第4話 自由人と琥珀

 シャルが戻ってきてからまた少し話していると、あっという間に夕飯の時間となった。


 夕飯はパスタの麺が余っていたのでカルボナーラを作ってみた。



「……! 美味しい!」

「だろ?」


 ぶんぶんと顔を縦に振って首肯を伝えてくるシャル。口に合ったのなら何よりである。


「テオって料理出来るようになったんだ」

「母さんに叩き込まれた。体が覚えるまで何度も」

「あー、そっか……大変だったんだね」


 さすがはシャルと言うべきか、俺の言いたい事を即座に汲み取ってくれた。

 かなりスパルタだったのだ、母さんは。


 ちなみに叩き込まれたのは料理どころか家事全般である。


 スパルタだったのも、一人暮らしをしても不自由がないようにという思いがあったからなんだと一人暮らしを始めて気づいた。今ではめちゃくちゃ感謝している。



 そうしてカルボナーラを食べ終え、一息つく。


 さて。


「シャル」


 名前を呼ぶと、彼女はクッションを手で弄びながら俺を見つめてきた。なーに? とでも言いたげに。


「あー、その。約束の事に関してなんだが」

「明日婚姻届取ってくる?」

「フットワークが雲ぐらい軽いな。じゃなくて。……そもそもどうして結婚なんて」

「聞きたい?」


 カラメル色の目に引き止められる。これを聞いて良いのだろうか、という思いが駆け巡った。



「分からないんだ。シャルが何を考えてるのか」


 大人しく自分の思いを口にする。すると、シャルがニコリと笑った。


「楽しいからだよ、テオと居るのが。誰と居るよりも、一番楽しいから」

「……」

「どうしたの?」


 その言葉は嬉しかった。嬉しかった、のだが。



 それと相反するように。心の奥底で黒く濁ったものがうごめいていた。


「……あの頃の俺なら、シャルを楽しませられていたかもしれない」

「うん、楽しかったよ。今でもテオとの思い出は宝物だよ」

「それは、ありがとう。俺もそう……なんだけどな」


 少し迷った後、口を開く。


「……俺は変わったんだ」


 先程までに反して、自分の口からはびっくりするくらい小さく、弱々しいものだった。


「俺、もうあんまり人と話してないんだ」

「……そう? 向こうではそこそこ友達居たと思うんだけど」

「あの頃は、そうだな」

「それに、今日学校で何人かと話してなかった?」

「シャルの話を聞きに来た生徒だな。ほとんど話した事がない人達だったよ」


 言い方を変えるか。遠回しに言うのは……俺に合わない。



「正直に言う。シャルが俺と居て楽しいと思えなくなるんじゃないか……幻滅されるんじゃないかって不安なんだよ、俺は」

「へえ? もうこの時点で楽しいんだけど?」

「なんでだよ」

「ふふ、なんでだろうね?」


 今ので楽しくなる要素ゼロだっただろうが。


 ……その表情を見るに、嘘という訳でもなさそうだった。本当になんでなんだ。

 それはそれとして。


「今までは良かったかもしれないが、これからが分からない。明日。一週間。一ヶ月も経てば、楽しくなくなるかもしれない」

「そうかな?」


 シャルがクッションを置き、ずりずりとこっちに寄ってくる。


「ね、テオ。目合わせて」

「……いきなりなんだよ」

「テオの目が見たくなったんだよ」


 強引な言葉。しかし断わる事も出来ず、目を合わせる。ずいと彼女の顔が近づいてきた。

 俺からは見えるが、多分シャルからは前髪で隠れてよく見えないと思う。


 そして案の定――


「んー、見えるけど見えにくいね」

「ちょっ……」


 手が伸びてきて、手が前髪を下から掬いあげる。熱でも測るかのように、額に手のひらが当てられた。



 更に顔が近づいてくる。シャルの綺麗な顔がすぐ目の前にあった。


 明るいカラメル色の瞳に視線が吸い寄せられ、そこから目を動かす事が出来なかった。



 その瞳に俺の瞳が反射していた。



 ――琥珀色アンバーの瞳が。



「やっぱ綺麗だね。テオの目。朝も一目見てテオだって分かったよ」

「……そんな事、ない」


 じっと見つめられ、それ以上は何も言えなくなる。

 何分経っただろうか。彼女は小さく口を開いた。



「――ひょっとして、日本こっち来てから目の事で何か言われた?」


 心の中で蠢いていた黒いもの。それが暴れ回り、一気に駆け上ってきた。




 ――気持ち悪。何その目

 ――なんかビョーキ持ってんじゃないの? 近寄らないでよ

 ――ほら、遊んでたら伝染うつるぜ! みんなこいつと遊ぶなよ!




 今まで気づかなかった。外国では色んな目の人が居たから。

 日本に帰ってきて、自分が『異質』だという事に気づいた。


 気がつくと、誰とも話せなくなっていた。


 人との話し方を忘れてしまっていた。


 新しい学年に上がって、友達を作ろうと思っても。何を言えば、何を話せば良いのか分からなくなっていた。



 だから、怖い。


 と再会して、幻滅される事が。……今も怖い。


 明日には離れていくんじゃないかって。

 彼女が――シャルが俺の事を見限ってしまったら。俺は多分、耐えられなくなってしまうから。



「んー、そっか。なるほどね」

「……」


 視線は外せない。外させてくれない。


 じーっと見つめられて。唐突にシャルはあっと声を上げた。


「いい事思いついた」


 目がキランと輝き、桃色の唇がにぃと笑う。そのまま彼女は人差し指と中指で俺の前髪を挟み込んだ。


「髪、切っちゃおっか」

「……は!?」


 予想外の言葉に大きな声が出てしまう。しかし、シャルは気にする事なく俺の髪を弄り始めた。


「い、いや、待て。伝わってなかったのか?」

「んー? 目が綺麗だからいじめられてたんでしょ?」

「き、綺麗だからとかじゃなく……気持ち悪いから」

「気持ち悪い? 何が?」

「何がって、俺の目が」


 自分で言っていて、それならこんな目を彼女に向けるべきじゃないと外そうとした。


 それでも。そのカラメル色の瞳は俺を掴んで離さなかった。



「私は誰よりも綺麗だと思うよ。テオの目」

「ッ――」

「琥珀色。綺麗で好きだよ、テオの目も。テオの事もね」


 ――それは一切の淀みの無い、夏空のように透き通った好意。



 今までにないほど高純度の好意をぶつけられて、俺の心は強く揺れ動いていた。

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