第15話 琥珀の日常とトラブル

 来たる土曜。

 シャルから誘われたデートを断った日である。断ったというか延ばしたんだが。それにも理由があった。


「……違和感が凄い」


 それにしても、ここ数日ずっとシャルか学校では隼斗が隣に居たからか、一人で歩いている時の違和感が凄い。先週までこれがデフォルトだったんだが。


 いや、別にずっと一人という訳でもないか。



 まず、俺が辿り着いたのはとあるスーパーである。

 そこに彼女はいた。


「すみません、奥山おくやまさん。待たせましたかね」

「いえいえ、ごめんねぇ。お休みの日なのにこんなおばあちゃんに付き合わせて」

「気にしないでください」


 奥山さん。もう御年九十近くになるおばあさんだ。


 小さい頃……まだ日本に居た時、公園で遊んで居たりすると飴やチョコをくれたりしていた。お正月にはお年玉をくれたりと、色々お世話になったものである。


 そんな奥山さんだが、数年前にご主人を亡くしていた。子供も居るらしいが近くに住んでおらず、買い物が大変なのだ。

 あるとき、買い物帰りに荷物を持っている奥山さんと会ってその話を聞いた。


 そして、土曜は奥山さんの家まで荷物を運ぶ事に決めたのだ。


「飛鳥君、髪切ったのねぇ。かっこよくなってるねぇ」

「ありがとうございます。……今日は少ないんですね。お米とか良いんですか?」

「まだあるから大丈夫よぉ。それでも重いでしょう? ごめんねぇ」

「いえいえ、気にしないでください。慣れてますから」


 買い物バッグを手に取り、ゆっくりと歩き始める。

 ここから奥山さんの家まで徒歩五分くらい。しかし、それは俺のペースならの話だ。実際は十五分くらいかかるだろうか。


 それまでのんびりと歩いて行く。


「本当にありがとねぇ。家に着いたらお茶を用意するからねぇ」

「あ、ごめんなさい。今日はあの日でもあるので」

「あら、そうだったのねぇ。飛鳥君は働き者で偉いわねぇ。それならお小遣いでも……」

「い、いえいえ! 気にしないでください。本当に」


 別に見返りを求めてやっている訳ではないし。俺も……祖父母は遠くに住んでいるので、楽しいというか。どこか和やかな気持ちになるのだ。


「飛鳥君、本当に優しい子よねぇ。もう恋人とか出来たのかねぇ?」

「い、いえ……あ、いや、その。まあ」


 否定しようとしたものの、つい最近本当に出来てしまったので凄く挙動不審になってしまった。

奥山さんがにこにこと俺を見て微笑んだ。


「あら? 良かったわねぇ。良い人が見つかったのねぇ。今日は目、生き生きしてるものねぇ」


 俺、めちゃくちゃ分かりやすいな。シャルにも色々見抜かれてるしな。


 そうして話しながら奥山さんの家へと荷物を届けた。


 家の中。冷蔵庫の隣にある机へと買い物バッグを置き、中から牛乳など重いものを取り出して冷蔵庫に入れていく。


「本当の孫みたいねぇ。ありがとうねぇ。はい、お駄賃」

「お、奥山さん? だ、大丈夫ですよ」

「いいのいいの、貰ってちょうだい。可愛い恋人が出来たなら、服も買わないといけないでしょう?」

「で、でも」

「本当にいいのよ」

「……ありがとう、ございます」


 これ以上断り続けると逆に失礼かもしれない。

 ありがたくそれを受け取り、大切にしまった。


「また来週も同じ時間に行きますから」

「ええ、ええ。でも私より恋人を優先しなさいねぇ。こんな老い先短いおばあちゃんより、ずっと大事よ」

「……はい。でも、出来るだけ行きますから」

「ふふ、ありがとうねぇ。それじゃあこの後も頑張ってねぇ」

「ありがとうございます」


 そこで会話を終え、俺は奥山さんの家から出た。


 明日、シャルと一緒に服を買おう。


 そう思いながら。俺は次のように目的地へと向かった。


 ◆◆◆


 今日は良い五月晴れだ。気温は少し高いが、十分に許容範囲である。

 公園は元気な子供達の声で満たされていた。


「……よし、頑張るかな」


 ボール遊びやアスレチックで遊んでいる子供達を横目に、ジャージの前を閉めた。


 目の前にあるのは大きな花壇である。



 ――地域のボランティア。俺はそこに参加していた。仕事内容は、公園の花壇の草むしりと水やり。


 とはいっても、毎日とか毎週している訳ではない。基本は地域の方々がやってくれている。草むしりは俺の仕事だが。


 最近、地域のボランティアに若い人が減っている。親世代やその上の方が多い。水やりはともかく、草むしりは腰を痛めやすいのだ。


 なので、俺は月に一度この公園で花壇の草むしりをしていた。


「やっぱり一ヶ月で増えるもんだな」


 毎度の事であるが、雑草が多い。ここの花壇は近くの幼稚園とか小学校が植物観察をする際によく使われる。地域の植物を観察しましょうみたいなやつだ。

 そのため、見栄えを良くしておいた方が良いのである。


 それに時々、花が好きらしい子供達が眺めていたりもするしな。


 そんな事を考えながら花壇の手入れを行う。もう手馴れたもので、雑草も根っこから取れるし、そろそろ枯れそうな花とかも見分けがつく。この辺は後で報告しておかないといけない。


