橋本幹也(本編第1話前~第61話前)


「お前を主任とする。」


 入社二年目の昇進。

 警備部、総入れ替えの影響だな。


 実際、半分以上は新入社員になった。

 つっても、俺らと同じ中途採用なので、

 一人を除けば、皆、経験がある奴らだ。

 

「いつ外注化されてもおかしくはないがな。」


 無駄口を叩かない伊重警備課長が珍しく弱音を吐く。

 六月人事で、警備部長を白髭の社長室長が兼任したのは、

 外注化への下ならしだと言っている奴もいる。


 面白い、な。

 は、こうなっているわけか。


「ともかく、しっかりやってくれ。」


「はっ。」


 敬礼の時は、警察時代の癖が抜けない。

 心の中だけは、まだ、刑事のつもりでいる。


*


 3年前。

 

 「きみは、やりすぎましたよ。」

 

 副署長が、したり顔に俺の顔を見ながら、

 勝ち誇ったように告げた。

 

 「所轄の刑事なんて地取りだけやってればいいのに、

  越権捜査なんてすれば、こうなるに決まってますよね。

  ちゃんと、警告、したはずですが。」

 

 連続失踪事件。

 大手の芸能事務所への、

 ただ一度だけの、任意での事情聴取。


 たったそれだけで、刑事課長は、

 問答無用で俺を殴った。


 「あそこは触るなと、配属時に言った筈だぞ。」


 若く、無鉄砲だった俺は、

 無駄に張り切ってしまった。

 

 幼い頃に見た刑事ドラマでは、

 巨悪は、必ず暴かれ、

 最後には、正義は、勝つ。

 

 想像通り、巨大なヤマになりそうだった。

 解決に導けば、皇居前に拾って貰えるかもしれない。


 そんなこと、

 あるはずもなかった。


 捜査線上に歴史ある大手企業の名が上がった時、

 俺は、突然、署長室に召喚された。


 「減俸六カ月。

  意味、分かりますね依願退職勧奨

  

  きみなんかに紹介するには勿体ないところですよ。

  それすら棒に振りたければ、いつでもどうぞ。」


 26歳の夏。

 若すぎた俺は、社会の真の姿と理を知った。


*


 11月も終わりに差し掛かった頃。


「皆さん、おつかれさまです。

 調査一課の榎本です。」


 とんでもなく綺麗な人が、

 差し入れを持ってきてくれた。


「つまらないものですが。

 小辻主任と私で、先日北海道に出張したので、

 お土産をお持ちしました。」


 出張のお土産を警備課に持ってきてくれる人は、

 入社以来、はじめてだった。

 しかも。


 ……オトコってのは哀しいもんで、

 めちゃくちゃ綺麗な人に微笑まれるだけで、

 ガキみたいにテンションがあがっちまった。


「アイスクリームなのですが、

 大丈夫でしょうか。」


 美人に貰えるなら、なんでもいい。

 ……酒なら、なお良かった。


*


「あなたが橋本さんですね。」


「は。

 橋本は自分ですが。」


 この人、か。


(人事二課の寺岡課長補佐。

 いいか、あの女、絶っ対に敵に廻すな。)

 

 目の前にいる、おっとりした、

 虫も殺せないような上品そうな人なのに、

 髪がめっきり薄くなった伊重警備課長は、

 眼を合わせないほどに恐れていた。


「伊重さんから、

 一番腕の立つ方とお伺いしています。」


「恐縮です。」


「あら。

 

 ふふっ。

 頼もしいですね。」

 

 ふんわり柔らかく微笑まれると、なんだか照れてしまう。

 課長、なんでこんな人を縮こまって見てんだろ。


「そんな橋本さんをお見込みして、

 お願いしたいことがございます。」


*


 事前に、分かるなら。


(おそらく、今日か明日、

 調査一課の榎本さんが、薬を飲まされた状態で、

 2階の多目的トイレに監禁されます)


 なぜ、止めないのか帆南の意向


(暫く待つと、誰かが入ってくるはずです

 まず、小辻主任にご連絡下さい千里の独断

 榎本さんの直属の上司になります)


 多目的トイレには、非常時のための

 スイッチを開くと内臓されているキースイッチがあり、

 通常、警備部が管理している。

 

 つまり、犯人、あるいは内通者が警備部の中にいるか、

 少なくとも外部に洩らした奴がいる。


 っ。


 が、榎本さんらしき人を、

 投げ入れるように多目的トイレに押し込んだ。


 慌てて調査一課に電話を入れる。

 

 『はい。

  調査一課です。』

 

 機械音のような無機質な女性の声だった。

 

 「こ、こちら、警備課です。

  小辻主任をお願いします。」


 『かしこまりました。

  少々お待ちください。』

 

 無機質な女性の声の後、

 しばらく機械的なエリーゼのためにが流れ、

 

 『お電話かわりました。

  調査一課の小辻です。』

 

 落ち着いた感じの男性の声に切り替わった。


 「あ、お、小辻主任ですかっ!

