第56話


<お昼、ダメになりました……>


 ん?

 両目バッテンの顔文字が。


羽鳥さん社長室長にお声、掛けて頂いて

 社長室の女子でランチだそうです>

 

 あぁ……。

 次の転属先の上司だもんなぁ。


<夜、一緒に行く?>


 まだフルーツ盛り合わせが余ってるんだけど、

 明日の朝にジュースにしてしまおう。


 ん。

 リアクション遅いな。

 

<予定あるなら、気にしな


<行きますっ!>

<(全身の細胞が歓喜するスタンプ)>


 ……スタンプ選んでただけだったか。

 なんだこの仏像みたいなやつは。


*


 さて、と。少し遅くなったな。

 昼は一人飯かぁ。ま、別にいいんだけど。

 いままでずっと一人だったわけだし。


(小辻静さん。


 わたし、

 あなたのことが、好きです。)


(わたしは、静さんと、

 かならず、結婚します。)


(そろそろどっちかに答えないといけないわけよね。)


 ……現実感が、薄いな。

 どちらも断るべきだし、

 どちらも、必ず他の人が


(女優なんてのはね、ロクなオトコを捕まえられないの。

 槌井さんみたいな身持ちの堅い方はね、

 親し気にお話はして下さるんだけど、心は開いて下さらないものよ。)


(わたしなら、命より大切な人を肥やしになんて、絶対にしない。)


 ……。

 他の人が、幸せにしてくれるわけじゃないことも、ある。

 でも、僕は


(どうか、晴香ちゃんを、

 いさせてあげてくださいな。)


 ……

 あれは、どういう意味な

 

 

 「静、くん?」


 !

 

 「……

  よかった。

  やっぱり、静くん、だね。」

 

 ……

 

 茶髪にしたのか。

 肩まで掛かる長めの髪と、印象的に輝く黒目は変わらない。

 でも、ゆるふわのウェーブヘアにするだけで、印象は、だいぶん変わる。

 

 いまの雪乃を、なにも見ていなかった。


 「これから、お昼なの?」

 

 声は、あまり変わっていない。

 少し鼻にかかるような、甘く、掠れたような声。


 15年前。

 僕は、この娘に、なしくずしに身体を許してしまい、

 付き合わされ、婚約までして、

 そして、裏切られて、棄てられた。


 心を通わせ合っていたと、信じていたのに。


 絶望を、

 憤怒を、

 不信を、

 

 激情のすべてが、驚くほど、なにも、沸いてこない。

 あの二人のことを、考えていたからだろうか。


 「……静、くん?」

 

 「そう、だね。

  僕は、これから、お昼だよ。」

 

 「よかった。

  じゃ、一緒に行こうよ。」


 (付き合う前のほうが、好きだったな。)

 

 ……

 

 「旦那さんは?」


 (あなたじゃ、ない。)


 「え。」

 

 「まだ、職場の同僚じゃない人と、

  一緒にご飯を食べたりしたら、怒る人もいると思うよ。」


 「……あはは、静くんらしいね。」


 「かな。

  それじゃぁ。」




  「。」



 ぇ。

 

 「別れたの、私達。」

 

 ……。

 

 「名乗ったつもり、だったんだけどな。」


 (4月から調査第一課に配属を予定されている

  雪乃と申します。)


 ……

 

 あぁ。

 そ、っか。

 

 「ふふ。

  だからね、静くん、気にしなくていいんだよ。」

 

 ……

 

 「……

  そんな気、ないって顔してる。」

 

 「うん。」


 感情は、驚くほど、なにも、沸いてこない。

 怒りも、哀しみも、憂いも、喜びも。

 

 ただ、止まっている。

 空気も、景色も、世界も。

 

 「……そう、なんだ。」


 「うん。

  お昼は、同僚になったらにしようか。」

 

 「……

  それだと、


 ?


 「……

  なんでも、ない。

  また、ね、静くん。」


 ……

 

 痛っ。

 

 ……

 あぁ。がっちり噛んでたんだ。

 唇、血、出ちゃってる……。


*


「おっまたせしましたーっ!」


 ……はは。

 なんだろう。

 ちょっと、涙が出そうになっちゃった。


「?

