第25話 琥珀と自由人一家

「さあ、入って入って。お母さんがクッキーを焼いてるから」

「やったー!」

「お、お邪魔します」


 シャルのお父さんに言われて中へと入る。やっぱり中も広そうだ。


 シャルがある部屋を覗き込んで……その部屋からはすっごく甘い良い匂いがした。キッチンのようだ。


 そして、オーブンの前にその女性は居た。


「お帰りなさい、有紗。……貴方がテオ君ね」

「は、はい! テオこと荻照飛鳥おぎてるあすかです」


 振り返る女性に背筋がビシッと伸びてしまった。


 とても――とても綺麗な女性であった。シャルのお父さんもそうだが、凄く若々しい。


「……あら?」

「ん? どうかしました?」

「……いいえ? ふふ、そっか」


 なんか楽しそうに笑うシャル母。

 クッキーの用意をしてくれているこの場でというのもあれなので、ちゃんとした挨拶は後でしよう。


「軽く家を案内しよう。洗面所の場所とか分からないだろうし」

「あ、ありがとうございます」

「私がやるよ、お父さん」

「……お父さん、テオ君と仲良くしたいんだ。リビングで一人はちょっと寂しいし」


 しゅんとなるシャル父。心無しか筋肉も萎れている。いや、それでも太いんだが。


 という事で、二人に家を軽く案内してもらう。シャルの部屋は二階にあるようだった。荷物を部屋に置いててくれるとの事なので、遠慮なく預けた。


 それからリビングに戻ると、シャル母が机にことりとクッキーを置いている所だった。

 お皿に積まれているのはチョコチップクッキーだ。めちゃくちゃ美味しそう。


「それじゃあ召し上がれ」

「やったー、いただきます!」


 シャルが座って丁寧に手を合わせる。

隣に座らないの? と目が訴えかけてきたので、大人しく隣に座る。


 ……思わず正座で座ってしまった。


「楽にしていいんだよ」

「そーそー。じゃないと膝に寝っ転がっちゃうよ?」

「……えっと、それじゃあ遠慮なく」


 ありがたく足を崩し、そして改めてシャルの両親を見る。


 めちゃくちゃ美人な母親と、ムキムキイケメンの父親。濃い。濃すぎる。


 濃すぎるが、ここで臆する訳にはいかない。



「改めてご挨拶をさせていただきたく思います。有紗ありささんと現在交際をさせていただいております。荻輝飛鳥おぎてるあすかと申します」

「丁寧にありがとう。僕は流川剛るかわつよし。有紗のお父さんをしてる。気軽に『お義父さん』って呼んで欲しい」

「ん?」

「私は流川菜々美るかわななみ。有紗のお母さんよ。『お義母さん』って呼んでね」

「んん?」


 ……あれか?

 なんかこういうのって名前で呼ぶのも違うような気がするし。かといって、ずっと『シャルのお母さん』呼びもあれだ。だから気軽に『お父さん』と呼んでくれみたいな感じか?


