桑原春菜(本編第69話後)


 「……。」

 

 「おつかれさまでした。」

 

 「え?」

 

 「撮影、終わったんですよね。」

 

 「あ、はい。

  おかげさまで、無事に。」

 

 「それはよかった。

  留美さんも、重要な役を演じられたとか。」

 

 「はい。

  ディレクターが、前の舞台で

  留美ちゃんの演技を見ていて下さったらしくて。」

 

 「やりやすかったですか。」

 

 「はい。

  演技、すごく上手くなってて、びっくりしました。

  お芝居、合わせやすかったです。」

 

 「留美さんは、

  あれで頑張り屋さんですからね。」

 

 「はいっ。

 

  ……。」

 

 「どう、されました?」

 

 「……

 

  あの時と、同じだって。」

 

 「?」

 

 「……

 

  この部屋に最初に来た日に、

  わたし、静さんと、

  はじめて会った日のこと、

  思い出したんです。」

 

 「……。」

 

 「わたしが、まだ、子どもの頃です。

  ……覚えて、らっしゃいますか?」

 

 「……。

 

  間違っているかもしれませんが。」

 

 「はい。」

 

 「陸上競技会の全国大会、

  表彰式の時、ですか?」

 

 「!

 

  はいっ!」

 

 「僕は、表彰される側には

  入れなかったんですけれどもね。」


 「でも。

  

  あのときも、

  美智恵さんからはぐれて、

  途方にくれてたわたしを、見つけて下さいました。」

 

 「たまたま、ですよ。」

 

 「優しく手を引いて、

  ご案内頂いた時の暖かさをを、

  わたし、いまでも、覚えています。」


 「……。」

 

 「だから、

  この部屋の中で、思い出してしまった時に、

  わたし、もの凄く、運命を感じちゃったんです。

  

  そしたら、もう、

  静さんの顔、見られなくなってしまって。」


 「……。」

 

 「それで、映画の撮影がはじまって。

  静さんと逢えなくなった時、

  いおう、言おう、言おうって、

  ずっと、思ってたのに。

  

  わたし、言えなかったんです。

  昔のことを引き合いに出すのは、

  卑怯じゃないかって。」

 

 「そういうところ、

  春菜さんらしいですね。」

 

 「……

  その。

  言ったら、変わり、ました?」


 「……

  わかりません。

  

  ただ、客観的に言って、

  距離感は近くなったようには思います。」

 

 「……。」

  

 「それで言うなら、

  僕は、残業明けの夜の公園で、

  春菜さんにお迎えされた時、

  ひょっとしたら、と思ったんです。

 

  忘れられていると思いましたし、

  それこそ、間違いだろうとも思いました。

  姿かたちが、違いすぎましたから。」

 

 「……。

 

  だから、なんですね。」

  

 「?」

 

 「わたし、静さんの元に、戻ってくるの、

  帰巣本能みたいだなって。

  

  部屋、わざと間違えたんじゃないのに、

  気づいたら、こっちで寝てた、みたいなこと、

  良く、ありましたから。」

 

 「……ふふ。」

 

 「わ、笑いごとじゃないです。

  わりと、疑いの眼で見られてますから。」

 

 「そうなんですか。」

 

 「……。

 

  そ、その。」

 

 「はい。」

 

 「美智恵さんが、旅だたれた時、

  わたし、目の前が、ほんとうに真っ暗になって。


  あの時。

  

  帆南さんだけが、

  わたしの傍にいて下さって、

  わたしを、抱きしめて下さったんです。


  帆南さんの心臓の音が聴こえた時、

  空が、色づいて、

  止まっていた風の音が、聴こえました。

    

  それで、

  ものすごく、わかったんです。

  

  ああ。

  静さんが、帆南さんを、

  色と匂いとぬくもりのある、動く世界を、

  わたしに、残してくれてたんだなって。」

 

 「……。」

 

