第69話(最終話)


 2月14日。


 東京、有楽町。

 映画『唖の娘』初日の舞台挨拶。

 

 既に著名映画祭の優秀主演女優賞の受賞を決めていた榊原晴香は、

 万雷の拍手と会場を揺るがすような大歓声の中、しずしずとマイクを握った。

 テレビは勿論、ネットでも生中継をしている。

 ちゃっかりと撮影をしている留美さんは演者なのか裏方なのか。


 「みなさん。

 

  私事ですが、

  わたしは、振られてしまいました。」

  

 会場は一瞬、異様な雰囲気に呑まれたが、

 制服姿の榊原晴香が、屈託なく天使モードで笑っているのを見て、

 釣り込まれるようにどっと笑う。


 「初恋としては、遅かったと思います。

  わたしは、人よりも、成長がずっと遅いのだと思っています。

  

  生まれ出てはじめての叶わぬ恋をして、実らなくて、

  ただ辛くて、胸が張り裂けそうっていうのは、本当でした。


  それでも。

  

  夢見るような時間を、

  鼓動がときめきに鳴り響く音を、

  世界が色彩を放ち、心が揺り動いた瞬間を、

  わたしは、限りなく尊いと思います。

  

  これは、そんな物語です。

  

  臆病で、淋しがり屋で、言葉を持てなかった彼女が、

  心を通わせた時の爆発しそうな喜びと、

  叶わない願いを抱いてしまった哀しみと、

  その願いを抱いたからこそ、

  あるがままの残酷さで世界が存在する尊さを知る物語です。」

 

 榊原晴香が、ヘーゼルナッツの瞳を輝かせながら、

 よく通る、大きく澄みわたった声で、

 一言も聞き漏らすまいと静まり返った聴衆に、謳うように語り掛ける。

 

 「わたしたち演者も、

  監督はじめ、スタッフも、原作を40回は通して読みました。

  それでも、この作品のすばらしさを、

  どれだけ掬い取って映像に刻印できたのかどうか、

  原作者の先生にほんの少しでもご満足いただけたかどうか、

  いま、この場でも、不安でいっぱいです。

  

  それでも。

  

  わたしは、

  いまのわたしにできる精一杯を、

  この映画に、すべて、注ぎ込みました。

  

  ……だから、振られちゃったのかもしれませんけど。

  

  わたしの青春を捧げた映画で、

  夜の帳の隅で、昏い想いをしている人が、

  たったひとりでも、ただ、生きていることの奇蹟を感じられたなら、

  演者として、これ以上の幸福はありません。

  

  みなさんが、楽しんで頂けることを願っています。

  今日は、ほんとうに、ありがとうございます。」

 

 榊原晴香が静かに頭を下げると、

 会場はまばらな拍手から、やがて鳴りやまぬ大歓声に変わった。

 

 「……

  しっかり隣に住んでるんですけれどもね。」

 

 スポットライトに照らされ、

 天使のような微笑みを浮かべ続ける榊原晴香を眺めながら、

 榎本帆南さんは、ほんのちょっと不満そうに、

 でも、心から幸せそうに笑った。


*


 テレビ出演告知を組まないにも関わらず、

 『唖の娘』の興行収入は、国内だけで、75億円を突破した。


 帆南さんは、調査一課の業務時間以外、

 殆ど榊原晴香のマネージャーと化している。

 なんなら、僕と一緒にいる時間よりも長い。

 

 「ふふ。

  このソリューション、君が望んだんでしょ。」


 まぁ、そうなんですけれども。

 

 「君は自分を主語にしなさすぎね。

  営業の子達と足して二で割ると丁度良いんだろうけど。」

 

 ……はは。


 「あ。

  君に、言っておくね。

  私、再婚するから。」

 

 え。

 え゛っ!?

