第59話


 「……物凄いことになったね。」

 

 さすがの課長も、ここまでは予測してなかったって顔だな。


 そもそも、ブームの火の付き方がおかしかった。

 CMの正式放送は、本来、来年の150周年記念事業の一環だから、

 改変期特番を挟んで、早くても1月中旬くらいになるはずだった。

 

 ところが。

 受注した留美さんが、10日ほど前に、

 ティーザー映像として10秒版をmytubeに流した。

 

 『あたりまえは、だれかがしっかり作っている』

 

 契約上グレー案件だったが、社長室や広報部も特に問題にせず、

 裾野を広げる一環と位置付けていたらしい。

 

 その時、留美さんは、

 ごく当たり前に流暢な英語に翻訳し、字幕を付けて流した。

 

 これが、なぜか東南アジアで爆発的に注目を浴びてしまう。

 そこから北米へ、ほぼ同時進行で日本へ逆輸入される。

 CMのティーザーとしては異例の再生回数80万回に達し、

 止まるどころか、さらに加速度的に広がりつつある。

 

 「広報の連中は対応に追われてる。

  一切関係ないのにね、はは。」

 

 ほんとだよ。

 

 「『傾国の美少女』か……。

  案外、的外れとも言えないかもだね。」

  

 ……。

 

 「で、きみも聞いてると思うけど、

  年内にCM放送に踏み切る。」

 

 ん?

 あぁ。

 帆南さんが残業してたのって、の話なのか。

 

 「特番にね、捻じ込むらしい。

  放送時間遅めの教養番組らしいけど。」

  

 また地味なところを。

 まぁ、うちの会社らしいけど。

 

 「そもそも、うちからすれば、広告宣伝だからね。

  収益にならないことだから、

  先倒しにしたって経費性の低いところになるわけ。」


 なるほど。

 

 「ただ、出さないと、収まらない。

  そういう感じ。」


 ……つまり。

 

 「そ。

  テレビ局の面子。」

 

 まぁ、そうだろうな。

 CMから話題になるはずだったのに、

 ネットからになっちゃったから。

 

 「あの映像の榊原晴香、ちょっと神がかってたからね。

  30~50代くらいの男性が世界中で涙してるよ。」

 

 焦点の引き締まった鮮やかな編集技術に裏打ちされた、

 庇護欲と郷愁を掻き毟られる普遍的な映像。

 世界中どこでも、そういう感性は、そう、変わらないものかもしれない。

 でも。

 

 「課長は泣かなそうですね。」

 

 「……そうでもないよ、これが。」

 

 う、わっ!

 

 「……あはは、凄い子だよ、ほんとに。

  僕らもヘタしたら濁流に呑み込まれるよ。」

 

 濁流、なんだ。


 「まぁそういうことだから、

  榊原晴香は暫くあの部屋に帰れないと思って。」

  

 ……そうならざるを得ない、か。

 

 「RINEが来たら答えてやって。

  彼女にとって、命綱になるだろうから。」

  

 大げさな。


 「ふふ。

  そう、大げさでもないんだけどね。」


 「小辻主任。」

 

 っ!?

 しゅ、主幹っ!?

 

 「内線です。」

 

 し、心臓に悪い出方をしてきたな主幹。

 な、なんか悪い予感がするんだけど。

 

 「お電話かわりました。

  調査一課の小辻です。」


 一課に掛かって来たんだけどね、つい。

 

 「あ、お、小辻主任ですかっ!

  け、警備課の橋本ですっ。」

 

 ん?


*


 監視カメラの映像が、タブレットに転送されてくる。


 「……っ。」

 

 長い髪、隙のないブラックスーツと、白のブラウス。

 間違いなく、帆南さんだ。

 二階の多目的トイレの中で、ぐたりと座り込んでいる。

 まるで、睡眠薬を飲まされたように。

 

 「待ってください、小辻主任。」

 

 どうしてっ。

 いま、目の前に

 

 「こんなことをした奴には、目的があるはずです。

  必ず現場にやってきます。」

 

 !!