 そうして作業をしていると、ふと視線に気づいた。

 顔を上げると、子供達が不思議そうに俺の事を見ていて……そういえば髪切ったんだったな俺。子供は正直だと言うし、目の色が違うのが気になったのだろう。


 しかし、子供の興味もすぐに尽きる。しばらくすると子供達の視線もなくなり、俺はまた作業に没頭した。


「……よし。後は水やりだな」


 立ち上がり、軽くストレッチをする。ずっとしゃがみ続けるのは凄く体に悪い。この歳で腰を悪くするのは非常にまずいな。帰ってから本格的にストレッチを始めよう。



 さて、早く終わらせようと周りを見て――胸がザワついた。


 公衆トイレの裏側にとある集団が見えた。そして、そこを渦巻く煙。



 ……まじか。こんな真っ昼間から。しかもあれ、多分高校生だよな。



 問題ごとの臭いがして、眉をひそめた。



 確か、この時間だと近くを警察官が巡回していたはずだ。探しに行こう。



 そんな思いは――その集団を見つめるつぶらな瞳に押しつぶされた。



 公衆トイレを見つめていたのは一人の子供。眼鏡を掛けた真面目そうな子だ。


 別に見た目の印象だけで語っているのではない。この子は真面目というか、人一倍正義感が強い子なのだ。


 ボールが花壇にぶつかりそうになったら、強くこちらに飛ばした子へ注意をする。

 アスレチックで危ない遊び方をしている子が居たら注意をする。それが出来る子なのだ。


 これがこの歳で出来るのはとても偉い。……もし事故があればこの公園で遊ぶ事が出来なくなるかもしれない、という事をちゃんと分かっているのだろう。



 なんにせよ、これから起きる事は想像に難くない。

 さすがに子供相手にどうこうしないだろうという思いはある。でも、万が一がないとは言えない。



 早く警察を……いや、呼んでいる間にあの集団が問題を起こしたら?


 ただでさえ子供の遊び場が少なくなっているというのに、これ以上減らす事になるのかもしれない。


 それは――ダメだ。



「ねえ、君。ここはお兄さんに任せてくれないかな」

「……お花のお兄さん」


 気がつくと、俺はその子へ声を掛けていた。というか俺、お花のお兄さんという認識なのか。


「ああいうのはお兄さんの方が強く言えるから。気にしないでみんなと遊んでおいで」

「……うん。ありがとうございます」


 まさかお礼を言われるとは思わず、驚いてしまった。礼儀正しい子である。


 そして、みんなの元に駆け出すのを見て……一つ、息を吐いた。



 大丈夫。ここは日本だ。少なくとも、俺が行ったどんな国よりも安全だ。


 覚悟を決め、公衆トイレの裏側へと回る。



 思わず咳が出てしまいそうなくらい強いタバコの臭い。とても体に悪そう……というか、実際悪い臭いだ。とてもではないが、子供に浴びせる訳にはいかない。



「ん?」


 俺を見て、一人の男が声を上げた。同時にいっせいに複数の視線が集まってくる。


 十名近くは居るだろうか。……歳上も居るようだし、さすがに怖いな。でも、ここで引き下がる訳にはいかない。


「すみません。この公園、禁煙なので。タバコ、やめてくれませんか」

「はっ。やめてくださいだってよ。どうする?」

「え、嫌だけど」


 半笑いで会話をする男達。かと思えば、ひそひそ声で何かを話し始めた。


 ……あー、これ会話が通じないやつだな。海外で何度も同じケースを見てきた。どうしようか。


 次の手を考えている間に、話していた男が一人近寄ってきた。


「なあなあ、変な目の兄ちゃんよぉ」

「お前、まじでそれやんのかよ。……ぷっ、くく」


 話していた男が笑って――こちらに来た男はわざとらしく転び掛けた。


「――おっとっと」


 その手に持っていたタバコが俺の右腕に押し当てられそうになって――



「テオ」


 俺は後ろに強く引き寄せられた。凄く聞き覚えのある声と共に。



 引き寄せられた方を見ると、見覚えのあるカラメル色の瞳と目が合った。


 ――その瞳は昏く冷たい色を放っていた。

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