上枝央佳(本編第1話前~第26話前)


 トーワ。

 わたしの短い青春の、すべて。


 わたしがまだ、中学生の時。

 舞台を彩るスモークの匂いを知った頃。

 

 天使は、わたしの目の前に、降りてきた。

 

 甘いのに張りのある声に、

 見たことがないキレッキレのダンス。

 

 メンバー達もみんな綺麗で、

 サブリのマコはめちゃくちゃカッコよくて。

 スポットライトを浴びてトーワとマコが並んで踊る神々しい御姿は、

 わたしのココロを根こそぎ奪い去った。

 

 わたしは、ロアの子猫だった。

 お小遣いでは足りなくて、

 親戚をまわったり、文化祭で売上をあげまくったり、

 友達の家で高校生とウソをついてアルバイトをさせてもらったりして、

 ロアにお金をつぎ込みまくった。

 

 いまから見ても、ロアのパフォーマンスはずば抜けていた。

 ダンスのスケールが大きく、しかも息があって、ぴたりと揃っている。

 マコの歌声はアイドルでありながら、

 ただ甘いだけじゃなくて、小悪魔的で、大人っぽくて、

 わたしの幼い心を揺らがせてくれた。

 

 ロアは、かならず、天下を獲る。

 そして、世界に羽ばたく。

 

 その日を夢見て、

 子猫達が雛に餌を持って行く。

 

 地方のラジオ局に出演すると聞けば、

 友達と一緒に観覧希望を50枚出したし、

 トーワを主人公にしたゲームが出ると聞けば、

 まだ予約が始まる前から入荷要望を入れた。

 

 小さな、300人くらいのライブハウスで、

 トーワが手を振ってくれるだけで、

 マコがあの魅惑に満ちた声で、

 最前列にいたわたしの名を呼んでくれるだけで。

 

 わたしの心は、

 たまらなく満たされていた。

 

 それ、なのに。

 

 ロアの活動休止。

 トーワの事故死。

 ロアの解散。


 たった二か月弱で、

 わたしの人生は、暗転した。

 

 あんな天使が、なんで。

 どうして。

  

 わたしも逝こうかと思い詰めていた時、

 いつものようにご飯を作ってくれているお母さんを見て、

 わけもなく涙が溢れてきた。

 

 あれ以来、

 わたしは、アイドルを追わなくなった。


 追えっこ、なかった。

 

 そのへんに転がっている

 アーティスト気取りのミュージシャンよりも、

 絶対に、トーワのほうが輝いていたし、

 マコのほうが歌は上手だった。

 

 ライブの音源を取っておいてくれた猫達が、

 真っ白な隠しHPにアップしてくれたものを入手し、

 マコの声を、心密かにお守りにしながら、受験に臨んだ。

 

 合格した時、

 わたしはマコを想って号泣した。


 トーワは、

 マコは。

 

 わたしの、

 甘く、苦い、

 初恋だった。

 

*

 

 業界大手、

 エクスプロージョンへのキャンペーン報道で、

 上の階のエース記者達が盛り上がっている頃。

 

 わたしは、先輩に

 ある資料を見せられた。

 

 「立志伝中の人物だよ。」

 

 一ノ瀬美智恵女史。

 元エクスプロージョン執行役員。

 世代を問わず数多くの女優を手掛けてきた生ける伝説。


 そして、その一ノ瀬女史が、

 業界大手のエクスプロージョンで築き上げた

 輝かしいキャリアを棄ててまで育てたい若手女優。

 

 「榊原晴香。

  上枝さん、知らない?」

 

 「映画は見たことないですけど、

  晴香ちゃんはもちろん知ってます。」

 

 晴香ちゃんの登場シーンだけをアップロードした切り抜きが、

 動画サイトで出回り、版権者とのイタチごっこを演じていた。


 確かに、頭一つ、いや、二つ抜けた演技力だった。

 モデルやアイドルあがりの娘にはありえないような演技の凄みと、

 アイドルを上回る容姿、天使のような輝きを併せ持った奇跡の存在。

 