  け、警備課の橋本ですっ。

  

  そちらの榎本帆南さんが、

  現在、監禁されています。

  恐縮ですが、至急警備課に起こし下さいっ。」

 

*


 落ち着いた色のスーツを着た小辻主任が、

 血走った眼でタブレットの映像を食い入るように見つめる。

 

 「……っ。」

 

 唇を噛んで、いまにも駆け出しそうな素ぶりを見せる。

 

 「待ってください、小辻主任。」

 

 あぁ。

 これは、被害者家族の顔だ。

 ただの上司と部下の関係じゃない。

 

 きっと、彼にとって、大事な人なんだろう。

 羨ましい限りだが、そんなこと言ってられない。

 

 「こんなことをした奴には、目的があるはずです。

  必ず現場にやってきます。」

 

 と、あのおっとりと上品な人に言われてる。

 実際、ここまでの展開は、

 なにもかもあの人が言った通りだ。

 

 なら、

 

 「待ちましょう。

  黒幕を、暴くんです。」

 

 犯人は、必ず、現れる。

 

 「わかり、ました。

  ただし、の身体に、万が一のことがあれば」


 「警備室でモニターしています。

  危ないと判断すれば、すぐに。」


 もう、課長が別動隊を率いている。

 現場判断で突入できるはず。

 俺は、他の部屋で何かが起こった時の遊軍に過ぎない。

 

 少し落ち着いたらしい小辻主任に、

 お土産はできれば酒がいいなとか

 くだらないことを話してた時。

 

 「っ!?」

 

 施錠されている多目的ドアが開いた。

 その七秒後、課長が指揮した警備隊が展開していく。

 他の部屋に、動きは、ない。

 

 「行きましょう、主任っ!」

 

 増援というよりも、

 小辻主任を警護しながら目的地に向かっているだけ。


 落ち着いた見た目で、

 いかにも事務屋っぽい小辻主任だが、

 意外に体力はあるらしく、

 地下二階から四階まで、俺のペースより早く駆け上がってくる。

 

 負けないように全力ダッシュし、

 息を切らしながら現場入りした瞬間、

 

 っ!?

 

 俺の眼に入ったのは、

 六月人事で、警備部から外された先輩だった。

 

 なんで、この人が。

 

 予想外の人物の登場に混乱する

 俺の、横に。


 「……やれやれ、

  ほんとに、今更どういうつもりなんだか。」


 う、わ。

 なんだ、このオトコ。

 無駄に綺麗な顔してやがる。

 

 なんか、薄化粧してるオトコ、

 生理的にむかつく。

 

 「……課長。」

 

 「あぁ、うん。

  小辻君は帆南ちゃんをお願い。

  部屋に送って。直帰していいから。」

 

 「……

  ありがとうございます。」

 

 小辻主任が、ストレッチャー千里の手配に榎本さんを乗せ、

 救急搬送の要領でエレベーターから外に出て行く。

 

 「さて、と。

  伊重さん、貴方の元部下ですね?」

 

 うわ。

 うちの課長、めちゃくちゃ怖がってる。

 このホストの究極上位職みたいな奴にも、

 逆らっちゃいけないってのか。

 

 「僕の元部下千里から聞いてますが、

  こちらの橋本さん、

  前職は刑事課だそうですね。」

 

 げっ。

 な、なぜ。

 

 「監査部と連携の上、

  綿密な捜査をお願いします。

  ……でなければ、わかりますね。」

 

 「わ、わかっとるわっ!」

 

 ……

 ロコツな力関係を見た。

 キャリアとノンキャリなんてもんじゃないな。


*

 

 ……はぁ。

 

 要するに、

 

 「榊原晴香のストーカー、

  っていうことでいいのか?」

  

 「まぁ、そうなりますね。

  予想と違っていましたが。」

 

 事情聴取でアパートに上がり込んだら、

 映画のポスターやらグッツやらが溢れかえっていたし、

 PCの動画は全部クリップ化されていたから、

 おそらく、間違いない。

 

 と、同時に。

 

 「橋本によると、

  が持ってた薬と似たようなものが、

  研究所のダストボックスにあったらしい。」

 

 これは、タレコミの一種千里の指示なんだけどな。

 どうして俺に言って来たんだか。

 

 「研究所に抜き打ち調査を入れる。

  最も、監査部側が主だがな。俺らは何もできねぇぞ。」

 

 警備部は警備をするだけであり、

 調査や監査ができるのはそちら側。

 色々ともどかしいが、警察と違うのは当たり前。


 「まぁ、監査部も今回ばかりは本気だろう。

  社長の鶴の一声がかかっちまったからな。

  あの綺麗な女、年明けの社長室配属が決まってたんだと。」


 あぁ。

 やっぱり、力のあるところに、いい女は集まっちまう。

 ドラマの世界のようにいくわけはない。


 改めて世の不条理を実感していると、

 内線が鳴り響く。

 

 「はい、警備課。

  

  ……

  あぁ、はい。

 

  え?