 でも、それにしては『お父さん』と『お母さん』のニュアンスがおかしいような気がする。


「テオ、固いよ。もっと気楽に接して」

「そうだよ。もっと有紗を見習って自由にすると良い」

「……それは自由になりすぎでは」

「ははっ、確かにそうだ」


 あ、ちゃんとシャルが自由すぎるという認識はあるんだ。それが彼女の魅力でもあるんだが。


「テオも言うようになったね。はい、あーん」

「シャルんむぐっ」


 口を開いた隙にシャルがクッキーを突っ込んできた。口の中に優しく甘い味が訪れる。


 そして。シャルは姿勢を戻す事なく俺へともたれかかってきた。


「んぐぐ!?」

「どうせ家でもこの距離感なんだからさ。慣れとこ慣れとこ」


 近づくだけで飽き足らず――頬に特別柔らかいものが触れた。


「有紗、本当にテオ君……飛鳥君の事が好きなんだね」

「うん。そーだよ」


 微笑ましそうに見つめてくるシャルの父母。


 とりあえずクッキーを飲み込み、シャルから離れ……


 離れ……


「シャル? 一旦離れてくれないか?」

「え、やだ」

「……分かった」


 一旦シャルの事は置いておこう。今は二人に聞かなければいけない事があった。


「えっと、その。交際に反対とかしないんですか?」

「反対? なんで?」

「?」


 二人に聞くも、首を傾げられた。……そんな反応されるとは思ってなかったんだが。


「た、確かに五年前にシャルと遊んではいましたが、五年前の事です。この五年で俺が悪い方向に成長していたかもしれません」


 ……実際、俺は良くない方向へ成長している。



 内向的で、リーダーシップもない。友人も居なかった。最近隼斗が一緒に居る事が増えたが。あれは友人と呼んで良いのだろうか。



 シャルのお父さんは――ニコリと、優しく微笑みかけてきた。


「もし君が本当に悪くなっていたら、今ここに君は居ないはずだよ」


 ドクン、と強く心臓が打ち付けられた。シャルのお父さんは俺からシャルへと視線を移した。



「有紗は人を見る『』が特別良いんだよ。現に、有紗は海外でも犯罪や問題に巻き込まれる事はなかった」

「お父さんが教えてくれたからだよ」

「それでも、直感的なものは経験を積まないと磨けないはずなんだ。有紗が持ってる『』は天性的なものだ」

「うん、そうね。有紗の直感は鋭い。とてもね」


 二人の言葉を聞いて、いくつか思い当たる節があった。



 五年前。俺に出来る事はないかと、色んなボランティアに参加していた。

 でも、一回シャルが『嫌な予感がするから今日はやめて。いっしょに遊ぼ』と言ってきたのだ。


 後で調べてみると――そのボランティアに参加していた人が犯罪に巻き込まれたケースがいくつも見つかった。


 それからお父さん達は、自分達の知り合いの中でも特に信頼出来るボランティアを探すようにしてくれた。


 他にも、シャルは海外でスリに遭ったりする事もなかった。


――そういう事をする人は『』で分かるから


 彼女はそう言っていた。


「僕は有紗が君を信じるのなら信じる……というのもある。もう一つ理由があるんだ」

「もう一つ、ですか?」

「ああ。何せ、君は娘の命の恩人だからね」


 ……ああ、トラックの件か。本当に気にしなくていいやつなんだが。


「さっき握手をして分かったよ。その傷が有紗を守ってくれた証なんだって」

「あっ」


 そういえば傷が残ってた。不自由になった訳ではないが、多分傷は残ると医者に言われていたのだ。


 すると、シャルのお母さんがずいと机越しに顔を寄せてきた。


「手、触ってみてもいいかな?」

「え、ええと……はい」


 一応シャルとシャル父に確認をの意味を込めて見るも、すぐに頷かれた。大人しく手を取られる。


「ほんと。ちょっとぼこってなってる。痛かったりしない?」

「はい。もう五年も経ちますから。ペンもちゃんと握れますよ」


 見た目でも分かりにくいし、触ってやっと分かるというレベルだ。


 そう返すと――シャルのお母さんがくすりと笑った。


「有紗、良い子ね。この子」

「でしょ?」


 ……?


 何がどうなってそう言っているのか分からずにいると、シャルのお母さんが手を離しながら説明をしてくれる。


「ほら、私って魅力的でしょ?」

「え、えぇ……まあ」


 どうやらシャルの自己肯定感は母親譲りらしい……が、まあ低くはならないだろう。

 実際今いくつなんだろうかと思えるくらい若々しくて綺麗だ。多分二十代後半でも通用すると思う。


「意識しない、なんて子は会った事なかったの。どんな子でもね」

「……ああ、なるほど」


 全然意識してなかったが、めちゃくちゃ大きい。てかほんとに大きいな? 俺の顔より遥かに大きい気がする。


「いや、でもさすがに人のお母さん……恋人のお母さんを意識したりしませんよ。綺麗な人だとは思いますが」

「ふふ、ありがと」


 一瞬、シャルと視線を合わせた。カラメル色の瞳には嬉色が浮かんでいる。


「それに……俺が好きなのはシャル。有紗ですから」

「――ッ」


 少し恥ずかしくなって、シャルから目を逸らしつつそう言った――のだが。


 二人が目を丸くしてシャルの方を見ていた。めちゃくちゃ驚いている。


 なんでだ?と思いつつシャルの方を見て――次の瞬間、彼女は胸に飛び込んできた。


「……シャル?」


 彼女は顔を真っ赤にしながら、その顔を隠すように胸へと埋めてきたのだ。


「ごめん、ちょっとこのままで」


 珍しいシャルの言葉。しかも軽いものではなくて。



「――我慢出来なくなっちゃうから。名前呼び捨てにするの、ちょっとだけ禁止」



 続く言葉に――俺は何も言えなくなってしまったのだった。

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