 「その榊原晴香を擁する一ノ瀬女史の会社でね、

  先日、ボヤ騒ぎがあったようなんだよ。」

 

 「ボヤ、ですか。」

 

 「プラスチック爆弾が爆発したんだと。」

 

 え。

 

 「未確定情報だけどね。

  警察は否定してるし、

  事務所もただのボヤだと言ってる。


  ただ、きな臭くはあるんだよ。」

 

 ……。

 

 「一ノ瀬女史は、

  須和会長と一緒にエクスプロージョンを立ち上げた

  創業者の一員で、辞める前は出資者の一人ですらあった。

  

  その一ノ瀬女史に向かって、

  物騒な警告を出したのは、誰なのか。」

 

 「ってことですか。」

 

 「その可能性はある。

 

  ま、その線はスカかもしれない。

  ただ、そう言っておいたほうが取材費は出やすいだろ。」

 

 え。

 

 「一ノ瀬美智恵。

  おっちぬ前に、本にしておきたくてさ。

  いまから、仁義だけでも切っておきたいんだよね。」

 

 先輩は、激務の合間に、

 連載記事をまとめ、加筆して本を出すのを趣味にしていた。

 編集部内ではいずれ文筆で一人立ちすると噂になってる。

 

 「お近づきになっておいてくれると助かる。

  ついでに、も調べといてくれるとね。」

 

 分かってしまった。

 自分が出版する本の資料を漁るつもりらしい先輩に、

 テイよくつかわれるだけだと。

 

 ただ、

 わたしはわたしで、

 人に言えない、別の関心があった。

 

 一ノ瀬美智恵。

 

 トーワが載った雑誌の写真を集めまくっている時に

 二回、映っていた。

 

 メレディスとエクスプロージョン。

 男性アイドルと、女優の裏元締。

 直接の関係など、ないはずなのに。

 

 トーワが、

 掛け音なく、笑っていた相手。

 

 トーワのことを、喋ってくれるだろうか。

 それとも、トーワのことなど忘れてるだろうか。

 記憶の隅から、切り捨ててるだろうか。

 

 もう、トーワを、愛せはしない。

 でも、トーワを、

 まだ、覚えててくれてるなら。


 「わかりました。

  やってみます。」

 

 「そう。期待してるよ。

  予算や事務廻りはキャップに言っておくから、

  明日からとりかかってくれ。」

 

 「はい。」


*


 「誠に恐縮ですが、

  一ノ瀬は、面会謝絶となっております。」

 

 話は、聞いていた。

 大きな怪我を負ったらしい。

 

 「火災時の怪我と聞いておりますが。」

 

 「主治医からは、そのように。」

 

 「主治医の先生からは、

  外傷もあるとお伺いしておりますが。」


 榎さんと名乗ったマネージャーの、

 能面のような顔が、ほんの少し曇った。

 

 「お答え致しかねます。」

 

 正直な人だと思った。

 一ノ瀬女史ならどう答えるだろう。

 

 わたしは事件取材班ではない。

 根掘り葉掘り聞くためにいるわけではない。

 

 「ありがとうございます。

  ところで、榊原晴香さんのマネージメントは、

  どなたに引き継がれるのでしょうか。」

 

 「……

  いいでしょう。

  いずれ公になることですから。

  

  一ノ瀬が復帰するまでの間ですが、

  私が担当することになろうかと。」


 「ありがとうございます。

 

  こんな時に切り出すのも大変失礼ですが、

  実は、弊社内で、一ノ瀬さんと榊原晴香さんについて、

  長期取材をさせて頂く企画がありまして、

  今日はそのご挨拶にお伺いさせて頂いた次第です。」

 

 向こうの警戒感が、ほんの少し、薄まった。

 

 「……いまはまだ、このような状態ですので、

  ご要望には応じかねます。」

 

 「もちろんです。

  晴香ちゃんはいかがですか。」

 