 

 「待ちましょう。

  黒幕を、暴くんです。」

 

 ……

 

 「わかり、ました。

  ただし、帆南さんの身体に、万が一のことがあれば」

 

 「警備室でモニターしています。

  危ないと判断すれば、すぐに。」

 

 ……。

 信用、できるのだろうか。

 

 「大丈夫です。

  皆、あのアイス食べてますから。」

 

 北海道で買ってない北海道土産、〆てたった1000円。

 それで釣られるわけないんだけど。

 

 「警備室なんかにお土産くれた人は、覚えてるんですよ。

  旨いものならなおさらです。

  どうせなら、酒のほうがよかったんですけどね。」

  

 ……僕、下戸だからなぁ。

 帆南さんにでも聞こうか。

 って、絶対に助けないと。

 

 「……湯瀬課長には?」

 

 「こちらから連絡済です。

  主任をお呼びした後、うちの課長から。」

 

 「……ありがとうございます。」

 

 少なくとも、この人達は、帆南さんの敵ではない。

 人に裏切られ続けた自分の頼りない勘を、いまは、信じるしかない。


 ……差し迫った仕事がなくて良かったというべきか。

 役所への報告、主幹に代わって貰えたもんな。

 っていうか、主幹、なんか知ってたんじゃ

 

 「っ!?」

 

 動きが、あった。

 中に帆南さんが入っているにも関わらず、

 施錠されている筈の多目的トイレのドアが開く。

 僕が腰を浮かせた瞬間、なだれ込むように警備員達が不審者を取り囲む。

 

 「行きましょう、主任っ!」

 

 駆け出して非常階段を駆け上っていく橋本さんについていく。

 運動不足感が半端ない。なにしろ、十年近くストレッチ一つしていない。

 元陸上部の意地で、必死に四肢を動かして地下二階から四階分を登り切り、

 二階に到達した時には、事は粗方終わっていた。


 取り押さえられているのは、僕の知らない人だ。

 社内か、社外かすら分からない。

 

 激しく息が荒れているのを隠しながら、帆南さんに駆け寄る。

 ……

 

 ん?

 え……

 

 (フリを、してる?)


 睡眠薬を、飲まされているはずなのに。


 「……やれやれ、

  ほんとに、今更どういうつもりなんだか。」

 

 あ、課長も着いてたのか。


*


 うわ。

 めっちゃ真面目な資料整理。

 資料の高さまでしっかり揃えてある。

 

 ……。

 かわいらしさよりも、殺風景さが際立つな。

 ブランドの服やバックは備えていても、

 小物はそのへんの〇ト〇で買えるようなものがあるだけ。

 

 「……こんな日に入られるなんて、思ってなかったです。

  あーあ。もっと素敵な日にしたかったのに。」

  

 帆南さんが、

 叫びたくなるほど心が痛い時に使う、

 場違いに明るい口調。


 事情は、ほとんどなにも分からない。


 帆南さんは、自分に何が仕掛けられているかわかった上で

 囮になって、帆南さんを罠に嵌めようとした誰かを、あぶりだそうとした。

 

 帆南さんを襲った連中のことは、いま、課長達が調べている。

 今日中には、背景まで掴めるはずだ。


 でも。

 なんで、こんなことを。

 

 「……バレてましたよね、あはは。」

 

 わかる。

 わかってしまう。

 

 「静さん。」 

 

 帆南さんの心が、乾いてしまっている。

 

 「わたし、

  ちゃんと、、できますから。」

 

 空元気を振り回す帆南さんが。

 

 「わたし、

  穢れてるから、できちゃうはずですから。」

 

 やせ我慢で、精一杯の意地を張る、

 不器用な帆南さんが。

 

 「わたし、自分で蒔いちゃった種だから、

  自分で刈り取らないといけないじゃないですか。

  だか

 

 

  「そんなわけあるかっ!」 

 

 

 思ったよりずっと、大きな声が出てしまった。

 帆南さんの身体が、びくんと揺れた。

 

 「そんなもの、帆南さんのせいのわけはない。

  自分一人で抱えるもんじゃ、絶対にない。

  ないんだよっ。」

 

 「……でも」

 

 でもじゃない。

 でもじゃないんだよっ。

 そんな意地、張ったってひとつも得をしないのに……。

 

 ……あぁ。

 そういうところが、榎本帆南さん、なんだ。

 

 社内有数の美貌を持っているのに、

 冷酷な湯瀬課長が一目置くくらい、

 慎重派の長老様社長室長がリスクを冒して手元に置きたがるくらい優秀なのに、

 どこか、とてつもなく不器用で、自分自身を信じていなくて。

 

 「でもっ。」

 

 「でもじゃないんだよ。

  なんで

 

 「でも、静さん、

  わたし、を、

  わたしを抱いてくれないじゃないですか。」

  

 っ。

 

 「わたしがもう、綺麗じゃないから、

  わたしが、穢れた傷物だから、

  わた

 

 「いますぐ奪いたいに決まってるよっ!」

 

 「!」

 

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