第26話 あまえんぼ自由人
「……シャル」
「ん?」
「その、さすがにあれというか」
「やだ。クッキー食べさせて」
「拒否が早くありませんかお姫様」
首に腕を絡ませるように抱きつき、胸に頭を置くシャル。
一万歩譲ってそれは良いとしよう。
百万歩譲ってクッキーを食べさせるのも良いとしよう。
しかし――シャルの両親に見られている。これが非常に、非常によろしくない。
「あんなにあまえんぼな有紗を見るのは何年ぶりかな? お母さん」
「ちっちゃい頃ぶりじゃないかな? 成長してるけど、昔のあの子らしさもある。いいわね」
すっごい微笑ましそうに見てるんですが。止めてくれませんかお二人とも。
……どうしてこうなった、と言いたいが。原因は分かっている。
俺がシャルを名前で――
『我慢出来なくなっちゃうから』
その言葉は耳にこびり付いて離れない。さっきから何度も頭の中に響いていた。
いつもと違う……余裕がなくて、まるで自分を押さえつけるかのような言動。
それはシャルらしくない。それは嫌なはずなのに、妙にドキドキとしてしまっていた。
「ん」
シャルは胸の中でクッキーを咥え、突き出してきた。
「……なんだ?」
「
「はい!?」
「ん」
シャルがこちらへクッキーを突き出してくる。固まっていると、その顔はどんどん近づいてきた。
試しに指を近づけてみる。……小さく首を振られた。
え、いや、え? これ食べろって言われてる? ポッキーゲームみたいな?
いやいやいやいや、ポッキーゲームはあの長さがあるからゲームとして成り立つ……あれ、ゲームって言うけど勝敗決めるのか? どうやって?
「んー」
その声に意識を引き戻された。もう少し現実逃避したかったんだが。
……え、これどうしよう。
何か選択肢がないかシャルの両親を見てみる。すっごい良い笑顔で俺達の事を見ていた。
なんだ。なんなんだこれ。やるしかないのか?
下を見ると、カラメル色の瞳がじーっと俺の事を見つめていた。
一つ、小さく息を吐いた。大丈夫。俺ならやれる。
そうして――クッキーに唇を合わせ。半分に少し満たないくらいの所で噛み砕いた。
甘いチョコレートクッキーの中に、柑橘類のように甘く爽やかな匂いが混じる。
あっぶない。今のかなり危なかった。いやまじで。よくやった俺。
「……むー」
しかし、シャルは少し不満げな顔を見せてくる。なんでだよ。上手くやっただろ今のは。
「まあいっか」
小さく呟いてまた口を開けるシャル。クッキーを持っていくと、今度はちゃんと食べてくれた。
そうしてしばらくの間――彼女とクッキーを食べた。
それを二人が楽しそうに見ていたのがめちゃくちゃ緊張した。
◆◆◆
「そういえば、さっきシャルが言った『お父さんが教えてくれたから』ってどういう事なんだ?」
さっきから聞こうと思いながら忘れていた。膝の上へと寝転がっているシャルを見つつ、そう尋ねた。
「んー? あ、犯罪とかに巻き込まれないようにって話してた時のやつね。お父さんが護身術とか教えてくれたんだ」
「護身術?」
中々聞かない言葉に思わずオウム返しにしてしまった。シャルがお父さんの方を向いて、俺もそっちを見た。
「実は僕、考古学者をする前は自衛隊に所属していてね。短い期間だったけど」
「……なるほど」
だからそんなにムキムキなのか。いや、身長なんかは生まれつきの素質とかあるんだろうが。
「この肉体は海外でも舐められないように、という理由もあって維持してるんだ」
「あー、そういう事でしたか」
「うん。威圧感あるだろう?」
ニヤリと笑うシャル父。
本当にもう、最初会った瞬間は死ぬかと思いました。とは言えない。
「それに、有紗は僕達の大切な娘だからね。有紗、一番の護身術は覚えてるかい?」
「危険な目に遭わない事。人気の少ない所は歩かない。あんまり人と目を合わせない。人がたくさん居る所には行かない。逃げ道は常に確保する。とか。その他諸々」
「うん、さすが有紗。よく覚えてるね」
待て、一個明らかに守ってないのがあるんだが。まあ、路地裏は逃げる為だけにしか入ってないし……走ってるからギリセーフなのか?
シャルへと目を向けると、とても良い笑顔を向けられた。これ言わない方が良いやつだな。
「もちろんいざという時の護身術も教えたけど、あんまりあてにしない方が良い……とは言っても、有紗なら複数の大人に囲まれても逃げ出せると思うよ。腕力あるし、運動神経も良いからね」
「そういえばシャル、力強いよな」
「向こうでの体力テストだと毎回一位のA判定だったよ。握力もその辺の男子より強かったし。頑張ればテオの事もおんぶ出来るんじゃないかな?」
「……なんかシャルなら出来てもおかしくない気がする」
普通の女子の力は知らないから比較は出来ないんだが、それでも抱きしめてくる力なんかはかなり強かった記憶である。
「でも、もう日本に来たからね。早々悪い人には会わないと思うよ」
「……そうですね」
言えない。まさか既に危険な目に遭っていたなんて。俺から首突っ込んだ感はあるんだけども。
だけど、さすがにもう大丈夫だろうな。警察の方も巡回してくれてるはずだし、会う事もないだろう。多分。
……と、そこでシャルが膝の上からじっと俺を見つめている事に気づいた。
手を揉むように握ってきて、彼女はニコリと微笑む。
「大丈夫だよ、テオ。私とテオがいっしょに居たら危ない事にはならない。絶対にね」
「……そうだな」
前もシャルに助けられたからな。でも、助けられるだけにはなりたくない。
「何かあれば、今度は俺が助けるよ」
「うん。楽しみにしてるね」
その機会が来るかどうかは別として。というか無い方が良いんだけども。
俺はいざという時、シャルを助ける事が出来るのだろうか。
もちろん助けると思う。そう思いたい。だが、実際どうなるのか……分からない。
それが少しだけ不安で――
「大丈夫だよ」
カラメル色の瞳は暖かい光を放っていた。そのしなやかな手が伸びてきて、頬へと触れてくる。
「テオなら大丈夫」
その『眼』は全てを悟っているようで……小さく息を吐いた。
「そうだな。俺ならきっと、大丈夫だ」
シャルに頬を撫でられていると、不思議と胸中に掬っていた不安は消えていったのだった。
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