 「……なにぶん、

  一ノ瀬を親と思っておりましたので、

  晴香も少々混乱しております。」


 そういう時こそ美味しいのにと思ってしまうのは、

 報道の世界に毒されてしまっているんだろう。

 

 でも。

 長期的な取材対象であれば、

 醸成するのは信頼であって、敵意ではない。

 

 「わかりました。

  大変なところお話頂き感謝申し上げます。

  恐縮ですが、お名刺だけ交換させて頂けないでしょうか。」

 

 雑誌では傍流の考え方を先輩から教わってしまっているわたしは、

 他の現場に出て行けるか、少し不安になることがある。


 「……畏まりました。」


 まだ警戒感がぬぐえない、か。

 あの質問、余計な弾だったかもしれない。

 口は禍の元、か。


*


 ……

 

 なるほど。

 立志伝中の人物、だ。

 

 15歳で上京。

 劇団での下積みを経て、裏方から演者としてデビューし、

 テレビドラマの脇役を幾つかこなした後、

 28歳の時、エクスプロージョンの前身となる

 オフィス・スワへ出資、取締役となる。


 といっても、社員数はたった3人。

 須和満生氏と、

 夫である一ノ瀬健吾氏、そして美智恵氏。


 みんな劇団員で、

 最初は所属劇団の関係者を売り出すための会社だったらしい。

 

 所属劇団が経営不振で解散した後も、

 会社は存続し、エクスプロージョンと社名を変更。

 一ノ瀬健吾氏の企画力と、須和氏の業界内への食い込み、

 トラブル処理に長けた美智恵氏の三人で、

 業界大手の地位まで駆け上がっていく。

 

 中でも、美智恵氏の八面六腑の活躍は凄まじい。

 乗り込んできたヤクザに啖呵を切った、

 ヤクザの銃弾を身体で止めたとか、

 とても信じられないような話が広まっている。

 

 なるほど、

 成り上がり者が好きな先輩が

 本にしたがるわけだ。


 しかし、健吾氏が病を得て逝去。

 それから15年後、美智恵氏が独立して、

 ヌーベルキャルトを立ち上げる。

 

 当初の社員数は美智恵氏ともう一人だけで、

 所属タレントは榊原晴香、ただ一人。


 それから、8年。

 ヌーベルキャルトは、所属タレント30人、

 15人のスタッフを抱える事務所へと成長している。

 

 といっても、テレビで彼ら、彼女らを見ることは少ない。

 単館系の映画、ネット、イベント営業。

 派手さのない活動ながら、美智恵氏への信頼もあり、

 営業先からは悪い話を聞かない。


 ただ。

 この会社は、究極、

 榊原晴香を売り出すためだけのものだろう。

 

 爆発事故までの間、

 榊原晴香の主担当は、チーフマネージャーである

 一ノ瀬美智恵氏の専任だった。

 

 どの現場にも顔を出し、演出に口を出し、

 しまいにはキャスティングまで専断していた。

 他の事務所からは、

 榊原晴香や一ノ瀬女史を恨みに思う輩も多いらしい。


 まぁ、無理もない。

 あんなマグロみたいな演技で電波を牛耳る連中からすれば、

 本物の天才ほど脅威になるものはないから。

 

 となると、他事務所は、十分、動機があるわけか。

 警察の捜査を止めるくらいの力がある奴らなら。

 

 ……DL、おわったな。

 この手土産で、お近づきになってくれればいいけど。


*


 「晴香さん。」

 

 戸惑ってる。

 それはそうだろう。

 なにしろ、初対面なんだから。

 

 「わたし、文芸読物社の上枝央佳と申します。

  榎さんのご紹介で参りました。」


 記者と知った時のあからさまな不快感と、

 榎さんの名前を出した時の戸惑った感覚。

 思ったよりずっと、素直な娘かもしれない。

 

 よし、

 目的事故調査を、伏せよう。

 

 「実はいま、弊社内で、

  一ノ瀬美智恵さんの生涯を書籍にするプロジェクトがあり、

  その一環で、晴香さんにも

  取材をお願いすることになろうと思います。」


 吸い込まれそうに輝く瞳が、訝しんでいる。

 

