第62話


 「ふふ。

  たった1日で、登録者数、35万人だってね。」


 榊原晴香公式チャンネル。

 開設1日でこの数字は、破格などというものではないだろう。


 留美さんは、実に周到に計画を練っていたようで、

 主要出演映画のテイザーから、例のアイドルシーン、

 先のCM撮影時のオフの状態を基に、メイキングビデオまで作っていた。

 それがまた、どこを切り取っても透明感と可憐さに溢れていて。


 あぁ。

 掛け値なしのアイドルというのは、こういうものなのか。

 なるほど、帆南さんが悔しがる理由も分からなくはない。

 異性の僕ですら微かにそう思うのだから、同性からは。

 

 「登録者の半数以上は海外だってさ。

  rabbitでもスレッドが建ってるみたい。」

 

 うわぁ。

 そこまで行ってるのか。

 

 「実写にアレルギーのあるアニメスレッドでも、

  彼女なら、という感じらしいよ。

  ステレス宣伝としては理想的だけど。」

  

 そんなところまで目を通してるのか。

 忙しいのに。ほんと、なにしてるんだろ。

 

 「あはは。

  まぁ、きみ風に言えば業務の一環だよ。

  テレビCMの先行放映、今日だから。」

 

 あ。

 そっち。すっかり忘れてた。


 「依然として無視はできませんよ。

  教養番組でも、500万人が見る。

  CMを惰性でつけてるのが半分くらいとして、

  その半分に目が留まるだけで。」

  

 「125万人、ですか。」

 

 「そういうこと。

  そのうち勘がいい12万人は騒めく。色めき立つだろうね。

  自分が、自分こそが、とてつもないのを発見したって思えるよ、ふふふ。」


 ……ああもう、性格悪いんだから。

 

 「まぁ、それだけきみらの立場は悪くなるんだけどさ。」


 それって、

 ……あぁ。

 

 「うん、もう、掛け値なしのメジャーに飛び出してしまうわけだからね。

  あのマンションに誰かが入り込んでくるのは時間の問題だよ。」

 

 あそこって芸能人しか入れないんじゃ。

 

 「ふふふ。

  芸能人だから、同業者を売らないってわけでもないよ?」


 ……それを言われちゃたら。

 

 「それに。

  本気のしっつこい記者がくっつくし、

  それに近い連中、のファンみたいなのがうようよしてくる。」

 

 ……それは、まぁ。

 

 「きみが豪勢な花瓶を愛でられるのは、

  クリスマスまでと思っておいてね、ふふ。」


 相変わらずなんて言いぐさなんですか。


*


 うーん。

 はるなさんが目立ってきたことが、こうなるとは。

 

 <問い合わせが凄くてですね。

  報道だけじゃなくて、企業系がもの凄いんですよっ。>

 

 あぁ。

 榊原晴香に窓口を持ちたい連中か。


 <広報案件じゃ?>

 

 <広報がに廻してくるんですっ>

 

 こっちって、調査一課じゃないよね。

 これもう、社長室にいるのと同じじゃないかな帆南さん。


 しょうがないなぁもう。

 寺岡さんも駆り出されてるみたいだから、

 主幹経由でケータリングの差し入れとかしてあげようかな。

 

 ぁ。

 

 ……。

 

 「……

  こんにちは、静くん。」

 

 雪乃、か。

 

 ……。


 ……。

 

 (彼女、根っからの性悪って感じじゃなかったわ。)

 

 事情、ね……。

 

 ……うん。

 

 「お昼、一緒に行こうか。」

  

 「!

  う、うんっ!」

 

 あぁ。

 どうしてだろう。

 あんなことがあったのに、幸せだった頃だけを思い出している。

 もう、とうの昔に、跡形もなく崩されてしまったはずなのに。


*


 「そっちに座って。

  椅子いいから。」


 「うん。」


 あぁ、懐かしい。

 雪乃と僕が、惹かれ合っていたと思っていた感覚が蘇る。

 そう思っていたのは僕だけだったと、嫌というほど思わされたのに。

 

 「……ふふ。」

 

 ?

