第6話 自由人とイタズラ

「うん、かっこよくなったね。テオ」

「い、違和感が。やっぱり俺の目変じゃないか?」

「綺麗だよ。キスしていい?」

「が、眼球にキスはちょっと変な扉が開きそうなのでパスで」

「じゃあおでこ」

「……ダメです」

「ふふ、残念」


 風呂場でシャルが髪を切ってくれた。

 新しい地域に行く度に美容室を探すのが面倒になり、シャルは中学生になった頃から自分で切るようになったらしい。


 目まで覆い隠されていた前髪は眉の上まで切り揃えられ、合わせて全体的に短く切られている。かなりサッパリした。


「これでいつでもテオの目が見られるようになったね」

「……そうだな」


 じーっと目を見つめられていると、自然と顔が熱くなる。前髪が短くなっただけでここまで変わるのか。


「テオ、やっぱり髪切った方が良いよ。顔整ってるし」

「そんな事……」

「ふーん? の言葉よりも他の人が言った事信じるんだ」

「そ、それはずるい」


 わざわざ『恋人』という部分を強調してシャルは言ってくる。

 彼女はクスリと笑った後に立ち上がる。


「テオ、お風呂入るよね」

「そうだな。髪の毛とか諸々片付けてから入る予定だ」

「おっけ。じゃあテオの部屋で待っとくね」

「分かっ……なんて? シャル? シャル!? リビングじゃないのか!?」


 名前を呼ぶも、彼女が戻ってくる事はなかった。

 ……部屋、掃除してたよな。変なの置いてなかったよな。



 そんな一抹の不安を抱えながらも、俺はその場を片付け始めたのだった。


 ◆◆◆


 風呂を終えたので自分の部屋へと向かう。


「シャルー?」


 自分の部屋の扉をコンコンとノックする。……貴重な経験だな。自分の部屋をノックなんて中々しないぞ。


 しかし、シャルの名前を呼んでも返事はなかった。


「入って大丈夫か?」


 ……無言は肯定という事にしておこうか。もしもの事があるかもしれないし。


 音を立てながら扉を開くと――



「すぅ、すぅ」



 ベッドの上でシャルが寝息を立てていた。黒い抱き枕を抱きしめながら。


「寝てたのか」


 シャルはかなり自由人である。基本やりたい事をやる人間で、眠たくなったら寝るのも同様だ。


 昔はよく公園とかで寄りかかられて寝てたな。治安の関係で俺は起きている事が多かったが。


 そんな事を思い出しながらも、どうしようかなとシャルを見ながら考える。


 このまま寝かせるべきか。でも、この時間だととても昼寝とは呼べない。なんなら早寝の時間である。それなら――



 待て。ちょっと待て。いつの間にかシャルが家に泊まる方向へシフトしてしまっている。

 いくら恋人となったからって初日でお泊まりは良くないだろう。


 ……でももう九時前だし、今から帰すのもな。


 とりあえず起こすか。


「シャル」

「すぅ、すやぁ」


 近くで名前を呼ぶも、返ってくるのは寝息のみである。


「シャールー?」

「すやすやぁ」


 起きん。


 かといって、大声で起こすのはな。びっくりして起きると心臓がありえないくらいバクバクするだろうし。



 どうしようかなと頭を悩ませるも、すやすやと眠っているシャルを見ていると……つい心の奥から黒いものが湧き上がってきた。



「シャル。起きないとイタズラするぞ?」

「……すやぁ」


 起きないらしい。という事は許可を貰えたという事である。



 そっと手を伸ばし――ほっぺたをつんつんとつついた。


「やわっこい」


 シャルはモデル体型……というか、凄くスタイルが良い。

 ほっぺたの肉付きも良く、筋張ってるとかもなかった。たまごのようにすべすべとしていて、凄くやわっこい。



 同時に罪悪感が募ってきた。寝てる子にこんなイタズラを……とか。


 しかし指は止められない。つんつんとほっぺたをつついてしまう。とんでもない中毒性だ。


 少しずつ場所を変え、やがて――唇に触れそうになってしまった。



 薄い桃色をした唇。瑞々しく、とてもぷるぷるとしていて何かの果実のようにすら思える。



 ――触れられる方は今日何度か経験したが、自分から触れる方は経験した事がなかった。


 いや、良くない。これ以上は良くないな。



「そろそろちゃんと起こすか」

「はむっ」



 ……え?



