第57話


<夕方からオフ、もぎ取りましたっ!>


 それ、オフと言って良いんだろうか。

 ざっくり計算して、1日16時間労働が12時間になっただけ。

 一ノ瀬さんが仕切ってるだけまだマシらしいんだけど。


 帆南さんにも連絡を廻しておくとしてって、

 あれ? しらたまさんから


<残業、確定ですっ

 (涙がどわーのスタンプ)>


 な、なにが


<なんかちょっとよくわかんないんですけど、

 例の百五十周年記念のCM、公開が早まるかもなんです>

 

 は?

 だって、百五十周年事業なんだから、来年なんでしょ?


<わたしもそう思ってるんですけど、

 早めたほうがいいって、長老様が決めちゃった留美のプレゼンらしく>

 

 長老様って、もう言っちゃってるよ。

 寺岡さんかな、流したの。


<広報と社長室で事務廻しで揉めてるから、

 わたしやりますって言っちゃったんですよっ>

<(号泣する猫のスタンプ)>

 

 う、うわぁ。

 これ、帆南さんに追い打ちになっちゃうな。

 

<はるなさんが今日の夕方だけオフらしいから、

 合流できるなら来て>

 

 あ、なんか止まった


<激速で仕上げますっ!!>

<(デスマーチ開始のスタンプ)>

 

 ……そのスタンプ、なんか違う。


*


 街はいつも通り。

 表通りには、にぎやかな人並みが溢れている。


 はるなさんは、当代第一流の若手女優で、カメレオンの異名を取っている。

 その変身技術は神がかったものがあり、いままで一度たりとバレたことがない。


 ただ、それがいつまでも続く保証は一つもない。

 その際、帆南さんがいてくれると、スポンサー業務の延長線上の体裁が整う。

 そうでない場合は。

 

 ……かなり、リスキーではあるんだよな。

 ただ。

 

 (ご飯、おいしくないです

  おいしいものじゃないですし)

 

 (静さんがいないと、おいしくないんです)

 

 接待先のアレンジでは変なもの食べさせられてるし、

 普段はどうせロケ弁か、お握りくらいしか食べてないだろうし。

 ここはまぁ、腹を括るしかないな。後から帆南さんも合流してくれるだろうし。

 

 「し……

  テンマさんっ!」

 

 あ。

 ちょっと懐かしいな、そのひょうげ

 

 え゛

 

 「vaidurya留美、さん?」

 

 「そうですー。

  一発でよくわかりましたねー。」

 

 って、二人ワンセットか。

 はるなさんが、ちょっと戸惑った顔をしてる。

 

 いや、

 っていうか。

 

 「ね、分かるでしょ?

  はるちゃん、ちょっとやばいって。」

 

 ちょっとどころか。

 いわゆる天才美少女女優、榊原晴香モードではないけれども、

 それとは別のタイプの、いわばゴージャス系の絶世の美女対抗心になってしまっている。

 帆南さんが本気を出したら、こういう系統に進むんじゃないかという。

 

 こ、これは……。

 

 「はるちゃんじゃないですよー、って感じにしとかないとってのが、

  、尖っちゃって。

  だからついて来たんですよ。」

 

 かえってややこしいんじゃないか。

 なんかめっちゃ目立ってるんだけど。

 

 「なんて。

  テンマさんと食べるご飯、おいしそうだなって。」

 

 ん? 外食にあんまり関心はないはずなんだけど。

 っていうか。

 

 「vaiduryaさんも、なかなかのコーディネートですね。」

 

 金髪に革ジャン、ダメージが軽く流れたジーンズ。

 スタイルはいいほうだけど、おっとりした雰囲気のままだから、

 革ジャンを着ても、フェミニンな感じが残っているとはいえ、

 どちらかといえば透明感系だった前回とはだいぶん趣が違う。


 「あはは。

  私、こういう感じの、普通に着るんですよ。

  ね?」


 リアクションはいつものはるなさんが、首を傾げながら、とりあえず頷いている。

 うーん。ゴージャスな化粧と髪色も違うものだから、

 ヘーゼルナッツの瞳と合わさって、完全に西ヨーロッパ系みたくなってるけど、

 動き方は日本人少女そのものなので、いろいろカオスすぎるな。


 「なんて。

  私っぽくない恰好しろって、誠さんが。

  はるちゃんを見習えとか言ってきましたから。」


 あぁ。そういうことね。

 いろいろ狙われてるらしいからな、留美さんも。


*


 脳内検索条件は、いつもと同じ。

 美味しくて、芸能人が来なくて、遮蔽空間があって、人が少ないところ。

 そして、女子が入っても問題がないところ。


 検索条件は相当絞られる。ただ、まだまだストックはある。

 東京の襞は、広く、深い。

 姿形を替えた二人の若手芸能人に気兼ねなく温かいものを

 食べさせられるくらいの隙間は残してくれている。


 出してるものは下町の洋食屋そのものなんだけど、一応、個室で区切られてる。

 立地は閑静な住宅街なので、

 昼はともかく、夜にお客さんがほとんど来ない。

 個室いらないくらいの貸し切り。

 

