野々原留美(第1話前~第29話)


 あぁ、

 ほんっと、クッソ可愛い。

 

 敵でなくて、マジで良かった。

 殺したくなるってのも、わかっちゃう。

 

 でも。

 

 「要するに、話せなくなっちゃうってこと?」

 

 クッションを掴みながら、顔を、真っ赤にして、

 ヘーゼルブラウンの瞳を潤ませながら頷く姿を、

 そのまま映すだけで、1億は廻りそうで。

 

 傾国の美少女、映画界の至宝。

 そんな娘が好きなのは、一見しただけだと、

 ただの大人しそうなサラリーマン。

 

 とても信じられないけれど。

 

 「その、そうじゃない話は、できるんだけど。

  ごはんの話とか、前やったお仕事の話とか。」

 

 「ははぁ。

  でも、はるちゃん。

  想いは、伝えられないんだね。

  テンマさんに。」

 

 言うなり、顔の血管が、すぅっと真っ赤になる。

 ほんと、ありえないくらい可愛い。神はいつも不条理だ。

 私は思わず、はるちゃんをぎゅっと抱きしめる。


 「っぅふっ!?」

 

 ……

 ほんと、どんな人なんだろな。


*


 「とても大切なクライアントです。

  社運を左右する方ですよ。」

 

 大手素材メーカー。

 その名前を、その職場を。

 私は、知っていた。

 

 ウソお兄様こと、湯瀬誠。

 私のおにいちゃんの、大切な義兄弟。

 

 私の芸能界入りを、

 一番反対したのは誠さんだった。

 

 『向いてない。

  きみにできるわけがない。

  

  容姿の問題じゃない。

  きみよりもダメな娘なんていっぱいいる。

  そうじゃなくて、精神的に向いてない。』

 

 まだ高校生だった私は、好奇心と反発心だけで、

 この世界に入ってしまった。

 

 スカウトしてくれた人は、

 業界大手、エクスプロージョン。

 の、だと気づかなかった。

 

 すぐに、この世界のを受けた。

 生半可な予想なんて弾け飛んでしまう、

 終わらない台風に晒され続けるような。

 

 でも、それは、仕方ない。

 そういうものだと、割り切れるくらいには、

 私なりに、覚悟はできていた。

 

 でも、仕事は、

 まったく来なかった。

 

 が、そもそも、

 仕事に繋がるものではないと分からされたのは、

 ホンモノのを体験した時だ。

 

 「バカだな。オトナなら誰だってって訳ないだろ。

  スポンサーが末端のキャスティングまで握ってるわけないだろ。

  幹事会社の奴らだって、カネ集めしてるだけで、

  現場なんか一切触らないんだよ。」

 

 身体中の血が、沸騰する思いだった。

 私は、なにもかも許せなくなった。

 オトコを、大人を、世間を。

 

*


 記者会見を繋いでくれた記者さんが

 新聞社を退職に追い込まれた後、

 私も、笑ってしまうくらい仕事を干された。

 

 なにもない予定表を眺めながら、

 アルバイトで糊口を癒している時。


 その人は本当に、

 突然、私の眼の前に現れた。

 

 「あんただね?

  いまどき珍しい無鉄砲な娘ってのは。」

 

 背の小さな、ガマガエルのようなしわがれた声なのに、

 ささくれ立った心を撫でられた気がした。

 

 「ふぅん。

  あんた、いい眼をしてんね。

  そんなことしなくても、ちゃんっと芽が出たろうにね。

  まぁ、子会社まで目は光らせらんないわな。」

 

 サングラスを外した老婆は、

 皺に囲まれた瞳をぎらっと光らせ、

 年輪を刻んだ手で、戸惑っている私の手首を掴んだ。

 

 「さ、おいで。

  契約してやるよ。

  あたしの言うことを、ちゃんと聞くならね。」

 

 生ける業界の伝説。

 一ノ瀬美智恵さんとの出会いだった。


*


 一ノ瀬さんの手配で、

 わたしは、劇団の下っ端をやらされ、

 演技の基礎を叩きこまれる日々を過ごした。


 走り込みから、表情筋のトレーニング、

 声の出し方を踏まえた発声練習の細かいメニュー、

 身体の作り方と倒し方。

 

 本当の演劇は体育会以外の何物でもなかった。

 動画編集なんかする暇なんて、ない。

 ほんとは、続き物にしたかったのに。

 

 地獄のような三か月が過ぎ、

 下半身に筋肉がついてしまった頃、

 劇団で、小さな役を与えられた。

 

