第3話 自由人の胸中

 ◇五年前


「あー、楽しかった。でもちょっと疲れたね」

「……ちょっと?」


 ここまで何十分走り続けたんだろう。あんまり外で遊ばない俺からすれば、今すぐ倒れ込みたいくらいだ。


「ふふ、ちょっとだよ。なんでだろ、テオといっしょだったら全然疲れないんだよね、私」

「俺は疲れたよ」

「知ってる。それじゃあお昼寝でもしよっか」


 俺達が来たのは秘密基地だ。シャルの親戚のおじさんが持ってるという小さな空き家。


 自分の家のように入って……ちゃんと鍵は閉める。この国は日本ほど治安は良くなかったから。


「テオ。早く二階で寝よ」

「ちょ、今走ってきたばかりで」

「じゃあ後ちょっとだけがんばろ」


 シャルは結構。いや、かなり意地悪だ。何が意地悪って……


「ほら、テオ」


 差し出された手。

 それを握るとシャルはにんまりと笑った。


 ……俺が嫌だと思ってない事を分かってやってるから。


 たんたんと子気味よい足音を響かせ、二人で二階に上がる。

 二階の奥の部屋には大きなベッドがあった。


「このベッドなら二人で眠っても落っこちたりしないよ、多分」

「……シャルって寝相悪い?」

「そ、そんな事ないけど?」


 目をふいっと背けるシャル。どうやら悪いらしい。


「ま、まあまあ! とりあえずお昼寝しよ!」

「ごめん」

「……?」


 今度はこっちが目を背ける番になった。


「そ、その。俺、抱き枕がないと眠れなくて」

「……へぇ!? そうなんだ!」


 視界の端っこでシャルの目がキランと輝いた。そこに意識を向けると、にんまりと笑うのが見える。


 それは人を馬鹿にするようなものではなく、ただ嬉しそうな笑い方だ。



「実は私もね。寝相が悪い、っていうのもそうなんだけど。ほら、きてきて」

「……ん」


 話しながらもベッドに寝転がり、隣をぽふぽふと叩いてくる。渋々そっちに寝転がった。


 すると、シャルが腕を広げてきた。



「寝てる時に抱きつき癖があるんだよね。私」


 果物のように、甘くて爽やかな香りがした。


「私達が出会ったのって運命なのかもね」


 シャルはそう言って笑い、そわそわと抱きつかれるのを待っている。


 俺に拒否権はないようだった。



 ◆現代



「おじゃましまーす」

「……どうぞ」


 家にシャルが来た。……なんで?