 「美智恵さんが回復されてから

  晴香さんに取材させて頂く予定ですが、

  まず、こちらを御覧頂ければと思いまして。」

 

 ラップトップのPCに、

 立ち上げておいた動画を見せる。

 

 「……。」

 

 見て、る。

 食い入るように。

 

 『あたしぁねぇ、

  まだわけぇもんには、負ける気はないんでね。』

 

 ……26歳で老け役やってたんだよね。

 この頃はまだこういうことがあったみたいだけど。

 

 テレビ局の関連会社に出入りできなきゃ、

 この絵は抑えられなかった。

 役得、だと思う。

 

 「……美智恵さん、ですか。」

 

 「ええ。

  お変わりありませんね。」

 

 「……はい。」

 

 うわ、

 黒い瞳が、涙ぐんでる。

 

 そうか。無神経だったかな。

 親代わりの人が、事故で逢えない最中だったよな。

 それなら。

 

 「ご回復されたら、

  この映像をご一緒にご覧頂こうかと。

  一ノ瀬さんは不死身ですから。」

 


  「……

  

   ふふっ。」


 

 うわ。

 いま、めちゃくちゃキュンときた。

 同性なのに。

 

 「晴香ちゃん、スタンバイお願い。」

 

 「あ。

  すみません。

  わたし、行かないと。」

 

 「おつかれさまです。

  お仕事、がんばってくださいね。」

 

 「ありがとうございます。

  えーと、」

 

 「上枝央佳です。

  お名刺は榎さんに。」

 

 「かみえださん、ですね。

  覚えました。

  

  ではっ。」

 

 ……

 

 可愛いのに、カッコいい。

 キラキラとオーラを振りまいて、背中だけで美しい。

 あれがスターになる人、なんだろう。

 

 ……なんか、

 中学の頃を思い出しちゃったな。

 10歳以上も下の女の子に手を振られただけなのに、

 泣きそうになるなんて。


*


 「エクスプロージョンの例の件、

  メレディスにね、繋がりそうなんだよ。」

 

 突然話し始めた先輩に、

 わたしは、首を傾げた。

 

 エクスプロージョンは、

 女優の卵を使って、業界関係者を接待していた。

 メレディスは、男性アイドル事務所で、

 この件には、直接、関係がない。

 

 「わからないかな?」

 

 先輩が、わたしの眼を、

 薄い縁の眼鏡ごしに、二回、見る。

 

 ぁ。

 

 っ!?!?

 

 「そういうこと。」


 男性アイドルを、使っていたら。 

 接待先が、女性なら。

 この構図は、洒落にならない。

 

 「当時でも、有名女優なんかは、

  若い男を侍らしていたからね。

  それだけなら、珍しくもないんだけど。」

 

 ……ツバメ、か。

 それは、普通にあるわけか。


 「それよりもね、

  男性でも、の奴もいるわけ。

  そっちのほうが、もっとずっとタチが悪いよ。」

 

 ……そういう、趣味、か。

 つまり、それは。


 「どちらにせよ、10代前半の子どもを、

  組織的に斡旋していたとなると、

  売春防止法のターゲットにはなる。

  

  ただ。」

 

 「うちとしては、いま、

  メレディスと事を構えるつもりはない、

  ですか?」

 

 「……まぁ、ね。

  スポンサーの太いメレディスを直接撃たなければ、

  エクスプロージョンを叩く分には、見逃すだろうと。


  うちの上層部は、

  そういう読みで動いてるつもりなんだろうけど。」


 ?

 

 「この動画、見てくれる?」

 

 ……

 

 っ!?

 

 「出所、まったく不明なんだけど。」

 

  10年くらい前かな。

  原田東和っていう、

  メレディス所属の男性アイドルがね、

  事故死した話。」

 

 これ。

 こ、これ、

 これはっ。

 

 「うん。

 

  誰かに、

  殺されたんじゃないかって。」

 

 !?

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