 

 「あはは。

  大丈夫よ。

  今度はしっかりと、選んだから。」

 

 ……だといいけれどなぁ。

 千里さんの歳だと

 

 「ふふ。

  ぜんぶ顔に出てるよ?」

 

 う、あ。

 昇進、するんだけどな。

 

 「あはは。

  まぁ、私は、分かりやすくていいけれどもね。

  

  いまだから言えるけど、

  私、君のこと、ちょっといいなって思ってた。」


 え。

 

 「あはは、ちょっとだけね。

  君、私みたいな家、嫌いでしょ。」

 

 ……

 

 「想像がつかないですね。」

 

 世田谷区成城学園前に、

 350坪の家を構える旧家の令嬢。

 この会社に入らなかったら、袖すり合うことすらなかった類の人だ。

 

 「ふふ。正直でよろしい。

  じゃ、今日はどこへ連れてってくれるの?」

 

 ……あはは。

 新しい旦那さんに勘違いされないようにしないと。


*


 野々原留美さんは、したたかに立ち回っている。

 海外勢の日本法人向け広告や、地方ラジオ局でのイベント仕事などを受けつつ、

 本当にいい商品を作りながら、広報力の弱い会社群に自分を売り込んでいく。


 イニシャルの低コストと成功報酬で受けると、

 ネットの中規模のインフルエンサーや商品審査サイトと組んで

 mytubeの個人チャンネルで無償で評価ステレスしてユーザーからの信頼を勝ち得、

 モノ系雑誌の連載を持った後、ネット広告にも登場し、

 一部では、「ネット広告の女神」と呼ばれるようになってきた。


 「やっと干される前に戻ったくらいですけれどね。

  端金を集めてますから、おっきい仕事があったら是非っ。」


 …ははは。

 

 「失恋記念コラボでだいぶん儲けたのでは?」

 

 だいぶん酷いイベントだった。

 二人していかに僕がヘタレなのかを代わる代わる強調してた気がする。

 

 「あはは。

  あれははるちゃんのトコと分けてますから、

  こっち1割くらいですし、

  あんなの、ほんとに一回限りですから。」

 

 まぁ、確かに。

 

 「……それと。

  誠さんを救って下さって、ありがとうございます。

  もう、止めるのは無理だと思っていました。」

  

 あぁ。

 もう、なにか、遠い昔に感じる。

 

 「誠さん、刺し違えて死ぬつもりでしたから。

  死んで告発するしかないって、思い込んでました。」


 そうだろうな。あの頃の課長、思い詰めてたから。

 僕らのこと、目に入ってるようで、入ってなかったと思う。


 「……死んじゃったら、なんにもならないのに。」


 ……。

 

 「なんて。

  またゆっくり動画、作ってみようと思うんですけど、

  何のゲームがいいですかね?」

  

 ……そんな時間、あるの??


*


 僕の隣には、ぐったりとした表情を浮かべる帆南さんが、

 パンツスーツ姿のまま、だらしなくテーブルに凭れ掛かっている。


 そして。

 

 「……すぅ……

  すぅ……。」

 

 ……。

 

 「……確信犯ですよね、これって。」

 

 「かもしれないね。」

 

 「隣の部屋のベットに戻してきましょうか。」

 

 「……できるの?」

 

 「できますよ。

  わたしだって、それくらいの腕力は」

 

 「じゃなくて。

  あっちの部屋、春菜さんがぜんぶ、

  ライフライン落としていったんじゃなかったっけ。」


 「え゛っ。」

 

 あぁ、知らなかったんだ。

 

 「……完全に確信犯じゃないですかっ!」

 

 「ヌーベルに連絡すれば明日には復旧できるだろうけれど、

  今日はちょっと、無理じゃない?」

  

 「明日からまた撮影なんですよっ」

 

 なんだよ、ねぇ……。

 

 「……やっぱり、心を鬼にして。」

 

 できない、って綺麗な顔に書いてあるけど。

 

 「……風当り、強いんですよ、榊原晴香。

  まぁ、当然ですけれど。

  正真正銘、ホンモノの天才ですから。」


 なんでも貪欲に取り組み、なんでもできてしまう榊原晴香は、

 若手の芸能活動に求められる期待値を引き上げてしまっている。

 努力を厭う若手の芸能人と、

 安手の演技を手早く売り込みたい芸能事務所群にとっては、

 天敵以外の何物でもない。


 「帆南さんがいなければ、

  芸能活動、続けられなかったと思うよ。」

 

 もし、僕が春菜さんと結婚してしまえば、

 春菜さんは、榎本帆南さんという貴重な理解者と朋友を喪い、

 僕を支えよう、背負おうと意気込みながら、天才の孤独に囚われ、

 演者の道のみに邁進する修羅に堕ちてしまったろう。


(どうか、晴香ちゃんを、

 いさせてあげてくださいな。)


 春菜さんが、人ならざる者へ堕ちるのを、避けるには。

 そして、帆南さんの精神を、保つには。

 このナローパスに突き進むのが一番だった。


 「……かも、しれません。

  正直、美智恵さんがお亡くなりになったら、

  この体制、持たないと思います。」

 