「さっきも言ったけど、両親は居ないんだぞ」

「聞いてる聞いてる。考古学のお仕事なんでしょ? 私と同じで」

「ん? そうなのか?」



 日本に帰ってきてから両親は考古学の仕事範囲を国内へと絞っていた。


 外国では出会いと別れを繰り返しており、俺に特別仲の良い友達は出来なかった。

 加えて、日本国内に友達が居ないのはどうなのか、という理由があったからである。

 つまりは俺をこれ以上振り回したくなかったからだな。


 ……結局、日本に帰ってからも俺に友達は出来なかったんだけども。


 けれど、俺としても両親が考古学の仕事が好きという事は知っていた。高校に上がる時に言ったのだ。国外の仕事も行ったらどうかと。


 最初は両親も迷っていたが、最終的に仕事を再開した。一年間の半分以上は日本で過ごすと条件付きで。

 二人とも先週外国に行ったばかりなので、俺が連絡を入れない限り二〜三週間は帰ってこない。


 しかし、思えばシャルから家族の事は聞いてなかったな。


「私のお父さんとお母さんも考古学者だよ。珍しいね、この仕事が被るって」

「だな。初めて誰かと被ったかもしれん……ああ、洗面所はこっちだ」

「ありがと」


 そうして軽く家の中を案内し、リビングに――


「というか待て。俺は泊まって良いなんて許可してないぞ」

「……? 泊まるけど」

「相変わらず話聞かねえな!? 拒否って知ってる!?」

「あはは、知ってるよ。私だって引き際くらい弁えるし」


 引き際を弁えるという言葉はシャルに一番似合わないと思う。


 そんな意思を込めて見ていると、シャルは隣にあったクッションを引き寄せて抱きしめていた。


「テオはなんだかんだ楽しんでくれるからね」

「……それは、否定出来ない」

「ふふ、良かった。ん」


 きょとんとしたようにシャルがクッションに顔を埋める。

 あっ、と声が漏れてしまうも、気づいた頃には遅かった。


「これってもしかしてテオのクッションだったりする?」

「か、返してくれ」

「やーだっ!」


 思わず手を伸ばしてしまうも、シャルはクッションをぎゅーっと掴んで離そうとしない。


「じ、実は父さんのとか言ったら?」

「ないね。テオの匂いするもん」

「そ、そんなに臭うのか?」

「ふふ、どうだろうね?」


 言い方と表情からしてくさい訳ではなさそうだが……。


「テオ、昔から抱き枕ないと寝れなかったもんね。さてはソファでもよく寝てるね?」

「これまた否定出来ないが。よく覚えてるな」

「覚えてるよ。秘密基地で一緒に寝たからね」


 忘れてくれた方が良かったんだが。

 抱き枕がないと眠れなくて、確かあの時は――



「今日もあの時みたいに寝る?」

「ばっ……」


 脳内であの時の記憶がフラッシュバックした。



 ――果物のように甘く爽やかで、どこか安心する匂い。

 ――呼吸と共に伝わる規則的な心臓の音。

 ――暖かい体温。



 ……ち、違う。違うだろ。そもそもだ。


「き、今日泊めるとは言ってないからな」

「えー? まだそんな事言っちゃうの? たくさんいっしょにお昼寝したのに」

「あれは俺もシャルも小さかったからだ。お、俺も男なんだからな」

「……ふーん?」


 少しだけ脅しの意味を込めてそう言う。これで帰ってくれる……はずないと分かっていた。


 分かっていたのだが。



「えっちな事するの?」



 シャルは体育座りのようになり、膝と体の間にクッションを挟み込んでいた。

 その目が薄く閉じ、口元はにぃ、と笑っている。



「……す、すると言ったら?」


 しかし、こちらも成長しているのだ。多分。


 至って平静を装ってそう返すが――



「いいよ、テオなら。えっちな事しても」



 彼女の方が一枚上手であった。


 それから俺は彼女の顔を見る事が出来なくなる。


「……ぷ、ふふ。あはは! テオ、可愛いね。そんなに顔真っ赤にしちゃってさ」

「か、からかうのはそれくらいで勘弁してくれ」

「ふふ、おっけー。ちょっと顔洗ってくるね」


 シャルが立ち上がり、クッションを俺の隣に置いた。かと思えばすたすたと歩き始める。



 彼女が居なくなり――息を吐いた。



「……って違う。あの約束についても話さなきゃいけないってのに」


 泊まる泊まらない以前の問題だ。あの事についてちゃんと話さないといけない。


 手癖でつい隣にあったクッションを抱きしめてしまう。

 オレンジやレモンのように甘く、少し爽やかな匂いがして……俺はクッションを隣に戻したのだった。



 ◆◇◆


「……顔あっつ」


 彼女は洗面所でパタパタと自分の顔を手で仰いでいた。

 彼が彼女の顔を見ていたらすぐに気づいた事だろう。


「……参ったなぁ」


 ほう、と零れた息は熱と共に甘さを帯びている。


「テオといっしょに居られるの、楽しすぎてどうにかなっちゃいそう」


 鏡に写る口角はずっと持ち上がっていて――しかし、頬は胸でぐつぐつとつのらせる想いを示すように赤くなっていた。

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