 その時に、

 出会ってしまった。

 

 榊原晴香。

 一ノ瀬美智恵の、秘蔵っ子。

 

 といっても、

 その時は、まったく認識されていなかった。

 

 演技の正確さ、深さに、

 存在感に、スケールの大きさに、

 ただただ、圧倒された。


 なにがどうスゴイのかもわからないくらいの、

 軍隊蟻が宇宙船を見上げるような差。

 

 悔しかった。

 自分より年下なのに、

 この娘は、遥かに先に行ってしまっている。

 

 この娘と、同じ舞台に立ってやる。

 私の稽古熱は、燃え上がった。


*


 声を枯らし、血豆を潰す稽古の日々を潜り抜け、

 やっと名前が載る役をもらった頃だった。

 

 榊原晴香。

 

 役になり切るというよりも、

 役に彼女が、

 スマートフォンを握りながら、顔を真っ赤にしている。

 

 おかしかった。

 絶対的に。

 

 「晴香さん?」

 

 「っ!?」

 

 う、がふっ。

 な、なに、

 この、カワイイイキモノ。

 

 私は、瞬時に分かった。

 これは、コイバナだ。

 それも、最上級の。

 

 「はるちゃん。」

 

 「!?

  な、なにっ???」

 

 瞳を潤ませた真っ赤な顔を見た時、

 私は、なにがあっても、この娘の味方になろうと決めた。


*


 私を疑っていたはるちゃんを手なずけるのは、

 手負いの美貌ペルシャ猫を飼いならすようで、

 ちょっと、面白かった。

 

 はるちゃんに群がろうとする

 数人の記者を追い払った頃だった。

 

 「あぁ、留美かい。」

 

 久しぶりに、一ノ瀬さんに会った。

 

 「なんだい。

  あんたたち、いつのまに仲良くなってんのかい?」

 

 役を背負っていないはるちゃんは、基本、無表情に近い。

 でも、一ノ瀬さんが近くにいるせいなのか、

 素に近いような、戸惑った顔をする。

 

 私は、ちょっと悪戯心を出した。

 

 「そうなんですよ。

  ね?」

 

 私が笑顔で一ノ瀬さんを見ると、

 はるちゃんも笑顔になった。

 

 「はは、そうかい。」

 

 わかっていた。

 これは、一ノ瀬さんを安心させるためだけの演技だと。

 私は、はるちゃんの性質を利用してしまったのだと。


*


 はるちゃんのは、便利なポジションだった。

 劇団や、単館の映画ではるちゃんが主役を張る時、

 私は、端っこの役を確保できるようになった。

 もっぱら通訳と、周りの役者さん対策で。

 

 はるちゃんに群がろうとするクソ役者共を追い払うために、

 私は、わざと親しさを演出した。

 はるちゃんの飲んでるジュースを奪おうとする輩の手を払い、

 見せつけるように飲んでやったこともある。


 もちろん恨みを買う。評判も悪くなる。

 でも、私はもう、これ以上酷くもならない。

 わざと堂々としていると、仕事は不思議と減らなかった。

 

 その頃になると、わたしにもマネージャーさんがついた。

 もちろん、一ノ瀬さんではない。

 

 「くれぐれも粗相のないように。」

 

 学校の先生のような榎さんは、

 アルバイトを含めたわたしの時間を正確に管理してくる。

 うっとおしいと思うこともあるけれど、

 いままでに比べると演技に集中できた。

 

 そして、

 演技の世界は、私が思っていたよりもずっと、

 奥深く、辛く、面白かった。


 そのたびに、

 天才、榊原晴香との差を思い知らされる。


 私は、絶対に追いつけないことを知っている。

 それならば。


*


 顔出しありのネットラジオ。

 リスクしかないと事務所に反対されたけれども、

 正攻法でいっても、勝ち目はない。

 

 一番ウケるのが、はるちゃんネタ。

 はるちゃんの日常や、演技の時の凄さをそれっぽく喋る。

 なるべくはるちゃんの好感度を上げることしか言わないけれど、

 それでも、アンチは沸いて来る。

 

 『お前なんかが晴香様の傍にいるなんて許せない。

  殺してやる。』

 

 みたいなのは可愛いもので、

 事務所やら自宅やらにいろいろと送りつけてこられる。

 引っ越しはもう三度目だった。


 「だから向いてないって言ったじゃない。」

 

 久しぶりに会った誠さんが、

 綺麗な顔してしたり顔で言う。

 ちょっと腹立つ。

 

 「目立ちたがり屋の癖に、脇が甘いし、

  後先考えてないからね。

  そういうところだけ東和に似たね。」

 

 「うっさいな、バカ兄ぃ。」

 

 「はは。

  まぁ、元気そうで良かったよ。

  一頃はどうなることかと思ったからね。」

 

 私が干されてる時も、

 バカ兄は、なにも言わず、なにも変わらずに接してくれた。

 感謝はしている。絶対言ってやんないけど。

 

 「そっちはどうなのさ。」

 

 「んー?