 「ふふっ。

  わたし、美智恵さんと、

  敵しか、いなかったのに。

  

  静さんが、帆南さんを、

  留美ちゃんを、記者の人を、

  榎さんも、事務所の人も、子役さんたちも、

  わたしが、忘れちゃいけない人を、増やされちゃって。」

 

 「……。」

 

 「……

 

  その、お耳に入られていると思いますが、

  先日、海外の方から、お話をいただきました。」

 

 「そのようですね。」

 

 「シナリオ、面白そうですし。

  脚本家の方、絶対に替えないって、

  替えたら契約違反で降りる、

  違約金なしって、書面で取りました。」

 

 「以前、ひどいことがありましたからね。」

 

 「ほんとですよ。

  みんな、荒れちゃいましたし。

  

  ……

  

  榎さんがお話下さったんですが、

  美智恵さんがいらっしゃった頃は、

  ずいぶん、断られてたみたいなんです。


  『高校、出るまでは

   認めらんないね』

  

  って。」


 「あぁ。

  ありそうですね、一ノ瀬さん。」

 

 「そうなんですよ。

  ふふっ。

  

  でも、いまなら、

  きっと、美智恵さん、

  わたしの好きにしていいって、

  仰ってくれそうで。」


 「……。」

 

 「ち、違いますか?」

 

 「いえ。

  後ろに、一ノ瀬さんが見えましたよ。」

 

 「えぇっ!

 

  ……

  

  逢いたいです、美智恵さん。

  夢でもいいから。」

 

 「です、ね。

  そういえば、一ノ瀬さんと、

  ご飯を食べに行ったことはなかったですね。」

 

 「わたしもほとんどないです。

  だから、あの台湾料理屋さん、

  すごく、楽しみでした。」

 

 「なるほど。」

 

 「……。

 

  なので、

  お引き受けしようと思っています。

  

  わたし、ちゃんと、

  美智恵さんから巣立てるかを、

  ためしてみたい。」

 

 「それは素晴らしい。」

 

 「……

 

  やっぱり、違いますね。

  静さんは。」

 

 「?」

 

 「みんな、反対でしたから。」

 

 「……あぁ。

  稼ぎ頭ですからね。」

 

 「大きな役、いっぱい来るのに、

  やっとこれからだって言う時に、

  どうしてそんなの受けたんだ、とか、

  いろいろ言われました。」

 

 「帆南さん、言わないでしょ。」

 

 「帆南さんは言いませんけど、

  ちょっと、淋しそうでした。」

 

 「僕も寂しいですよ。」

 

 「ほんとですか?」

 

 「それは勿論。

  連れて行きたいところ、いっぱいありますから。」

  

 「……

  だいぶ、鈍ります。」

 

 「はは。」

 

 「……。

 

  その。」

 

 「はい。」

 

 「えっと。

  あの。」

 

 「……。」

 

 「撮影、長いみたいです。

  代理店の方が、一年かかるかもしれないって。」

 

 「ええ。」

 

 「端役って言っても、

  いまの留美ちゃんみたいな役どころで、

  クレジットでいうと、中トメくらいの役みたいです。」

 

 「そうらしいですね。」

 

 「……。

 

  ラブシーンとかも、

  あるみたいで。」

 

 「そうなんですか。」

 

 「わ、わかりませんよ?

  わかりませんけれど、

  その。

  

  だから。

  

  あの。

  

  ……

  

  お、

  お、

  

  おからだをいただけませんかっ。」

 

 「?」

 

 「……。」

 

 「……

 

  ……

  

  え゛。」

 

 「ほ、ほ、

  帆南さんと、

  お約束済なんですっ!」


 「えぇっ。」

 

 「えっと、ですね。

  おはなしするとすっごく長くなるんですけれど。」

 

 「は、はい。」

 

 「その、百五十周年のCM、撮った時くらいに、

  帆南さんと、ちょっと長く、お話して。」

  

 「……えぇ。」

 