 どうしました、静さんっ。」


「ううん。

 帆南さんが元気そうで嬉しいよ。」


 夕暮れ時に、帆南さんを、

 隣街で、この形で待つのは、すこし新鮮だった。


「あはは。

 わたしは元気だけが取り柄ですからねっ。」


「そんなことないよ。

 もっといっぱいあるんだから。」


「……だめですよ、そんなこと言っちゃ。」


「なんで?」


「なんででも、ですよっ。

 さ、どっこ行きましょうかっ。」

 

 そうだなぁ。

 つやつやした顔に新規、ってテカテカと書いてあるんだよなぁ。

 帆南さん、巡回っていう思想、あんまりないよな。

 

 ま、いいか。

 僕にとっては巡回、っていう場所にしてみようかな。


*


 「……職場の近くに、こんなトコあったんですね。」

 

 近くはないけど。

 隣の駅と会社の真ん中くらいだから。

 

 実は夜、来た事ないんだよな。

 わりとお高めな感じだから。


 まぁでも、サービス料も取らないし、

 計算では、高いものに走らなければ、ギリ収まるはず。


 香港風ワゴン飲茶。

 飲茶がワゴンに載って次々と廻ってくる。

 まぁまぁお客さんいるんだけど、半分くらいなぜか外国人。

 まぁ店員さんも向こうの人。留学生みたいな人が多い感じ。


 最近、こういうところ減っちゃったんだけどね。

 まだやっててよかった。


 「これ、ワゴンが来た時に頼む感じですか?」

 

 そうそう。

 で、中身を見せて貰う感じ。

 

 「へぇー。

  わ、あれ、めっちゃ高く積まれてますね。」

  

 あれは蒸し物だと思うけど。

 焼売とか蒸し餃子とかそういうやつ。

 

 「中が見えるやつもあるんですねー。」

 

 へぇー。

 そういうの、僕が来た時はなかったんだけど。

 

 「あ、やっぱり。」

 

 ん?

 

 「静さん、来たことあるんですね?」


 「うん。」

 

 「やっぱり。

  心配そうな顔、してなかったですから。」

 

 なに、その顔。

 っていうか。

 

 「僕、そんな顔に出てる?」

 

 「出てますよぉ。

  美味しいもの食べてる時とか、特に。」

 

 うわ。

 ポーカーフェイス、ほんとできないんだよな。

 大丈夫かな昇進しちゃって。本心隠すとか全然できないのに。


 「すみませーんっ!」

 

 あ、止めちゃった。

 そっち

 

 「わ。

  こっち、甘いものしかないじゃないですか。」

  

 呼び止めたの行ってもらうのって戸惑いが

 

 「じゃ、このごま団子と、

  えーと、この杏仁豆腐を。」

 

 え゛

 

 「スイーツから食べるの?」

 

 「あれ、いけませんか?

  順番とか決まってないですよね?」

 

 ……

 そういえば、甘いもの、化け物みたいに食べるんだった。

 

 「わーい、いっただきまーす。

  あーんっ。」

 

 うーん、子どもみたいだな。

 無邪気というか、無頓着というか。

 客観的に言って物凄い美人なのに、いちいち表情が豊かだなぁ。

 

 「わ。

  これ、餡子めっちゃ旨いですね。」

 

 そうそう。

 出来立てだし、ずっと蒸し器に入れてるからあったかいの。


 「あー、これ、

  お茶飲みたくなるのわかりますねー。」

 

 ふふ。

 なんだろう。

 なんか

 

 「なんですか。

  静さんも一緒に食べて下さいよ。」

  

 あ、そうか。

 これだと、同じフェーズで感想を言い合うとか、できないわけか。

 なるほどなぁ。完全新規の意味がやっとわかった。

 

 こんなこと、してくれる人はいなかったからなぁ。

 そういえば。

 

 「お昼はどうだったの?」

 

 「わ。それ聞きますか。

  んー、なんていうかほら、わたしって評判悪いじゃないですか。」

 

 まぁね。

 そればっかりは変えられないから。

 

 「社長室の女子とかって、

  わたしみたいなカツカツの女子大出てるんじゃなくて、

  いいとこ出てる子とか多いんですよ。家とかも。」

 

 あー。

 そういうこと、やっぱりあるわけか。

 営業職とかとも雰囲気が違うと。

 

 「だからなんていうか、めっちゃアウェーって感じですね。

  でも、静さんがくれたチャンスですから、

  めげてなんていられないなって。」

 

 チャンスを出したのは課長なんだけどね。

 あと葛原部長。


 「それに、そのほうが

  社内で晴香ちゃんを任せる奴を監視できるじゃないですか。」

  

 それはまぁ、あるなぁ。

 映画の出資案件も社長室の職掌になってるし。

 

 「わたし、

  ちゃんと、やれますからね。」

 

 頼もしいなぁ、帆南さんは。

 あ。

 

 「あれ、あれっ。」

 

 来た来た。

 さっき逃したメイン系蒸し物ワゴン。

 翡翠餃子に帆立焼売。

 

 「すみませーんっ!」


 前から思ってたけど、

 帆南さんって、声、ちょっと大きいなぁ。

 

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