 で。

 槌井社長に言われちゃってるんだよな。

 

 「資本提携。」

 

 「え。」

 

 「ヌーベルキャルトが他所に買収されるより先に、

  株式譲渡したいんだってさ、一ノ瀬さん。

  もしそうなったら、帆南さん、送り込まれるかもね。」

 

 「え゛っ。」

 

 「あはは、嫌?」

 

 「……嫌、っていうわけでは。

  昔ほどでもないですけど、

  社長室でのわたしへの風当たりもまぁまぁ強いですから。

  年金通算されて、お給料、変わらないなら。」

 

 そこは問題はないだろうな。

 社長室との併任だろうから。

 

 でも。

 

 「ほんとうに、好きなんだね、榊原晴香。」

 

 「……はい。

  わたしの夢を救った、

  大切な、大切な推しですから。」

  

 帆南さんは、中学時代14歳、深夜にたまたま見たマニアックな映画で、

 子役時代6歳の榊原晴香が、わずかワンカットで魅せた水際立った演技力に、

 文字通り、目と心を奪われたのだと。


 能力を発揮した子役が大人の事情や都合で理不尽に命脈を絶つ中、

 榊原晴香は、類稀なる容姿に頼ることなく、

 役者として培った実力だけで、一歩、一歩、キャリアを登り詰めていった。

 その姿が、親や周囲に不当に虐げられ続けた帆南さんにとって、

 灯台の光のように感じてたのだという。

  

 「でも。


  わたしが、愛しているのは、

  静さん、だけです。」


 本業と帯同業務で体力が尽きている筈の帆南さんは、

 生命力に輝く瞳を真っすぐに向けた。



 「一生、心を尽くして静さんを幸せにします。

  どうか、わたしと、結婚して下さい。」

 

 

 え。


 は?

 はぁ??

 

 「あの。

  それ、普通、オトコから言うものじゃ。」

 

 「静さん、絶対言ってくれなそうですから。」

 

 そこまでヘタレだと思われてたとは。

 

 「……わたし、

  もう、自分を卑下するのは止めました。

  でないと、この娘に抗えませんから。」


 あらがう、か。

 ……そう、だなぁ。

 

 圧倒的な天才に抗い続けるというのは、

 シジフォスの岩を押し上げ続けるような苦行だ。

 僕は、帆南さんに、それを生涯強制してしまったのかもしれない。


 それでも。


 「ほんとはもっと、淑女らしく、

  一生、思い出してはほっこりするような

  シチュエーションを考えたかったんですけど、

  そんな余裕、あるわけないですから。」


 連日の帯同で疲れ果て、脹脛をパンパンに腫らして、

 張り詰めた化粧が崩れ落ちかけた状態でも。


 「静さん。」


 澄んだ瞳に力強く見つめられるだけで、

 身体を繋げられて、抱き止められているかのようで。


 「静さんに、身体を、心を、

  いのちのすべてを救って頂いたのに、

  ただ、息を吸えるだけでありがたいのに。


  穢れたわたしが、こんな大それたことを想うだなんて、

  忘恩だと、神に弓引く行為だと、分かっています。


  それでも、わたしは。


  静さんの、

  すべてが、欲しい。」


 双眸の激しい熱量に、

 存在の大きさに、吸い寄せられて。


 「静さんの瞳の奥の奥に、一番底に、わたしを焼きつけたい。

  身体の隅々を触れ尽くし、心の一番奥を繋げたい。

  わたしの身体を、細胞を、静さんに、すべて、溶かしたい。」


 榎本帆南さんは、まばゆいばかりに凛々しい。

 過酷な運命を自ら引き受け、その先へ進もうとしている。


 「人生の最後の一秒まで、

  あらゆる瞬間を、静さんと、

  繋がりながら、分かち合いたいんです。」


 紅潮していく帆南さんの頬が艶やかに揺れるたびに、

 僕の鼓動は抑え込めないほど激しくなっていく。


 

  「小辻、静さん。

   あなたを、ください。」



 僕は、耳を澄ませながら、小さく息を整えた。

 そして、生きる力の輝きが汪溢した帆南さんの瞳を真っすぐみつめながら、

 口を、ゆっくりと開いた。



知らないうちに有名美少女女優を餌付けしてた

完結編


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