第58話


 「ふんふふーん。」


 免許持ちの帆南さんの運転で、車は首都高速を滑るように抜けていく。


 「あー、このままどこか行きたいくらいですねー。」

 

 確かにそんな気分だが、そんなわけいくはずもない。

 

 「……。」

 

 後部座席では、はるなさんが熟睡している。

 折角もぎ取ったオフだったのにって残念がりそうだな。

 

 「過酷ですからねー、女優さんってほんとに。

  まして、榊原晴香、売れっ子になっちゃってますから。」


 話には聞いていたが、はるなさんの労働密度はブラック企業も真っ青だ。

 一ノ瀬さんが堰き止めていてもこの有様なのだとすると。

 

 「……美智恵さん、

  半年、持たないかもだそうです。」

 

 え。

 

 「病院で聞いたの?」

 

 「……ご本人の口から、直接。」

 

 えぇ?

 

 「お仕事ですから。

  ほんとは、静さんの仕事だったんだよって、長老様から。」

  

 ……うわぁ。

 人心収攬、ぬかりないなぁ。

 

 「晴香ちゃん、争奪戦になります。

  ヌーベルキャルトごと買収されるかもしれませんし。」

 

 ……汚いスーツの大人がうじゃうじゃと取り囲むわけか。

 

 「……だから。

  だから、私は、」

 

 ん?

 

 「……

  あ、ここですね。晴海ジャンクション。」

  

 あ、そうね。

 って、道路、全然わかんないんだけど。


*


<(寝ぼけ眼のスタンプ)>


 あぁ、起きたんだ、はるなさん。

 そのまま寝るかと思ったのに。

 

 ……24時30分、か。

 高所恐怖症でないなら、高層マンションの夜景は幻想的ですらある。

 なるほど、こういうところに住み続けたいという人の気持ちは

 分からないでもないな。

 

 僕は、違うなぁ。

 そんなお金あるなら、外食費を積み増したい。

 東京には、いや、日本には、

 僕の知らない美味しいものが溢れているはずだから。


 ……っていうか、この契約はいったいいつまでなんだろうな。

 とりあえず、改装中の茗荷谷には戻れないっぽいんだけど。


 コン、コン

 

 ん?


 あ。

 あぁ。


 がちゃっ

 

 「……おはようございます。」

 

 真夜中でも使える便利な挨拶。

 起きたばかりだからリアリティはある。

 

 「おはようございます。

  お疲れでしたね。」

 

 「……

  はい。」

 

 やけに素直に頷いたはるなさんは、

 僕の方向に真っすぐ歩いて帰巣本能きて、無造作に手を少し強く握ったかと思ったら、

 突然、形の良い目をぱちっと開き覚醒

 両頬を、ゆっくりと、真っ赤にし始める。

 

 「……っぅっ!?」

 

 ど、どうしたんだ?

 

 「な、な、なんでもないですっ。

  なんでもっ。」

 

 は、はぁ。

 

 「お、お、

  おじゃましましたっ!」

 

 言うなり、はるなさんは、

 接続口を凄いスピードで戻っていった。

 

 な、な、なんだったんだ???


*


 「や。」

 

 会社から離れた駅で待ち合わせた寺岡さん。

 少しふんわりしたシャツワンピースの下に、

 グレーのタートルネックを合わせ、高級感を醸しだすものの、抜け感もある。


 ファッションモデルのような隙のないオフィスカジュアル。

 流石としか言いようがない。

 

 (小辻君、ヒマでしょ?

  通常業務、帆南ちゃんと一緒じゃなくなったし。

  おごってくれるって言った約束、果たしてくれない?)

 

 約束をした覚えはないが、まぁ、いいかと。

 お世話になってることは間違いないし。

 

 「すみません。待ちました?」

 

 「ううん、いま来たトコ。

  ほんとよ?

