第29話 自由人の覚悟

「んぅ……」


 息苦しさに目が覚めた。でも、嫌な息苦しさじゃない。それが不思議だった。

 枕に顔を埋めて呼吸をしているような、そんな感じ。

 ただ、強く甘い匂いがしていて。なぜか彼女の匂いと似ているような気がして、脳をくすぐっていた。


 眠ろうと思えば眠れると思う。

 でも、その正体が知りたくて俺は目を開けた。


「……?」


 目の前には水色の布に覆われている大きな塊があった。

 頬に伝わる感触はふかふかぷにぷにでとても柔らかい。


 こんなクッションあったっけ? 甘い匂いもここからしてるようだ。


 まあいっか。


 そこに顔を埋めてまた眠りにつこうとすると――



「テーオ。朝だよ」



 頭の上からそんな声が聞こえてきた。そういえばシャルの家に来ていて……と昨日の記憶が思い出される。


 あれ? シャルの家にこんなクッションなかったよな? というかシャルが着ていたパジャマの色に似て? ん?


「わぷっ」


 そこでクッションが襲いかかってきた。


 襲いかかってきた?


 え?



「今日は積極的だね、テオ」

「シャ……る…………」


 顔を上げると、すぐ目の前にカラメル色の瞳があった。その白魚のような手が伸びてきて、頭をわしゃわしゃと撫でられる。



 こ、これ、もしかして。

 クッションじゃなくて、シャルの――


「ご、ごめ――んぐっ」

「謝らないで。別に怒ってないし。テオも気に入ってくれたみたいだからね」



 顔を離そうとしても、彼女が離してくれなかった。またそこへ……へと顔を埋めてしまう。


 クッションや干し立ての布団とは違う柔らかさ。餅のような、プリンのような……押せば弾力があって、跳ね返される。


 あれ、これ……


「気づいた? 折角だし外してみたんだ」

「!?」


 ベッドの上に黒くて大きな何かがあった。それがなんなのかを知覚する前に目を背ける。


 同時に、その奥から鼓動が響いてきて……嫌に顔が熱くなってしまった。


「し、シャル、なんで……」

「んー? なんでだと思う?」


 どこか楽しげな声。その言い方だと理由がある?


 脳を探ってみるも、分からなかった。


 昨日は俺の事を話して眠ったはずだ。

 そういえば、昨日は珍しく睡魔に襲われてすぐ眠ったな。シャルに抱きついてなかったから……はさすがにないか。


 じゃあなんだ? と思いながらも。とある事に気づいてしまう。


「な、なあ、シャル。ちょっと離れて欲しいんだが」

「なんで?」

「な、なんでと言いますか。なんと言いますか」


 非常に言いづらいので察して欲しい。生理現象と言いますか……朝という事もあって、我慢が効かないのだ。


「触ってみる?」

「は、話聞いてくれないか?」

「んー、やだ」

「やだと言わずにそこをなんとか」

「テオが私で反応してくれてる証拠だからね」

「ッ――」


 目だけを上へと上げると、にんまりと笑っている顔が見えた。……耳が真っ赤になっているので、一切恥ずかしくないという訳ではなさそうだ。


「じゃあテオが触ってくれたら離してあげるよ」

「か、顔はそれに判定されてないのか?」

「手でわしっとじゃないとダメ」

「なんか追加されてる」


 触るだけのはずが……いや、それでも十分ハードル高いんだけども。


「私はずっとこのままでもいいよ」

「…………わ、分かった」


 これしか選択肢がないのなら……いいのか? 本当にいいのか? これはライン越えじゃないのか?


「一回じゃなくて二回の方がいい? 何回触ってもいいよ」

「い、一回。一回でお願いします」


 耐えろ、俺の理性。一回なら多分耐えられるはずだ。頑張れ理性。


 ……いつまでも渋っていたら時間が無くなる、か。


 ゆっくりと腕を持ち上げる。少し震えてしまい、朝だというのに手汗も少しかいている。一度自分の服で拭いた。


 そしてまた近づいていく。ドクン、ドクンという鼓動は俺から聞こえているのか……それとも彼女から聞こえているのか。分からない。



 本当に良いのだろうか。いや、ここまで来て引き下がるとどうにかなってしまうと思う。


 そして、遂に手がそこへと触れ――



「有紗ー? 飛鳥君ー? そろそろ起きたかなー?」



 ビクンっと体が大きく跳ね、全身に力が入ってしまった。


「んっ……起きてるよー」

「朝ご飯、もう出来てるからいつでも降りてきていいからね」

「……はーい」


 手のひらから感じる、


 俺の手はわしっと。彼女の胸を掴んでいた。


 完全にショートしていた俺の頭はゆっくりと動き始め、同時に顔から血の気が引いていく。



「ごめ――」

「謝らないで」



 慌てた拍子に、手の力はかなり強くなっていた。

 SNS等でそこを強く触ってはいけないと見た事があって、手を離そうとしたけど……彼女の手は俺の手を包んで強く押しつけてくる。


「どう? 初めて触った感想」

「……やわらかいです」

「ふふ、でしょ? 自慢の逸品だよ」


 そこで彼女は解放してくれた。大人しく手を引くも、その手には先程までの感触がずっと残っているような気がする。


「もういっかい触る?」

「え、遠慮しておきます」

「そう遠慮しないで、ほら」

「い、今、色々と限界だから」


 シャルが胸を張ると、その立派なものが大きく揺れた。目を奪われそうになって、俺は無理矢理に目を閉じる。


「し、シャル。悪いが先に降りててくれ」

「……これいる?」

「手、手に当てないでくれ。大丈夫……というか人の部屋で変な事はしないから!」


 手に生温かいものが当てられ、俺は強く目を瞑った。十中八九、先程彼女が外したと言っていただろう。


「ふーん? そっか。じゃあ先降りてるね」

「……あ、ああ」


 シャルの言葉にホッとする。そのまま彼女が居なくなったのを確認して、大きく息を吐いた。



「色々、やばかった。今日は」



 先程までの感触が、そして温もりが残っていて……あの強く甘い匂いもまだしているようにすら思える。


「だ、ダメだダメだ。考えるな」


 考えれば考えるほど下に降りる時間が長くなってしまう。


 精神を落ち着けるために眼を瞑り、何も考えないよう意識をする。




 その後、シャル母に「週一くらいで泊まりに来てね」と言われたのでまたくる事を約束して。



 ――そうして、シャルの家へのお泊まりは終わったのだった。

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