういうの、あんまりないね」

「……ああ、そうだな」


 あの笑顔はあんまり好きじゃない。それでも、明日生きられるか分からない彼らが浮かべるのはあんな風などこか影のある笑顔だけだ。


 俺が出来るのは、その笑顔を数日引き延ばせるかどうか。子供の俺に根本的な解決なんて出来るはずがなかった。



「楽しそうだね」


 シャルが目を向けた所では、親子が楽しそうに手を繋いで歩いていた。お散歩かお買い物か、その両方か。


 何にしても、とても楽しそうだ。


「いつか私達もあんな風に子供と手を繋ぐのかな」

「……どう、だろうな。そうだといいな」


 シャルが手をきゅっと握ってくる。


 少しの間、無言の時間が続いた。



「ねえ。近くに公園とかないかな。静かで、ちょっと広い原っぱとかある感じの」

「難しい注文だな。でも探してみるか」


 そして俺達は歩き始めた。

 目的地を探す。ただそれだけの事なのに、彼女と居るととても楽しく思えた。



 ◆◆◆


「意外とあるもんだね。うん、いい感じ」


 俺とシャルが見つけたのは一つの公園。小学生が遠足で行くような、かなり広めの公園だった。


 遠くに見える大きな遊具にはちらほら子供達の姿が見えるが、このは原っぱには運が良い事に誰も居なかった。


 ごろんとシャルは木陰へと横になって、チラリと俺を見てくる。隣に来いと言っているのだろう。


 大人しく俺も横になる。


 木漏れ日が全身に心地良く、吹く風がやけに涼しい。



「今日、テオに助けられたね」


 ふと声を掛けられた。そちらに目をやると、彼女はとても楽しそうに笑っている。


「そうだな。でも、多分俺が居なくてもシャルならどうにか出来たんじゃないかって思うよ」

「それでも、私がテオに助けられたのは事実だよ。万が一がないとは言えないし。ひょっとしたら、本当に怖い目に遭ってもおかしくはなかった」


 まっすぐに見つめられて。俺は目を逸らす事も出来ず、ただ話を聞いていた。



「もしかしたら、おっぱいくらいなら触られてたかもね。そこから私がテオ以外の男の人が怖くなってもおかしくなかった」

「……それは、俺としても嫌だな」

「ふふ、でしょ?」


 彼女の体を他の男が触る……というのは想像したくなかった。それに彼女自身の心にキズが出来てしまうというのも嫌だ。


 ……後者はともかく前者は独占欲やばいな。


 ため息を吐こうとしたが、彼女が話しかけてきてそれを飲み込んだ。



「それにね。テオと逃げる時さ。初めて会った日の事思い出したんだ。テオは覚えてる?」

「忘れろって言う方が難しいぞ」


 あの日の事はそう簡単に忘れる事は出来ない。というか、忘れる事なんて生涯出来ないだろう。


「何回も夢に見たくらいだにな」

「あ、いっしょだ。私もよく夢に見たよ」

「……そうか。俺にもそれくらい衝撃的で、楽しかったんだ。あの日の事は」



 カツアゲされそうになった所を彼女に助けられた。路地裏に逃げ込んで、なんかよく分からない度胸試しをされた。


 今までした事がない体験。初対面でこんな事をされて嫌だったはずなのに、妙に俺の心はわくわくしていた。


 彼女と――シャルと一緒なら、またこんな体験が出来るんじゃないかと思って。



「いっしょだよ。あの日は私も忘れる事なんて出来なかった」



 そこでシャルは言葉を止める。木が風に揺られ、葉の擦れる音が全身の力を抜かせてくれた。


 少し眠気が襲いかかってきて、目を瞑ろうとしたが――彼女の声に俺は目を開けた。



「忘れられない、で思い出したんだけどさ。テオ、今週あった事覚えてる?」

「今週? また範囲が広いな?」

「じゃあもうちょっと絞ろっか。私の家に泊まりに来た時の事覚えてる?」

「そりゃ覚えてるが……どうしたんだ?」


 さすがに忘れられないんだが。あんな濃い体験。

 泊まりに行った日もそうだが――その次の日の朝の事は忘れたくても忘れさせてくれない。


 ……いや。別に忘れたくないんだけどな。



「ふーん? 覚えてないんだ」

「覚えてない? いや、覚えてるが」

「じゃあ私にちゅーした時の事も覚えてるんだ」



 ドクン、と心臓が強く脈打つ。しかし、そういう意味じゃないだろと俺は小さく息を吐いた。



 ちゅー、ちゅーね。あれだな。寝るに前やったやつだな。


 ごろんとシャルが転がってきた。手を取られ、カラメル色の瞳がじっと俺を見つめてくる。



 ……あれ? 俺、寝る前のキスしてたっけ?



 脳にある記憶を掘り起こしてみるも、少しその辺が曖昧だった。


 確かあの時はシャルに俺の話をして。めちゃくちゃ眠かったんだよな、確か。


「あー……ごめん。めちゃくちゃ眠くてちょっと覚えてないかもしれない」

「ふふ、知ってる。だって覚えてたらテオそんな顔出来てないだろうし」


 その言葉の意味が分からず首を傾げていると、彼女が身を捩って近づいてきた。


 ぴとりと体を密着させてきて。すぐ目の前に彼女の綺麗な顔があった。



「暗くてさ、よく見えなかったと思うんだ。電気消した後にしたから」

「そういえばそんな感じだったな」



 思い出した。暗闇の中シャルに頬へとキスをされたのだ。それで――



「お返しのちゅーはここにしてたんだよ、テオ」



 とん、と人差し指が俺の唇へと当てられる。俺の思考は止まった。



 ……え? お返しのちゅー? ここ?

 ここにってどういう事だ?


「じ、冗談……じゃ、ないのか」


 シャルの顔は至って真剣であった。まじ? まじなのか俺?



 でも、それならば合点がいく。次の日からやけにシャルが……積極的だった事が。



「うん、ほんと」

「…………ごめん」

「それはなんに対するごめんなのかな?」


 その綺麗な顔が詰め寄ってきて……息が詰まってしまいそうであった。



「お、覚えてない事と、事故とはいえ無断でシャルにキスをしてしまった事に対してです」

「別に怒ってる訳じゃないけどね。でも――」



 こつん、と額が当てられた。



「責任はとってもらおうかな?」



 そして。更にその顔が近づいてきて――





 ――唐突に唇が重ねられた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る