第7話 自由人はどうしても彼と寝たい

「テーオ、髪乾かして」


 扉が開けられ――ドライヤーを手にしたシャルが現れた。


 彼女は水色のフード付きのパジャマを着ていた。生地は薄めのようで……強く主張を上げているそこへと視線がいかないようにした。

 パジャマが濡れないよう、髪はタオルでまとめられている。


「髪? 別に良いが」

「やった」


 シャルは頬を綻ばせ、たん、たんと弾むような足取りで近づいてくる。そのままベッドの上……俺の隣へぽすりと座った。


「とは言っても、俺誰かの髪乾かした事なんてないんだが」

「てきとーでいいんだよ、てきとーで。テオにして貰うっていうのが大事なんだから」


 シャルがタオルを解くと、ブラウンの髪が流れ落ちる。

 普段のウェーブがかっていた髪の毛はしっとりと水分を含んでいて、ストレートになっていた。


 服が濡れないよう肩にタオルを掛けると、シャルは楽しそうに目だけを動かして俺を見てくる。



 今までとはまた違う雰囲気に心臓が大きく鼓動を奏で始めた。それを気取られないようドライヤーを受け取り、髪へと触れる。



「乾かすぞ」

「はーい」


 ドライヤーの電源を入れ、自分の手で温度を確かめてから温風を髪へと当てた。


「熱くないか?」

「良いぐらいかな」

「おっけー」


 髪が傷まないように……知識とか全然ないが、とりあえず丁寧に乾かし始める。



 ドライヤーの風が反射し、ふわりとシャンプーの良い匂いが――当たり前だが、凄く覚えのある匂いであった。……俺と同じシャンプーを使ったからだろう。



「……」


 やめろ、考えるな。初恋の子が俺と同じシャンプーを使ってる事に勝手に興奮するな、俺。


 悶々とする何かを心に押しとどめ、繰り返し何度も髪を乾かしていく。


「……ふわぁ」


 シャルの口から小さな欠伸が漏れた。


 ドライヤーの勢いを少し弱め、ある程度乾き始めたので髪を梳くように指を入れた。サラサラとしていて、指がひっかかる事もないのでとても触り心地が良い。


 シャルは気持ちよさそうに目を閉じた。


 そのまま彼女は大人しくじっとしていたので、思っていたより早く髪を乾かし終えた。

 湿っている所がないか髪へと触れて確認していると、目を瞑りながらもくすぐったそうに頬を緩めた。


「……これでおっけーかな」

「うん、おっけーだよ。ありがとね」


 シャルからお礼を受けながら、ドライヤーを戻そうと立ち上がる。


 しかし、服の裾を掴まれて止められた。


「明日でいいんじゃない? 戻すのは」

「まあ、別にそれでも良いんだが」

「じゃあこっち。座って」


 ぽんぽんと隣を叩くシャル。なんとなく嫌な予感がしつつも、ドライヤーを机の上に置いてから隣へと戻る。


 次の瞬間――


「えい」


 俺はベッドに押し倒されていた。

 先程と反対に、俺の上にシャルが乗っかる形だ。


「テオ、寝よっか」


 起き上がろうとするも、彼女はとても逃がしてくれそうになかった。


「……べ、ベッドはシャルが使ってくれ。俺はソファで寝るから」

「……?」


 こてんとシャルは首を傾げた。

 そんな『何言ってるの?』みたいな顔で俺を見ないでくれ。こっちはもう諦めて泊めようと苦渋の決断を今したんだから。せめて別の場所で寝なければ。


 シャルが上から隣に転がった。……壁際で無く扉のある方で、逃げ場を失ってしまう。


「テオ」

「あの?」


 そして、彼女は腕を広げてきた。抱きしめろと言わんばかりに。


 その目はどこかとろんとしており、少し眠そうで……そんな目をされると断れなくなってしまう。


 つい俺も腕を広げかけ――いや、だめだ。さすがに良くない。



 けれど、そう思うには少しだけ遅かった。



「えい」


 強く抱きしめられていた。

 甘く爽やかな香りの中に、普段から使っているシャンプーの匂いが混ざっている。


 シャルは楽しそうにぴとりと額を合わせてきた。


「テオ、離れてる間に浮気とかしなかった?」

「う、浮気って。そもそも言っただろ。友達すら居なかったんだぞ」

「……そっか。でも、今までの話だよね」

「へ?」


 つん、と鼻先が合わされた。かと思えばその顔がスライドされ……頬にすべすべとした暖かいものがすりすりとしてくる。


「明日からはテオの良い所が前面に押し出される訳だからね。変なのが付いてこないように私の匂い付けておかないと」

「つ、付いてくる訳ないから。早く寝てくれ」


 頬が熱くなり……先程まで『別の場所で寝る』という目標を掲げていたのにと、ため息を吐いた。


 しかし、ため息を吐く場所が悪かった。


「ひゃんっ!」


 高く小さな声が上げられ、続いて頬を擦られる。

 目を動かしてそこを見ると、シャルが首を縮こまらせていた。


「わ、悪い」


 頬と頬を合わせており、俺は少し俯いていたからため息が首に当たっていたのである。


 首が弱かったのか……と思わぬところで新たな発見をしてしまった。


 そう考えてながら彼女へ視線を向けると、カラメル色の瞳と目が合った。


 眠いせいか、その目はとろんとしていて……ほんのりと潤んでいる。

 顔は夕陽に照らされているように赤い。その姿はとても扇情的で――


「テオのえっち」

「――ッ、ち、違う」

「……違うって何が?」

「それは、その……」


 言葉に詰まってしまった。

 シャルは「むぅ」と小さく頬を膨らませていたが、やがて唇から笑みが零れた。ころころと表情が変わるな、本当に。



 またぴとりと額が合わせられ、カラメル色の瞳に見つめられる。


「やっぱりテオと居るのが一番楽しいよ、私」


 その言葉で――顔が見せられない事になりそうになってしまう。俺は顔ごと逸らし、目を瞑った。


「……寝るぞ」

「最終的には一緒に寝るのを許してくれるとか、そういう照れ隠しが下手なところとか。私好きだよ?」

「うるさいぞ」

「ふふ、ごめんごめん。じゃあ私も寝ようかな」


 シャルが腕を緩めたかと思えば、今度は俺から抱きしめてと言わんばかりに再度腕を広げた


「抱き癖、まだ治ってないんだよね」

「……ん」


 選択肢は残されておらず、大人しく彼女の背中に手を回す。


 絶対寝れないだろうなと思っていたのに――全身を包み込む暖かい感触は優しくて、懐かしくて。




 気がつくと、俺の意識は夢の中へと吸い込まれていた。



 ――懐かしい夢の世界へと。

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