 

 「静くん、東京の人みたい。」

 

 東京の人、か。

 こっちに住んで、4年強か。


 「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます。

  ご注文のほう、お決まりでしょうか?」

 

 「クワトロフォルマッジと

  蟹のトマトクリームタリアテッレ。」

 

 「ぇ。」

 

 「畏まりました。」

 

 「……

  私、選べなかったけど。」

 

 あ。

 最近、こっちが決めてばっかりだったから。

 

 「……ふふ。

  なんか、変わったね、静くん。」

 

 それはそうだろうな。

 雪乃と付き合っていたのは17歳までで。

 

 ……あぁ。そうか。

 もう、14年も前なのか。

 

 敵意よりも、慟哭よりも、

 

 (いまの君なら、

  彼女とちゃんと話してみるのもいいかもしれないわね。)

 

 話してみるべきなのだと。

 雪乃の話を、聞くべき時なのだと。


 それで言うなら。

 

 「その髪型、戻したみたいだけど、

  昔のやつに近くしてみたの?」

 

 茶髪のままだけど、ワンカールのボブカット。

 オフィス系と言えなくもないが。


 「……そういうの、関心、なかったでしょ。」

 

 「うん、なかった。」


 「あはは。

  静くん、成長したね。服装は全然なのに。」


 うわ。

 誰も言わなかった直球を。

 

 あぁ。

 これこそ林崎雪乃じゃないか。

 小悪魔で、毒舌体質で、可憐で。

 

 でも、

 一途だと思ってたのに。

 そう、信じてたのに。

 

 いや。

 もう、恨み言を言う時じゃない。

 

 「……そ、っか。

  だから、か……。」

  

 ん?

 

 「ううん、なんでもない。

  内装、思ったよりちゃんとしてるなって。」

 

 あぁ、変わらない。

 少し鼻にかかるような、甘く、掠れたような声は。

 

 「外観がヤバいからね。」

 

 路地裏だから。

 崩れ落ちそうなビルとビルの谷間だから。

 

 「うん。

  静くんが小路を淡々と歩いていくから、

  私、怖くてしょうがなかったよ。」


 まぁ、夜に女性一人でここ通ったらかなり危ないだろうな。

 帆南さんだったら突破してしまいそうだけど。


 「あ。」

 

 ん?

 

 「……ううん、なんでもない。

  なんでもないよ。

  

  ほんと、モテモテだね、静くん。

  中学の時と同じだよ。」

 

 ??

 

 「陸上部、

  結構応援、多かったじゃない。」

 

 そうなの?

 基準が分からないけど。父兄しかいなかったような。

 

 「あれ、静くんが見たい子達が、

  無理やり親戚連れて来てたんだからね。」


 は?

 

 「ふふ。

  それがいま、こんなイケてないスーツ着てるって分かったら

  がっかりするだろうなぁ。同窓会、出ないほうがいいよ?」

  

 ……はは。

 こういうとこ、なにも変わらないな。

 

 「うそうそ。うそだってば。」

 

 どうだか。

 

 「その髪型、似合ってるのに、

  どうしてそんな地味なスー


 「おまたせしました。

  クワトロフォルマッジになります。」

 

 うん。

 これは堅い。

 

 でもって。

 

 「……?」

 

 ほんの一瞬、物凄く躊躇った。

 でも、だって、これは。

 

 「シェア、するでしょ?」

 

 ずっと、そうしてきてたんだから。

 

 「!

  うんっ。」


 あぁ、この空気感、物凄く懐かしい。

 どうして、雪乃は僕を裏切ったんだろう。


 「……変わってない。

  変わってないよ、静くん。」

 

 さっき変わった変わったって言ったばっかりじゃないか。

 

 「あはは、うん。

  でも、根っこはぜんぜん、あの頃のままだよ。」

  

 そう言いながら、

 雪乃は小さな手でクワトロフォルマッジを口に入れ、

 目を少し開いて驚きの表情を浮かべる。

 

 「……

  おい、しい。」

  

 ……

 なんだよ、な。

 雪乃のこの顔を、どうしても見たくなってしまったから。


 帆南さんやはるなさんを連れて行っていない店の中で、

 一番、雪乃が好きそうな店を選んでしまったのだから。


 「……

  東京、やっぱりすごいんだね。」

 

 当たりはずれめちゃくちゃ大きいんだけどね。

 っていうか。

 

 「雪乃はずっと、あの街にいたの?」

 

 「……ちょっと待って。

  これ、食べてからね。」

 

 ……はは。

 目がないのは変わらないな。

 しっかり蜂蜜塗りたくってる。


 「……このお茶も美味しい。」

 

 無糖のフレーバーティなんだろうけれど、

 口当たりもよくて、切れ味爽やかっていうか。

 フレーバーが薫っても、料理の味を邪魔しない。


 「……

  うん。

  育ての父が、死ぬまでは、ね。」

 

 育ての、父?


 「……ふふ。

  あーあ。言っちゃった。


  ほんとはもっと、もったいぶって焦らして言おうって

  ずっと思ってたのにな。

  このピザ、ちょっと美味しすぎちゃった。

  私の一生の中で、一番かもしれない。」

 

 誤魔化すように笑う雪乃の眼は、

 見たこともないほど澄んでいて。

 


  「あの人は、寝取られちゃってたの。

   克喜さん静の父親に。」


 

 え。

 え、

 

 え゛え゛え゛え゛っ!!!!

 

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