第8話 自由人と出会った日+次の日の朝

 ◆五年前


『見ない顔だなぁ』

『この辺通るんだったら何すればいいか分かるよな?』

『何とか言ってみろよ』



 分からない。


 新しい国に来てしばらくは言葉が分からなかった。何ヶ月も過ごしてやっと覚えるものだったから。


 新しい国に来て二週間。ホテルの名前は言えるようになったけど、まだまだ分からない言葉だらけだった。


 ……そして俺は今、謎の少年数人に絡まれていた。


 背が高い人と、横幅が大きい人。反対に細い人。歳はちょっと上……なのかな。中学生ではなさそうだけど。


 あれかな。カツアゲかな。久しぶりにされてる気がする。


 えー……どうしようかな。お母さん達にはこういうのに会ったら財布を渡してすぐに逃げたり大人を呼んでと言われていたけど。


 大人しくそうするかな。あんまり中身入れてないし。



 ポケットに手を入れようとした次の瞬間――ぶわりと風が吹いた。



「逃げるよっ!」



 同時に、ポケットに入れようとした手が暖かいものに握られていた。



「……へ?」


 気がついたら俺は走っていた。名前を知らない子といっしょに。


「……ちょ、え?」

「こっちこっち!」


『逃げんな!』

『おい、あれ誰だ!』


 何が起きたのか分からない。でも、後ろから聞こえてきた怒鳴り声にビクッとしてしまった。逃げないと大変な事になりそうだ。


 その子に手を引かれ、路地裏に入る。


「ねえ、運動神経は良い方?」

「……そこそこ」

「おっけ。じゃああそこ、一気に駆け抜けるからね」


 その子が前を指さすと、木箱が階段のように積まれていた。何のためにあるのか分からないけど――駆け抜ける?