 「つい、こないだの、

  映画の打ち上げの時、

  あの時の約束が、有効か、お話、しまして。」

 

 「……?」


 「その、

  そ、その。」



 「……。」

 

 

 

  「どっちが、静さんの彼氏になっても、

   一回は、その、

   っていう話をしたんです。」

 

 

 

 「……は。」

 

 「だ、だって。」

 

 「……。」

 

 「い、嫌なんです。

 

  や、役っていうのは、

  それは、その、仕方ないなって思うし、

  なりきるなら、その役の娘は

  それでいいと思うんですけれど、

  そうじゃないの、たぶん、もう、

  一生、ないんじゃないかって。」


 「……しかし」

 

 「確認、しました。

  ちゃんと、書面でも。

  いま、お見せしても、いいです。」

 

 「いや。

  それは、信じ

 

 「お疑いなら、いま、

  帆南さんに、ご連絡頂いても。」

 

 「いや。

  いまごろ、社長のアテンドで、

  インドにいるはずですから。」

 

 「……。」

 

 「……。」

 

 「その、

  お、おいや、ですか?」

 

 「……

  倫理的

 

 「ないんです。

  それは、問題、ないです。」


 「しか


 「帆南さんが、いいって。

  つ、つい最近、確認できましたし、

  る、留美ちゃんもいました。」

  

 「……。」

 

 「……。」


 「………。」

 

 「あ、

  あの、

  その、

  

  ……

  い、痛かったんです。」

 

 「……は?」

 

 「その、

  前、役のとき。

  一週間くらい、その。」

 

 「あ、あぁ……。」

 

 「……。」

 

 「……

 

  その、ですね。」

 

 「は、はいっ。」

 

 「春菜さんがどのようなご期待をお持ちか存じ上げませんが

  僕はそういう経験そんなに多くないんですよ。」

 

 「大丈夫です。

  わたし、リードします。」

 

 「……

 

  ぷっ。」

 

 「な、なんですかっ。」

 

 「い、いや。

  その、なんていうか、

  すごく凛々しいお顔立ちを、

  なさっておられたものですから。」

  

 「んっ!?」

 

 「では、

  その、この件について、

  春菜さんを信じて、よろしいのでしょうか。」

 

 「!

 

  は、はいっ!」

 

 「……。

  わかり、ました。

  

  その、

  ●テック●を。」


 「も、もちろんですっ。」

 

 「ご、ご存知なんですね。」

 

 「それはもうっ。」

 

 「……

  ぷっ。」

 

 「な、な、

  なんですかっっ。」


 「いや。

  とても、素敵ですよ。

  春菜さん。」

  

 「……っっ……っ!?」

 

*


 「お帰りなさい、帆南さん。」

 

 「ただいま戻りました。」

 

 「帆南さん。

  その

 

  っ!?」

 

 「……

  約束、でしたから。

  いいんですよ、静さん。」

 

 「……。」

 

 「私、

  むしろ、静さんが頑なに断ったら、

  春菜ちゃん、壊れちゃうんじゃないかって、

  そっちがずっと心配でした。」

 

 「……

  それは、あったよ、

  正直。

  

  ……

  荷物、整理しな

  

  っ!?

  

  うわっ!!」

 

 「約束は、果たしました。

  塗り替えます。

  

  徹底的に。」

 

 「……お、お手柔らかに願います。」

 

 「……

  そうは、いきませんよ。

  明日は一日有給ですっ。」

 

 「えぇ?