 でもって、このソファー、かなり綺麗なんだよね。

 真っ白で統一されてるので、見た目が異様に整ってる。

 内装に金をかけて潰れるタイプ。

 

 で。

 

 「おまたせしました。

  ロシア風ハンバーグでございます。」 


 来た、来たよ。

 寒い時期に温まるコクのあるブラウンソース煮込みハンバーグ。

 鉄板がちょっと深めというか、

 スンドゥブみたいな鍋に、ソースがしっかり煮込まれて出てくる。

 お好みで目玉焼きをトッピング。

 

 「あ。」

 

 うん。

 旨い。


 まず、熱々なんだよね。

 熱されたデミグラスソースの影響で、肉汁の中まで温かい。

 そして、ほんのちょっとだけ鉄板でソースが焦げかけてるところが香ばしく、

 奥行のあるソースとの味わいが深い。

 

 なのに、濃すぎない。

 ご飯が進むけれども、進みすぎない。

 野卑な食べ物に見せながら、どこか品の良さすら感じさせる。

 まさに絶妙の味加減。


 あぁ、熱い。旨いなこれ。

 うん、ポテトも背徳的に旨いな。

 っていうか、こないだ課長といったのもハンバーガーじゃん。

 まぁいいか。頼むから米露仲良くやってくれ。

 

 「……。」

 

 ん?

 

 「お気に召さなかったですか?」

 

 やっぱりタイ宮廷料理のほうが御洒落でよかったかな。

 こないだベトナムだったからこっちにしたんだけど。

 

 「い、いえっ!」

 

 「これ、美味しいですね。

  うん。すごく熱くて美味しい。」

 

 あはは。

 留美さんボキャブラリー薄いな、相変わらず。

 

 「これなら毎日連れて行ってもらいたいですね。」

 

 そんな暇ないだろうに。


 「私ははるちゃんと違ってヒマですから。

  週休4日制です。」

 

 一応3日は仕事入ってるのね。

 

 「アルバイトが2日入ってます。」

 

 うわ。

 実質週1じゃないか。

 

 「あ、でも、また別の編集の仕事ティーザー映像しないかって、

  ちょうろうさん? から声かけられました。」


 違うよ。

 そんな名前じゃないよ長老様は。

 あれ、名前度忘れした。なんだっけ。

 

 「こないだのはるちゃんの絵、編集してたら、

  私、それでもいいかなぁって思い始めちゃいました。

  いけませんね、こんな志の低いことでは。」

 

 それだけのセンスがあったからだけどね。

 大評判だったらしいけど。社長も泣いてたし。

 

 ん?

 

 「はるなさん、どうされました?」

 

 「……なんでも、ないです。」

 

 ちょっと不満そうなんだけど。

 

 「あはは。

  大丈夫だよはるちゃん、夜は長いんだから。」

 

 「!」

 

 「一緒に帰って貰ったら?

  テンマさん、はるちゃんエスコートしてくださいよ。」

 

 いくらなんでもそれはまずいな。

 物理的に入る場所が隣になってしまうのは。

 

 「だって、私、一応、これからお仕事なんです。」

 

 あら。

 アルバイト?

 

 「違いますよ。

  ちょっと、しないといけないところがあるんですよ。」

 

 は?

 

 「だから、私は御見送りが出来なくてですね。

  それで

 

 からんからん

 

 「おっまたせしましたーっ。

  え、……あれ?」

 

 あはは、帆南さん。

 めっちゃ混乱してるな。

 

 「こちらが『かのや』さんで、

  こちらが」

 

 「あ、あぁー。

  留美ちゃんそれ、めっちゃカッコいいっ!」

 

 え。

 っていうか、思いっきり喋っちゃってるな帆南さん。

 いかな場末に近い店とはいえ。

 

 「あはは、嬉しいです。

  まわりの大人、褒めてくれないんで。」

 

 ……はは。

 こっち、軽く抉られたな。

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