  

  あはは、今日も楽しみね。

  どこ連れてってくれるのかしら?」

 

 寺岡さんは、課長と違ってご出自がたいへんよろしいので、

 手を抜いたネタみたいなところには連れて行けない。

 芸能人ではないとはいえ、寺岡さんが外へ呼び出す時は、

 内緒話をしたいときだから、個室があるところになる。

 

 勢い、選択肢は狭まるが、だからこそ、燃えるところもある。

 わりと寺岡さんを喜ばせるのは好きなほうだから。

 

*

 

 「……なるほど、ね。

  これはちょっと、面白いわね。」

 

 「でしょう。」

 

 日本が誇る高級うどんの粋である稲庭うどん。

 その老舗が出している正規メニューではあるのだが。

 

 「意外に合うのね。

  ココナッツカレー汁。」

 

 「なんですよ。」

 

 訳が分からないようだけど、

 繊細なつるつる細麺の稲庭うどんとぴったりはまる。

 変化球メニューの中でも、なかなかの変わり種だろう。

 

 「ほんと、よく見つけてくるわね。

  ふふ、君ってほんと、底が分からない子ね。」

 

 ボランティアの皆さんのお力の賜物なだけなんだけど。

 

 「で、どう?

  にするか、決まったの?」

 

 ……そっちから聞かれるのか。

 

 「ほんと、小辻君って無駄に真面目なのね。

  湯瀬さんなら、その日のうちに二人とも抱いちゃいそうだけど。」

  

 なんてこと言うんですか。

 はるなさんなんて未成年なのに。

 

 「あはは。

  一般人だって、17歳の三分の一は、もう体験持ってるのよ。

  私だって14だったから。まわりにちょっとだけ自慢できたかな。」

 

 は。

 い、いま、なんて。

 名門のお嬢様なのに。いや、だからこそ?

 

 「だいいち、彼女は女優よ?

  そんなこと、分からないとは思えないけど。」

  

 ……。

 

 「ふふふ。

  可愛い中学1年生の小辻静君に先に言っておくわね。

  

  『どちらかを選ばなきゃいけないなら、どちらも選ばない』

  そんな浮舟源氏物語のようなマネはやめなさいな。」


 う、わ。

 さすがに入水自殺までするつもりはなかったが。


 「私、高校の時、そんなことされちゃったからね。

  誰も得、しないんだよ。

  だって、気持ち、ちゃんと切れないじゃないの。」


 ……。


 「女はね、しっかり切ってあげれば、ちゃんと、次に行けるものよ。

  のたうち回りながらだけどね。」


 「……人事二課長は、

  科学的には性差なんてないって言いそうですが。」


 「あははは。そうね。言いそう言いそう。

  あの人も別に、悪い人じゃないのよ。

  ただちょっと真面目すぎるだけなの。


  って、話、逸らしちゃだめじゃない。」

 

 ……ははは。

 

 「まったくもう。

  それとね、君がやりそうだから言っておくと、

  年齢差とか、立場とか、将来がどうとか、

  そういう詰まらない理由で選ぶのもお止めなさい。」

 

 う、わ。

 

 「普通の社会人ならね、そういう選び方になると思う。

  打算とか、社会的地位とか、いろいろ考えて当然よ。

  でも、君たちの場合は、中学生の恋愛なのよ。」

 

 ……はっきりおっしゃいますね。


 「そうよ。だから、

  高校時代の許嫁の約束なんてさっさと忘れなさいな。」

 

 ……やっぱり、そこ、か。

 

 「湯瀬さん問い詰めたんだけど、はぐらかされるばっかりだったわ。

  ほんともう、何考えてるんだろ、あの人も。」

 

 ……はは。

 

 「まぁ、いまの君なら、

  彼女とちゃんと話してみるのもいいかもしれないわね。」


 ……。

 

 「一応、人事担当者として言うとね。

  彼女、根っからの性悪って感じじゃなかったわ。」

 

 ……。

 

 「ふふ。

  私ごときの眼じゃ、信じられないって顔かな?」

 

 ……。

 

 「いえ。」


 寺岡さんのことは、深く信頼している。

 入社時に一から仕事を教えて貰ってから、ずっと。


 「ふふふ。君にそう行って貰えると嬉しいものね。

  ま、なにか、その時には言えない事情があったのよ。

  事情があれば何をしてもいいとは思わないけど。」


 ……はは。

 これを、伝えるためか。

 

 「あぁ、それとね?

  君の、注意なさいな。」

 

 ん?

 

 「たぶん、湯瀬さんも管理しきれなくなるわ。」

 

 ……え?

 どういう、こと?

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