 

  ……


  え゛」

 

 「善は急げ、です。

  湯瀬課長、勤怠管理のシステム

  入れたじゃないですか。

  電子申請できますよ。」

 

 「うが。」

 

 「静さんもやってください。」

 

 「うはぁ…。

  本気、なんだ。」

 

 「そうですよ。

  そういう話でしたから。」

 

 「……

  だとすると、

  あの時のあれは、意味

 

 「ありますよ。

  私、絶対、になると

  ずっと思ってましたから。


  あの約束は、

  私のため、だったんです。」

 

 「……。」

 

 「だから、春菜ちゃんに、

  誠実でなければいけなかったんです。

  昔の私のためにも。」

 

 「……。」

 

 「でも、

  頭では割り切れても、

  身体はそうはいきませんから。

  

  さ、登録しましたね。

  例のパーティ終わったばっかりですから、

  調一、やることないですよね。」

  

 「僕はそうかもしれないけど、

  社長室は

 

 「インド、めっちゃ大変だったんですから、

  それくらい、わかってくれますよ。

  くれなかったら、調一に配転希望出してやります。」

 

 「……

  ふふ。」

 

 「な、なんですか。」

 

 「いや。

  帆南さん、強くなったなぁって。」

 

 「……

  強い女は、嫌いですか。」

 

 「いや?

  頼もしいだけですよ。」

 

 「……。

  えいっ!」

 

 「うわっ!?」

 

 「そうやって春菜ちゃんも留美ちゃんも

  篭絡していきましたねっ!」

 

 「な、なんで留美さ


  ……

  

  んぷっ!」

 

 「ベンガルの味、しました?」

 

 「……

  成田の味なら。」

 

 「ぷっ!

 

  ……っ。」

 

 「お帰り、帆南さん。」

 

 「……

  はい。

  ただいま、です……。

  

  って、

  ごまかされませんからね。

  今日、絶対、寝かせませんよっ!」

 

 「そんな力入れて言わなくても。」


 「……。」

 

 「ん?

  どうしたの、帆南さん。」

 

 「……

 

  静さん、

 

  私、

  いま、

  もんのすごく、幸せですっ!」

 

 「うわっ!」

 

 「ふつふつふつって、

  実感、しましたけど、

  これで、なにも、

  気にしなくて、いいじゃないですかっ。」

 

 「……

  気にしてたんだね、やっぱり。」

  

 「しますよっ。

  隣、いましたし、

  年頃ですし、嫌でしょうし。

  私だったら、絶対。

  

  ……

  

  まぁ、たぶん、

  私もすぐ行くんでしょうけれどね、

  アメリカ。」

 

 「向こうのエージェント次第だけどね。

  ありそうな話だなぁ。」

 

 「……

  寂しく、ないんですか?」

 

 「寂しいよ。

  もちろん。」

 

 「私、いないからって、雪乃さんと、

  こうやって、身体、合わせたりとか。」

  

 「しませんって。

  妹だよ?」

 

 「……。」

 

 「そんな疑いの眼を向けるくらいなら。」

 

 「それはそれ、

  これは、これなんです。」

 

 「……

  まったく、もう。」

 

 「……

 

  覚えて、ますか?

  入社式の時。」

 

 「え?」

 

 「私、駅からの道、間違えて、

  会社に辿り着けなくて。」

 

 「……。」

 

 「ナビがぜんぜん違うところを指してて、

  ほんとに、途方に暮れちゃった時に、

  話しかけて下さって。」

 

 「えぇ……。

  ごめん、それは覚えてない。」

 

 「いいんですよ、いいんです。

  わたし、その時、

  お化粧とか、めちゃくちゃでしたし。

 

  ……。

  

  社員研修、

  一緒に受けましたよね。」

 

 「そうだね。

  わりと席、近かったと思うんだけど。」

 

 「……

  あの頃から、

  ちょっと、気になってたんです。」

 

 「……。」

 

 「でも、配属先、違って、

  仕事、覚えなくちゃいけなくて。」

 

 「……。」

 

 「ううん、

  大丈夫ですよ。

  

  だから、いまが、ある。

  そう、思えますから。」

 

 「……。」

  

 「……

  静さんの心音、

  すごく、落ち着きます。

  

  すっご……

  

 

 「……

  

  寝かさないんじゃ、なかったっけ。

  

  ……ふふ。

  おつかれさま、帆南さん。」

 

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