 指の第一関節が、今まで感じた事のない柔らかさと温かさに覆われる。そこだけ別の空間に入ってしまったかのようだった。



 視線を落とすと、カラメル色の瞳と目が合った。


「し、シャル?」

「……ちゅー」



 彼女は俺の人差し指を――おしゃぶりのように咥えていた。



 頭がショートした。数秒ほど彼女と見つめ合う時間が訪れ――



 が爪先に走って。ビクリとしてしまった。


「シャル!?」

「ん……ぷはっ」


 大声を上げてしまい、シャルが口を離す。


「おはよ、テオ」

「……おはよう。夜なんだけどな。じゃなくて。シャル」

「唇の前にテオの指があったから。しゃぶって良いのかなって」

「普通そういう考えにはならんと思うが」

「ふふ。私が普通だと思ってた?」

「……いや」


 シャルはそこで手を伸ばしてきた。


「起こして」

「自由すぎるな。……分かったよ」


 立ち上がりつつ、シャルにしゃぶられた指とは反対の手で彼女の手を引き起こそうとして――



 ぐい、と強く引っ張られた。

 一気に体勢が崩れる。



「うおっ!?」

「よっ、と」


 どうにかシャルの上へ倒れないように、という健闘も虚しく。彼女に誘導されるように上へと倒れ込んだ。


 強い衝撃を覚悟していたが、ふわりと優しい感触に包み込まれる。

 次いで、ほんのりと感じていたはずの甘く爽やかな香りがより強くなった。甘さの方が際立ったような気がする。




「だいじょぶ? 痛いとこない?」

「……それはこっちのセリフなんだが」


 肘とか膝とか当たっていないだろうかと思って聞くも、彼女はふるふると首を振った。


「というかシャル、どうしてまたいきなり」

「テオとハグしたいなって思って」

「やり方が乱暴すぎる」

「それはごめんね。でもこうしないと初めてのハードルは高いかなって」


 シャルらしいと言えばらしいんだが……まあ、怪我もないみたいだし。


「もうしないよ」

「……なら良いけど」


 こういう時はちゃんと言う事を聞くんだよな。


 シャルが顔を近づけてきて、またその唇から笑みが零れる。



「テオ、お風呂上がりだといい匂いするね。いつもの匂いも好きだけどさ」

「か、嗅がないでくれ。恥ずかしい」

「ふふ、やーだよっ」


 離れようとするも、手を回されて身動きを取れなくされてしまった。

 そのまま彼女は――首元に顔を埋めてきた。


「ッ――し、シャル。さすがにそれは」

「私のほっぺつんつんしたお仕置きって事で」

「や、やっぱり起きてたのか」

「途中からだけどね」


 そう言われると……何も返せなくなった。

 寝てるシャルにイタズラをしたのは俺なんだから。


「んー、でもテオっぽいね。おっぱいくらいなら触られる覚悟はしてたんだけど」

「……はい!?」

「だって男の子なんだし。恋人でしょ? ほら、据え膳食わぬは男の恥だっけ。そんな言葉もあるくらいだし」


 確かに恋人になったし……その考えが一切なかったとは言えない。彼女の言う通り、俺は男。割と健全な男子高校生である。


 しかし。


「ある程度のライン引きはしている。凄く説得力がなくなってるけども」


 シャルのほっぺたをつついてしまったのは……良くなかったなと改めて思う。


「その、悪かった。ごめん」

「ふふ、テオらしいね。いいよ。おっぱいまでは触られても怒るつもりなかったし」


 そこは怒って欲しい所なんだが。


 ――彼女の言葉を聞きながら、自分の心臓が嫌に大きく鳴っているのが分かった。


 先程シャルが言ってから、変にそこに意識が行ってしまっていた。

 今、俺はシャルに乗っかる形だ。つまり――



「実は私って結構着痩せするタイプなんだ。テオは大きいのと小さいの、どっちが好き?」

「……ノーコメントで」

「ふふ、そっか。良かった」


 シャルはスタイルが良い、と一言でまとめてはいたものの。がスレンダーという訳ではない。寧ろ、平均よりも大きいと思う。


 でそれなのだ。実際……というか、今俺の体重で押しつぶされてしまっているそれはかなりの存在感を放っていた。


 全てを悟られてしまっているようで、彼女から目を逸らす。


「な、なあ? そろそろ離してくれないか?」

「やだ。……あ」


 シャルの口から小さく声が漏れた。


 唐突に彼女は抱きしめた手を離し、するりと下から抜け出した。


「お風呂入ってからまたするね」

「シャル?」

「じゃ、ちょっと行ってくる」


 シャルは振り返る事なく、手だけひらひらと振って部屋を出ていった。



 ――やけに耳が赤いように見えたが、俺の見間違えだっただろうか。


「……なんだったんだ?」


 いつもと違う、甘さの強い爽やかな匂いの籠ったベッドの上で。俺は小さく息を吐いたのだった。




 ◆◇◆


「……やっちゃった」


 脱衣所にある姿見の前に彼女は立っていた。その身には一糸たりとも纏っていない。


 少女は顔を真っ赤にして、自分の体にしきりに顔を近づけていた。


「汗臭くなかったかな。……お風呂入ってからすれば良かった」



 その豊満な胸に手を置いて、彼女は内に籠った甘く熱いものを吐き出した。


「まだドキドキしてる。バレてたかな。テオに触られてた時からずっとドキドキしてたの」



 そして、彼女は視線を自分の下――胸へと落とした。



「……むぅ。ちょっとくらい触ってくれても良かったんだけどな」



 小さく頬を膨らませ、彼女は改めて風呂場へと入っていったのだった。

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