「え、あれを!?」

「そうだよっ、怪我したくなかったら合わせてね。……三、二、一、跳ぶ!」


 自分の腰よりも上にある木箱。足を引っ掛けるも、中身が重いからかひっくり返る事はなかった。


 だけど――階段のようになっている木箱を上り切ってから気づいた。

 下りの階段はないのだと。


「うおああああああ!?」

「あはははははっ!」


 強い衝撃は――来なかった。下にあったのは、わらの絨毯だった。


 どさっという音がして、前から倒れて。手を引いていたあの子といっしょにごろごろと転がった。痛い所はない。


 気がつくと、俺は仰向けに。そして上にあの子が乗っかってきていた。


 口を開こうとしたけど、手でふさがれた。


「しーっ」


 もう片方の指を自分の唇に当てて……すると、木箱の奥から何かが聞こえてきた。



『いねえぞ! どこ行った!?』

『もしかしてあれやったんじゃ……? 【第三の試練】』

『俺らでもやんねえのに、俺らより歳下がやんないよ!』

『で、でも、それならどこに……さっき悲鳴と笑い声聞こえてなかった?』

『とりあえず探すぞ!』



 何を言ってるのかは分からない。でも、その声と足音が遠ざかっていくのを聞いて……そこでやっと手が離された。


「あー、楽しかった。やっぱり追いかけられるくらいがスリルあって良いよね」

「ど、どこが……良くない。そ、そもそもなんで木箱がこんな都合よく積み上げられてるんだよ」

「これは【第三の試練】……うん。日本語だとこれだね。度胸試しって言えば良いのかな。一気に駆け上がって、飛び降りる。そんな遊び。この辺じゃ結構有名だよ」


 初めて聞いた、というのも最近ここに来たのだから当たり前だ。


 彼女はぽんぽんと、下にあるわらを叩いた。


「それに、昨日これが交換されたばっかりでね。ふかふかだし怪我もしないって分かってたんだ」


 それは……分かったけど。


「……なんでその【第三の試練】ってのやらされたのさ」

「もちろん逃げるためだよ。楽しいからってのと、君がどんな反応するかなって気になったのもあるけど。それにしても君、良い反応するね」


 くすりと楽しそうに笑って少女は立ち上がる。そして、手を差し出してきた。


「名前聞いても良いかな? 日本人……しかも同じ歳くらいの子と会うのなんて何年ぶりかな」

「……テオ」

「あれ。そっちの名前?」


 助けてくれたんだと思う。でも、なんとなく振り回されてる感じがして――それが嫌じゃなかったというのがバレたくなくて、こっちの名前を言った。



「じゃあ私も。私はシャーロット。シャルって呼んで」

「……シャル」

「うん、これからよろしくね。テオ。今度は【第一の試練】と【第二の試練】もやろっか」


 その笑顔は純粋そのもので、悪意とかはなさそうだった。


「……絶対やらない」


 それがちょっとだけ嬉しくて。でもバレたくなくて、ふんと顔を背けたのだった。



 ――まさか、この出会いが俺の人生を大きく変えるなんて、この時は思いもしなかった。



 ◇現在


 懐かしい夢を見た。多分、全部夢だったのだろう。


 そうだよな。いくらなんでも都合が良すぎる。


 初恋の人に会って――ましてや、その相手が俺の事を好きで、求婚されるなんて……あるはずがない。


 今日もまた、色を失った一日が始まるはずだ――



 目を開けると。ぱっちりとしたカラメル色の瞳と目が合った。

 すぐ目の前に美少女シャルの顔があって、胸にむにゅりとした柔らかな感触が押し付けられていた。


「おはよ、テオ」


 ……?

 なんで俺はとんでもない美少女に抱きしめられているんだ? 何がとは言わないけどすっごい当たってるが?


「ああ、夢か」

「夢?」


 どうやら俺は夢の続きを見ているらしい。起きた後がしんどいやつだ。


「夢? ふーん、夢か」

「……?」

「夢なら何しても良いよね?」

「なんかすっごい嫌な予感がする」


 その顔がずいっと近づいてきた。ふわりと甘く、爽やかな匂いが近づいて――額に柔らかな感触が押し当てられる。

 ちゅっと小さなリップ音が鳴った。


 同時に。昨日の事を鮮明に思い出した。



「……ひょっとして夢じゃない?」

「ふふ、夢だよ。夢だから――このまま二人で学校サボって、悪いことしちゃおっか」



 彼女の健康的な脚が俺の脚を挟み込んできた。カラメル色の瞳もじっとりと俺に絡みついてくる。


 ――まずい、と思っても時既に遅かった。


 彼女の動きがピタッと動きが止まった。次の瞬間、ボッと顔が赤くなる。


「……一旦離れてくれ」

「……うん。ごめんね」

「ちょっとマジっぽくならないで!? 朝だから! 朝の生理現象だからな!」


 少し気まずそうに彼女が離れ――全身に感じていた温もりが消えた。


 それが少しだけ寂しく感じた。


 いやいや。なんでだよ。たった一日抱き合って眠った……というとかなりの事やってるな。しかも別の意味に聞こえてしまう。


 離れた彼女はまだ少し気まずそうに目を逸らしていた。……昨日あれだけ煽っておいて、自分は耐性ないのか。


「そ、そうそう。テオはキス、してくれないの?」


 それを誤魔化すようにシャルは自分の前髪を上げ、人差し指でとんとんと額を叩いた。


 少しだけ迷った後に近寄って――額に唇を合わせた。


「……ん」


 シャルが満足そうに頷いた。でも、まだ耳は赤い。


 一旦話を変えよう。ずっとこのままなのもなんかあれだ。


「シャルはご飯とパン、どっち派だ?」

「あ、ご飯好き。外国じゃあんまり食べられなかったから。……でも手間じゃない?」

「俺もご飯派だ。昨日で炊いてるからな。軽めと重め、どっちが良い?」

「じゃあ軽めで」

「よし。じゃあお茶漬けで良いか? 梅干し入れたやつ」

「ん、いいよ。ありがと」


 という事で、朝ご飯は決まった……のだが。シャルが自分のカバンを取り出してこちらを見てきた。ニヤリと笑いながら。


「お詫びと言ってはなんだけど。着替え見てから行く?」

「……朝ごはんの用意してくるからな。着替えたら降りてきてくれ」

「ふふ、りょーかい」


 気まずい空気はいつの間にか消えていた。


 そうして今日も一日が始まった。



 ――激動の一日が。

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