第16話 自由人の激情

「テオ」


 名前を呼ばれる。同時に手を引かれる。

 当たるはずだった熱は空を擦った。

 その持ち主は体勢を崩しかけたものの、どうにか踏みとどまっていた。


「ぷっ、だっせ」

「ぎゃはは。何スカしてんだよ。くそだせえじゃん」


 そして、彼らは笑い始めた。その嫌な笑い方に――あの記憶がフラッシュバックした。



 ――あの変な目に全部やらせて遊び行こうぜ

 ――良いなそれ! ははっ! あいつ断らないもんな!

 ――断らせないの間違いじゃね? ははは!


 「テオ」


 名前を呼ばれ、ハッとなる。カラメル色の瞳がじっと心配そうに俺を見つめていた。

 意識を切り替え、自分の腕を確認する。


 ……ジャージを着ていたから、どちらにせよ最悪は免れていただろうが。シャルに助けられなければ軽い火傷くらいはしてもおかしくなかった。


 大丈夫だとシャルへと頷き、男達を見る。笑われている男は顔を真っ赤にして俺達を見ていた。



 さて、どうするか。逃げる……はダメだ。いや、逃げるのが俺にとっては一番良いかもしれない。でも、この男の怒りの矛先が子供達に向いたら?


 さすがにないと思いたい。だが、目の前の男は遊び半分でタバコの火を押しつけてこようとしたのだ。とてもではないがマトモな人間とは呼べない。


 やがて――男達が笑い終わる頃。シャルの瞳が彼らを一瞥した。


 俺を見る時とは違う。光と色を失った瞳。

 常に上がっていたはずの口角は現在真一文字に結ばれていた。


 ゆっくりとその口が開かれる。



「つまらない人達」



 その口から紡がれた言葉は割れたガラスのように冷たく、鋭い。

 自分が言われている訳でもないのに、腹の底にナイフを宛てがわれたような感覚に襲われた。


 そして、それは男達も同様だったらしく……場が静まり返った。聞こえてくるのは遠くで遊んで居る子供達の声のみ。


「なに言って――」

「待て、逃げるぞ!」


 一番最初に声を出したのはタバコの火を押し当てようとした男。それを遮るようにまた一つ声が飛んだ。彼は公衆トイレの裏から公園の入口を覗き見ていた。


 その声に反応するように彼らは公園の裏口から逃げていく。


 なんだ? と思いながら俺も公園の入口を見ようとして、近づいてくる人物に納得した。


「君たち、怪我はないかい」


 そう声を掛けてきたのは、近くの交番に居た警察官であった。

 彼は一度逃げた男達を見たものの、俺とシャルへと視線を移した。優先するのはこっちだと思ったのだろう。


 そして同時にシャルの瞳もこちらを向いた。


「私は大丈夫だけどテオ、怪我はない?」

「大丈夫だ。シャルのお陰だな、ありがとう」

「当たり前だよ。テオが怪我するのなんて見たくないし」


 シャルへの言葉をありがたく受け取りながら、一応自分の体を確認する。うん、大丈夫だ。少し土で汚れているものの、これは草むしりをしていたからだし。


「君はいつも公園の手入れをしてくれている子だね」

「あ、はい」

「詳しく話を聞いても良いかな?」


 警官の方に頷き、今あった事を話した。


 公衆トイレの裏に人が集まっていて、見ると高校生らしき集団がタバコを吸っていたと。


「子供が注意しに行きそうだったから、テオが危険な役割を引き受けてたんだよね」

「……見てたのか」

「それは後で話そ」


 まあ、そうだな。今聞く事でもないか。

 という事でちょくちょくシャルが言葉を挟みながら説明を続けた。


「――という事だったんです」

「……なるほど」


 メモを取りながら話を聞いてくれた。凄く丁寧に。


「何か付け足す事はもうないよな?」

「うん。私が見てた通りだね」


 シャルの言葉に警察官の方はメモを仕舞い――頭を下げた。


「申し訳ありませんでした」

「……え?」


 唐突な事に声が漏れてしまった。

 なんで謝られたんだ?

 シャルを見るも、同じようにきょとんとしていた。


「市民を守るべきは我々警察です。その場に居なかったから、というのは言い訳にもなりません。完全に我々の不徳の致すところです」

「い、いや。でも、結果的に助けてくれましたし」

「それでも、貴方を含む市民が不安を募らせる事となってしまったのは確かです。……何より、あの爽やかな青年が教えてくれなければ私はこの場に居なかった」


 なんか凄く良い人っぽいが……ん?

 爽やかな青年?