  

  それは、構いませんが、

  本当によろしいので?

  

  ……

  はい。

  

  わかり、ました。

  すぐ、そちらに。」

 

 憮然とした表情で内線を切った伊重課長が、

 薄い髪を額に垂らしながら、しかめ面で俺の側に振り向く。

 

 「お前の古巣だよ。

  立ち合いたいんだと。」

 

 え

 

 え゛。


*


 誰かと思えば。


 「いまは交番勤務です。

  意外にこまごま忙しいんですよ。」

 

 晁野友彦。

 前職の合同捜査会議で見た、

 別の署の元刑事。

 

 「脳筋の橋本さんほど目立ちませんでしたから、

  クビだけは繋がりました。」

 

 煩いな。

 

 「俺も、大切な天下り先なんでな。

  あんまり無茶はできねぇぞ。」

 

 「たまたま、非番の日に、

  知り合いの職場に遊びに来ただけですよ。」

 

 ふん。

 

 で。

 

 「お前は、何が知りたいんだ。」

 

 「民間の方には、

  って、嘘に決まってるでしょ。

  

  端的に言ってしまえば、

  ですよ。」

 

 配り先、ねぇ。

 

 「違法ではないんですよね。

  表の薬効上は、ただの睡眠薬だそうですから。」

 

 「だから、

  ただ、遊びにきましたってか。」

 

 「ええ。

  警察官だって、非番の日は、

  ただの一市民ですからね。」

 

 良く言うわ。

 

 「それより、

  あの男性、なんですけれど。」

 

 ……あぁ。

 調査一課の課長さんか。

 

 「よく目立つだろ。」

 

 近づきたくない。

 香水の匂いがする綺麗なオトコの近くには。

 

 「ええ。

  ただ、あんな目立つ風貌じゃないんですけれど、

  僕の知ってる人に、ちょっと、似てるんですよね。」

 

 ん?

 

 ぉ。

 

 「……やはり、でした、か。」

 

 「そうなって、しまいますね。

  残念ながら。」

 

 腹立つほど麗わしい調査一課の湯瀬課長と、

 薄くなった髪を握りしめたうちの課長が、首を揃えて

 監査部の係員が操作しているPCを覗き込んでいる。

 

 って。

 

 「ぅあっ。」

 

 いつのまにか課長の後ろでPCを探り見している

 晁野の奴が、小さな声を出した。

 

 「おい、

  どうした。」

 

 「……

  ありました。

  ありましたよ。

  

  まさか、こう、繫がってるとは。」

 

 勝手に興奮してやがるな。

 

 「俺にも分かるように説明しろ。」

 

 「あとです、あと。

  ここから、だったのか……っ。」

 

 「んだと。

  お前、俺をただの民間人Aだと思って

  舐めてんのかっ。」

 

 俺と晁野が騒いでる横で、

 伊重課長が、薄くなった髪を掻きむしりながら、

 涼しい顔をした調査一課の湯瀬課長を見上げている。

 

 「……

  

  これ、社長室に、

  報告、なさるんですか?」


 「そのあたりは、相談致しますよ。

  皆さん、どうもお疲れさまでした。

  そちらののおまわりさんも。

  

  ね。」


 うっ。

 

 なんて、奴だ。

 うさんくさい笑顔一つで、完全に場を支配しちまいやがった。

 人でも殺してきたんじゃないのか。


*


 「で、どういうことなんだよ。

  もったいぶらずに説明しろよ。」

 

 「民間の

  嘘、ほんとに嘘ですって。

  

  うちの元上司に電話しようとするの

  止めて下さいよ、マジで。」

 

 仲良くさせて貰ってた名残で、

 スマホの中に電話番号があって良かった。

 

 「脳筋の橋本さんにも分かるように、

  ざっっくり、言いますね。

  

  あの研究所長、

  ある薬を個人輸入してたんです。


  いまは生産ラインに乗っていない薬で、

  通常の薬効はただの睡眠薬なんですが、

  別の薬を組み合わせると、

  不完全ながら、自白剤に類似した効果が出るんです。」

 

 「自白剤?」

 

 そんなもん、とうの昔に

 

 「先進国では、効果や倫理面を考えて、

  使われなくなったシロモノなんですが、

  需要っていうのは、どこでもあるものですから。

  

  それよりも、ですね。

  問題は、配布先のほうです。

  

  端的に言いますね。

  

  橋本さんがクビになった、

  例のメレディスのおっきいヤマと、

  繋がってます。」

 

 っ!!!

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