  きみの手を煩わせるようなことはなにも。」

 

 分かっていた。

 バカ兄は、おにいちゃんを殺した人を、

 まだ、探していることを。

 そのためだけに、あの会社に潜り込んでいると。

 

 「なにしろ、優秀な部下に恵まれたからね。

  に専念できるってわけだよ。」

 

 「それって給料ドロボーじゃないの?」

 

 「はは。そうだね。

  そうとも言う。」

 

 ただのハンバーガー屋だと、

 誠さんの姿は、目立ちまくる。

 スマホで写メを撮ってる人もいる。


 「あの、さ。」


 「ん?」

 

 「言っちゃなんだけど、

  目立っちゃいけないんじゃないの?」

 

 「そのほうが、

  そうじゃない時に役立つのさ。」

 

 涼し気にシェイクを呑む姿まで絵になるバカ兄を横目に、

 ハンバーガーにがぶりと噛みつく。

 獰猛なエネルギーが、疲れた身体に染みわたっていく。

 

 「で、対策はしてるんだね。」


 「うん。

  コンピューターにほんとに詳しい人が事務所にいるから。

  立ち上げ、手伝って貰ったし。」

 

 「ふぅん。

  ならいいけど、くれぐれも慎重にね。

  きみはもっと大きな恨みも買ってるんだから。」

 

 若気の至りとはいえ、恨めしい。

 まぁ、あんなことなければ、

 はるちゃんに逢えなかったし、良かったのかも。


*


 「とても大切なクライアントです。

  社運を左右する方ですよ。」

 

 大手素材メーカー。

 その名前を、その職場を、知らないわけはない。

 

 ウソお兄様こと、湯瀬誠。

 私のおにいちゃんの大切な義兄弟。

 

 誠さんの職場の部下。

 そして。

 

 「小辻静さん。

  お名刺と御姿は先方から頂いています。

  くれぐれも、粗相のないように。」

 

 テンマさん。

 はるちゃんの、想い人。

 

 私には、興味しかなかった。


*


 ぱっと見は、 

 落ち着いた感じの人だった。


 でも。

 

 「榎さんの紹介の方ですね。」


 その声は、

 心を、不思議と落ち着かせてくれる。


 服も、靴も、

 そんなにいいものじゃない。

 丁寧に履いてる感じはするけど。

 

 眼は、優しそう。

 褒めるところがないときのそれじゃなくて、

 なんていうか、ほんとに


 「品定めは終わりました?」


 「ぇ。」

 

 一発で、見抜かれた気がした。

 

 「失礼、こちらの話です。

  榎さんからお伺いしていると思いますが。」


 それなら、こちらも。


 「テンマさん、ですよね?


  はるちゃんから、お伺いしておりますから。

  ほんの少しだけですが。」


 あぁ。

 年上の人なのに、

 驚く顔が可愛らしい。


 なんだろう。

 目線が、頷き方が、空気が。

 

 話し、やすい。

 

 何を話しても、敵にならなそうな、

 包み込まれるような温かさを感じる。

 

 綺麗でもないし、目立ちもしないけど、

 幼いころの、兄さんの膝の上にいるみたいで。

 

 もっと、近づきたい。

 もっと、話したい。

 

 そう、思わされてしまう。

 釣り込まれるように、話してしまう。

 

 だから。

 

 「どうして、堕ちないんですか?

  できないわけでは、ないのに。」

  

 知りたく、なる。

 

 なんで、あのはるちゃんを、

 地球上の可愛いしか詰まっていない娘に

 あんなにも好かれているのに、

 このままの顔でいられるのかを。

 

 「……一般論として、成人男性が、

  未成年の女性と交際関係を持つのは望ましくないでしょう。」


 そんなのでは、逃がせない。


 「はるちゃんが、

  成人して、芸能人を辞めれば?」


 「仮定の質問になりますね。」


 「あはは。

  だめですよ、そんなの。

  事務所の記者会見と、同じではないですか。」


 

  「そっちこそだめだよ?

   いたいけな一般人をそんなに追い詰めちゃ。」


 っ!?

 

 な、なんでっ。

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