「テオ、入口の方見て」

「入口? ……あ」


 シャルが公園の入口を指さす。さっきは気づかなかったが、そこに――彼らがいた。


 二人はゆっくりと近づいてきながら手を振ってくる。


「やあ。偶然だね」

「……隼斗」


 キラリと白い歯を見せて笑う隼斗。その隣で有北委員長がどこか心配そうに俺の事を見ていた。


「ごめんなさい、二人が動いたのに私だけ動けなくて……」

「ん? ああ、有北委員長も見てたのか。別に怪我もなかったし……というのもシャルのお陰なんだが」


 正直かなり危うかった。ジャージを着ていたとはいえ、火傷をしたかもしれない。ジャージも丈夫ではあるが、焦げたかもしれないし。


「シャル。改めてありがとう」

「……ん」


 再度お礼を伝えると、シャルが少し考えた素振りを見せた後に無言で顔を突き出してきた。


「お礼のちゅーして」

「ぶ、ブレないな」


 しかし、助けられた事には変わりない。大人しく顔を近づけ……額にキスをする。


「ん、ふふ」

「これが海外住みのナチュラルさ。凄い」

「僕もキスしていいのかい? 小葉」

「いや、私はそういうのはあんまり好きじゃないから」

「連れないなぁ。なら飛鳥」

「だめ。テオは私の」


 隼斗の顔がこちらに向いた瞬間、シャルに腕をぎゅっと胸の間に引き寄せられた。

 みかんの果実に蜂蜜を数滴垂らしたような甘い香りが鼻をくすぐってきた。


 場の雰囲気が変わりそうになったが、警察官の方が頭を上げる事で少しだけ引き締まる。


「先程はありがとうございました。……肝心の彼らを逃がしてしまいましたが」

「いえいえ、飛鳥の身を優先して頂けたからでしょうし。こちらこそありがとうございました」


 警察の人に対してはまとも……というか俺以外にはまともなんだよな、隼斗。


「ちなみに先程の男達と面識があったりはしませんか?」

「いや、俺は初めてです」

「私も」

「僕も……ただ、多分西高の生徒だったんじゃないかな」

「うん、そうね」

「詳しく聞いても?」


 西高という言葉に警察官の瞳の色が変わる。


 そこからは有北委員長が詳しく話してくれた。



 西高は元々荒れている生徒が入ってきやすく、校内の治安が良くない。その中でも一部の生徒はタバコや飲酒を行っている。

 有北委員長達は西高に一人知り合いが居るらしく、その人に「この人達は危ないから見かけても近寄らないように」と写真を何枚か見せられていたらしい。……有北委員長曰く、逃げる人物の中にその人物の姿があったとか。

 全員かどうかは分からないが、その他にも西高らしき生徒が複数人居たらしい。



 そして、有北委員長が警察官の人に言われてその生徒の名前をメモ帳に書いていた。


 それから警察官の人が俺に被害届を出すか聞いてきたが……凄く悩んだ。


 まず、俺自身に怪我がないという事。肉体的にもそうだが、絶対に被害届を出す……という気概はなかった。というかもう関わりたくなかった。


 一応聞いてみた所、タバコの火を当てられていたら傷害罪や器物損壊罪が適応されるらしいが、この場合恐らくは暴行罪になるらしい。この辺は警察官よりも弁護士に聞いた方が良いと言われたが。


 それと、被害届を出した場合西高から連絡とか謝罪が来る事があるらしい。向こうとしても大事にはしたくないだろうからと。そうなると両親にも連絡を入れなければならないので、正直今の俺としてはやりたくない。



 ――悩んだ末、被害届は出さない事にした。


 一番の理由は両親の邪魔をしたくなかったから。やっと海外に仕事へ行けるようになったのに、多分もう二人は海外に行かなくなってしまうと思ったから。

 二番目は単純に関わりたくなかったから。色々終えた後に復讐とかシャレにならない。


「分かりました。ですが、起きた事が事ですのであちらの高校への連絡と注意は行っておきます。……匿名からの通報という事になりますが、よろしいでしょうか」

「あ、はい。それでお願いします」


 向こうで対処してもらえるなら話は早いが……ああいうのって先生の注意とか受けない気がする。やってもらえるだけありがたいとは思うが。


 それも大事だが、俺としても一つお願いしたい事があった。


「それとすみません。……出来たらで良いんですが、この公園も注意して見てくれたりしませんか? この公園で遊ぶ子供が多いので」

「もちろんです。巡回の頻度も増やしましょう。……そして、こちらは防犯カメラの死角となっていましたので管理者に掛け合っておきます」


 あー、ここ死角だったから集まってたのか。


 にこやかに対応してくれて、凄く親切にしてくれる警察官。良かった。本当に。


「ありがとうございます。また何かあれば連絡させて頂きます」

「はい。……それでは私も先程の高校生達が近くにいないか巡回しますので」



 という事で、一旦はどうにかなった……のか?なったな。多分。


 さて。



「お礼は改めてしたいんだが……三人とも、そもそもなんでここに居たんだ?」


 次はシャル達に色々聞かなければならない。

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