第67話


 <仕事場、ですか>

 

 <はい。

  はるなさんと一緒ですね>

 

 <(疑惑のスタンプ)>

 

 ……はは。

 なんていうか、その直観、な。


 あ。


 「ぇ。」


 「お帰り、帆南さん。」


 「た、ただいま戻りました。」


 律儀に調査一課に荷物置いてるからね。

 ロッカーには必ず戻ると思いました。

 

 「……っ。」

 

 「今日のお昼も結局潰れちゃったからね。

  どうせならと。ほら、週末だし。」


 隙のないパンツスーツ姿の帆南さんが、

 固まったままでいたかと思ったら。


 「……

  なん、で。」


 薄明りしか灯らない廊下の脇で、小さな嗚咽を漏らしながら。


 「なんで、こういうこと、しちゃうんです、か……。


  ……だめ、

  だめですよ、静さん。

 

  これ以上、わたしの心の奥に、

  棲み続けちゃ、だめ、ですよ……っ。」

 

 俯きながら、僕の袖を、小さく握ってきて。

 

 「だって、

  だ、だって、

  だって、ちゃんと、

  あ、諦められなくなるじゃないですかぁっ……。

  妹、ちゃ、ちゃんと、結婚、してるのに……っ!」


 あぁ。

 こんなに、ひとりで戦って。


 「ひ、昼なら、

  昼なら、ほかの人がいるところでなら、

  まだ、いろいろ、飾れるのに、

  どうして、こんな、に……っ……。」


 こんなに、なにもかもに傷けられて。 

 たった一人で、自分の肩を抱きしめながら。


 「……

  

  わたし、は

  わたし、のことな


 「行かないの?」

 

 「……

  

  ……

  あは、は。


  ……だいぶん、無神経ですね、静さんって。」


 最近、よく言われる。


*


 「……まさか。」

 

 そう。

 

 「来てなかったでしょ、ココ。」

 

 マンション近くの高級寿司屋。

 帆南さんが、こっちに来て、最初に開拓したところ。


 「関心はあったからね。

  どういうところだろうなぁって。」

 

 「……ここ、ですよ。」

 

 あぁ、そういう協定になってるのか。

 

 「の、地元ですから。」

 

 「帆南さんの地元でもあるよ。」

 

 「そう、です、けど……。」


 「このへんの店だと、

  さすがに帆南さんも気を遣う?」


 「そりゃぁ、そう、ですよ。

  どう考えたって。」


 「……ふふ。」

 

 「な、なんですか。」

 

 「大事なんだね、のこと。」

 

 もう、「かのや」とすらも言えなくなってる。

 確かに、このあたりは鬼門になるかもしれない。

 

 「……大事、ですよ。

  なにしろ、わたしの大切な、大切な天使ですから。

  わたしのちっぽけでかっるい命なんかよりも、ずっと。」


 そんなこと、絶対に思って欲しくはないんだが。

 まぁ、ココが断られるのは想定の範囲内で。


 「そっか。

  じゃぁ、もうひとつ行きたいところ帆南のマンションがあってね。」

 

 「……あのうどん屋さん、ですか?」

 

 あぁ、それでもいいかもしれない。

 もう閉まってそうだけど。

 それにしても、帆南さんが新規じゃなくて、巡回を言うなんて。



 あ。



 そう、か。

 定型的な解決手法に拘る必要なんて、ないんだ。


 (どうか、晴香ちゃんを、

  いさせてあげてくださいな。)

 

 湯瀬課長のように、容姿端麗で、優秀で、なんでもできてしまうからこそ、

 たった一人で、修羅の道に堕ちてしまいそうになる人がいるならば。


 それならば、

 こう、考えてしまえるならば。

 すべてを、突破できる。


*


 「誰が好きか、どう好きか。

  どちらと一緒にいたいか。

  どちらと運命を分かち合いたいか。

  

  毎日、毎分、毎秒、

  いろいろ、ない頭を振り絞って、考え続けました。

  

  しかし、ここからは、

  なにひとつ、生まれませんでした。


  なぜなら。

  ふたりとも、僕には勿体ないほど魅力的な方です。


  僕などいなくても、十分、

  あぁ、待ってください。最後まで聞いて下さい。

  

  僕などいなくても、十分。

  そう考えて、どちらからも身を引くことが正しい。

  半年前なら、そう考えたでしょう。

  

  それがいかに稚拙で身勝手な考えであるかことは、

  僕なりに分かったつもりです。


  となると、恋愛的視点とは別の観点から、

  どちらかを選ぶです。

  

  しかし。

  どちらも、選びようがないのです。

  

  お二人とも、自らを律し、自律されており、

  お二人とも、支えを求めておられます。

  

  些細な違いに注目することはできますが、

  外的な条件で言えば、殆どなにも変わらない。


  なにより。

  恥ずかしい限りですが、

  僕は、二人とも、心から愛しいのです。

  

  ただ。

  

  この、だけはありました。

  

  そして、

  を取ることができるなら、

  、支えることができる。


  逆に言えば、

  本当に、たったこれだけの違いです。」

  

 「……

  貴方、ほんと、徹底的に理屈っぽいね。

  顔とか若さとか身体の相性とか抱き心地とか考えなかったのかい?」


 「……

  残念ながら、考えてしまいましたよ。

  物凄く。


  はるなさんが撮影先近くに泊まられていなければ、

  はるなさんに失望されたと思います。

  余裕なんて、まったくありませんでしたから。」

  

 ……ほんと、中学生みたいだった。

 毎日毎日、よくもまぁ飽きもせずにあんな夢〇精を見続けて。

 自分の呪われた血が本当に嫌になった。


 「……はは。

  それなら、だってことかい。」


 かも、しれない。

 ほんのわずかのはずみで既成事実に持って行かれたら失敗済

 取返しはつかなかったろう。


 でも。


 「誠さん、言ってましたよ。

  あのマンションでは、もう無理だったって。」


 既に、コンシェルジュに潜り込まれそうになっていたのだから。

 もう数時間、警備対応が遅ければ、はるなさんの部屋は特定されていただろう。


 「……はは。ほんとだよ。

  あたしとしたことが、ほんのちょっと、

  ネットってやつを甘く見たのかもしれないねぇ。」

  

 一ノ瀬さんが最終的に選択したのは、

 はるなさんの想いよりも、のほうだった。

 決定的な分岐点で、はるなさんの撮影スケジュールをほぼ変えず、

 あのマンションに戻す隙を作らなかったのは、そのためだったろう。

 まず、言わないと思うけど。


 「貴方が無職のニートで、愛宕あたりに引き籠ってくれりゃ、

  まだやりようがあったんだがね。」


 「そういう方を、信用なさらないでしょう。

  一ノ瀬さんも、はるなさんも。」


 「違いない。

  ……ははは。

  あーあ。ったく、なかなか、上手くはいかないねぇ。」

 

 「お約束は、守ります。

  少なくとも、はるなさんが成人するまでは。」

 

 「あはは。

  あたしの命を全てつぎ込んで、たった2年かい。」


 「一ノ瀬さんが一秒でも長く生き延びてくれたほうが

  ずっといいんですけれどもね。」

 

 ステージ4の宣告を受けて、

 二年以上持った人も、そこそこいる。

 十年持った人だって、いないわけではない。


 「……貴方、

  まさか、それが狙いかい?」

 

 「そうですよ、もちろん。」


 確かに、一つの狙いではある。

 僕では、一ノ瀬さんの代わりには、絶対にならない。

 

 「……棺桶に鞭を打てる奴だったとはね。

  驚いたねぇ。」


 「化けてでも護ってあげて下さい。

  夢に出るだけで喜ぶと思いますから。」

 

 「……

  貴方、本当に、の息子だね。」


 ぐぅっ。

 

 「まぁ、貴方みたいなのは、

  カサノヴァみたいな末路にゃならんだろうよ。

  くれぐれも性病には気を付けな。あはは。」

 

 ……ほんと、呪われた身体だよ。

 身体中の血、ぜんぶ入れ替えたい。



*


 「そうなったかぁ……。

  まぁ、きみのことだからとは思ったけどね。

  榊原晴香と結婚すれば大女優の夫の地位は確定して、

  版権管理で一生を送れたろうにね。」


 ……はは。

 ほんの少し、考えないでもなかった自分が嫌だ。


 「まぁ、それでよかったのかなともおもいはするよ。

  そうなったらきみは絶対に会社を辞めて、

  榊原晴香を支えてしまおうとしただろうからね。」

  

 それはもう、間違いなくそうならざるを得なかったろう。


 「そうなったら、彼女の依存心は取返しがつかないほど強まったろうね。

  きみが生きていられるなら、それでもいいんだけど。」

 

 っ。

 どうして、それを。


 「ふふ。

  ま、できる限り長生きしてね。

  あ、もうちょっとだけ、僕に仕えてくれるね?」


 ……はは。


 「勿論です。

  ご恩返しですよ。

  課長に看取って貰いますからね。」


 「……はは。

  わかったよ。これからもどうぞよろしく。」

 

 「はい。

  こちらこそ。」

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